『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
クロスベル行政区、市庁舎。
統一国の総統を名乗るあの男――ルーファス・アルバレアに呼び出され、僕はかつての市長室へと出向いていた。
現在、彼が執務室代わりに使っているこの広々とした部屋に入ると、重厚なデスク越しに男が優雅な笑みを浮かべた。
「やあ。急に呼び出してすまないね」
「いや……一応、俺はあんたたちの協力者だからな。構わないさ」
淡々と返しはしたものの、僕の意識はどうしても別のところへと向いてしまっていた。
先日の、地下の隠し部屋でのリィン・シュバルツァーとの邂逅。
そして、この一連の事態の裏で彼を苦しめながら蠢く『イシュメルガ』という巨大な呪いの存在が、どうしても頭から離れなかったのだ。
「……ふむ。ひどく上の空のようだが、何かあったのかね?」
まるでこちらの内心を見透かすように、ルーファスが片眉を上げて尋ねてくる。
僕は咄嗟に思考を切り替え、別の話題で誤魔化すことにした。
「……先日は、頼まれた任務を全うできなくてすまなかった、と考えてたんだよ」
地下路線での激戦。特務支援課とアガット・クロスナーたちの連携の前に全力を賭して戦ったが、結局は敗北し、逃げ帰る羽目になったあの一件だ。
あれも元々は、目の前の彼から『ティータ・ラッセルの確保』を依頼されて動いたものだった。
僕の謝罪を聞いて、ルーファスはあっけらかんと笑った。
「ああ、あの件か。特務支援課の面々と直接やり合うことになったのだろう? 気にすることはないよ」
「……なに?」
「私と違い、君という個体にはエリュシオンの演算リソースがさほど割かれていないからね。あの規格外の彼らを一人で相手にするとなれば、手数が足りなくなるのも当然のことだ。……気に病む必要のない、想定の範囲内の結果だよ」
あまりにもあっさりと失敗を許容され、僕は仮面の下で思わず目を丸くした。
先日、リィンから聞いた話がある。
ここにいるこの『ルーファス・アルバレア』は本物ではない。
エリュシオン……いや、イシュメルガの表向きの代弁者として世界を支配するために生み出されたシミュラクラ(再現体)なのだと。
オリジナルのルーファスが持っていた迷いや葛藤、いわゆる『人間味』という弱さを完全に切り捨て、ただ論理的かつ冷徹に造り出された存在。
(だからこそ……だ)
人間味を削ぎ落とされた機械的な存在であるならば、任務に失敗した手駒など容赦無く切り捨てるか、冷酷に責め立てるものだとばかり思っていた。
自らの駒のスペックと戦況を瞬時に計算し、感情論ではなく『演算上の想定内』としてあっさりと許容してのけた彼の態度に、僕は薄気味悪さすら感じるほどの驚きを覚えていた。
その微かな動揺の気配すら読み取ったのか。ルーファスは書類から視線を上げ、訝しむように目を細めた。
「どうした? やはり、何か隠し事をしているような顔だな」
「……」
僕は少しの間だけ沈黙し、やがて、小さくため息をついて口を開いた。
「――イシュメルガ。……いや、リィン・シュバルツァーに会ったよ」
「……ほう?」
流石にその報告は予想外だったのだろう。常に完璧な余裕を崩さない彼の目が、ほんの一瞬だけ、驚きに見開かれた。
「あんたがどういう存在で、どうやって生まれたのか……その辺りの事情も、本人から大体聞いたよ」
「そうかね。……それで?」
ルーファスはすぐに元の優雅な笑みを取り戻し、先を促すように両手を組んだ。
「いや」
僕はあえて、少しだけ挑発的に言葉を投げた。
「オリジナルの持っていた『迷い』を切り捨てたって聞いた割には、随分とあっさりと部下のミスを許容してくれるんだな、と思ってね」
僕の皮肉を聞いて、彼は「ふふ」と可笑しそうに肩を揺らした。
「確かに、私はオリジナルの抱えていた不要な感傷や迷いを切り捨てて生まれた存在だがね。……だからといって、己の手足となる者に無用な罰を与えるような、三流の悪辣な独裁者というわけではないよ」
「…………」
「そうでなければ。ディーター君や、ガルシア・ロッシのような者たちを、わざわざ陣営の懐に抱え込むような真似もしないだろう?」
「あんた……」
思わず言葉を失いかける。
ディーターさんも、ガルシアのおっさんも。
表向きは統一国に従いながら、その腹の底にはこの街を守るための『二心』を隠し持っている。
そのことに、この男は最初から気づいていたというのか。
(……いや、あのルーファス・アルバレアなら、それくらい見抜いていて当然か)
僕は内心で呆れたように笑うしかなかった。
「彼らが腹に一物抱えていようと構わない。私の行う統治に誤りがなく、彼らにとってそれが『最善』であり続ける限り、離反など起きようはずもないのだからね」
言い切るその眼差しには、エリュシオンの演算に裏打ちされた、自らの統治に対する『絶対的な自信』が満ち溢れていた。
ディーターさんが恐れ、警戒していたかつての総統としての手腕。
その能力の高さは、この偽物においても間違いなく健在だった。
「さて。私や事の成り立ちを知った上で……君こそ、どうするのだね?」
ルーファスが、試すような視線でこちらを射抜いてくる。
僕は短く息を吐き、きっぱりと答えた。
「何も変わらないさ。……俺には、果たさなくちゃいけない『約束』があるからな。それまでは、あんたの駒として従うよ」
「そうか。それは重畳だ」
僕の答えに、ルーファスは底知れない、心底満足げな笑みを浮かべた。
「では、変わらず私の優秀な手駒である君に、一つ頼みたいことがあるのだがね」
「頼み? ……なんだ」
「他でもない」
偽物のルーファス・アルバレアは、まるで今日の昼食のメニューでも決めるような、あまりにも軽々しい口調で――この上なく冷酷な命令を下した。
「『オリジナルのルーファス・アルバレア』を――君の手で始末してほしいのだよ」