『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
クロスベル市内に戻り、これからの身の振り方をどうしたものかと街を歩いていると、戦術オーブメントにノバルティス博士から呼び出しの通信が入った。
(……ちょうどいいか)
僕は通信を切りながら、ふと思いついた。
どうせあの地下施設へ行くのなら、後でまたリィン・シュバルツァーの様子を見に行ってやろう。
ずっと暗い部屋で孤独に戦っている彼に、何か少しでも気が休まるものを。
そう思い立ち、僕は市内の店でちょっとした手土産を買い込んでから、再びあの気味の悪い研究室へと転移で向かった。
「……遅いぞ、全く」
研究室に足を踏み入れると、白衣を着た博士が何やらモニターの前でひどく不満そうな顔をして腕を組んでいた。
どうしたんだと訝しみながら部屋を見渡すと、すぐに違和感に気がついた。
僕が調整を受ける台のすぐ隣。
そこにあったはずの巨大なカプセルが空になっており、
中に眠っていたはずの《劫炎》のマクバーンのシミュラクラが、跡形もなく消え失せていたのだ。
「……おい。隣の火炎魔人さんはどうしたんだ?」
恐る恐る尋ねてみると、博士は忌々しげに舌打ちをした。
「ええいっ、やりすぎて自壊したわ! せっかく限界値を測定してやろうと思ったというのに、あの規格外め……!」
ぶつぶつと実験データの損失について文句を垂れる博士。
どうやら、シミュラクラでありながら本能的に実験に反抗し、己のデータごとすべてを焼き尽くして消滅してしまったらしい。
(……流石は結社最強の執行者というか、なんというか)
勝手にコピーを作った挙句にデータを焼かれた博士には同情する気も起きず、俺は大人しく自分の身体の調整のためにカプセルへと入り込んだ。
調整が始まり、無数のケーブルが繋がれる。
どうせまた、この悪趣味な老人に記憶のネットワークを覗き見られるのだ。
だったら、変に探られてボロを出す前に、こちらからある程度情報を開示して主導権を握った方がいい。
「……なぁ、博士」
僕は、あの人形の少女(ラピス)の容姿や詳細な情報は慎重に伏せながら、先ほどエリュシオンの『本来の管理人格』に出会ったことを打ち明けた。
そして、彼女から聞いた真実――自分の本来の演算結果には強力なロックがかけられており、
それが今の統一国の技術と自分の持つ知識にズレが生じている原因だということを話した。
「――ほう。そうかね」
だが、僕の告白に対する博士の反応は、拍子抜けするほど淡白なものだった。
もっと血相を変えて食いついてくるかと思ったが、意外なことに、さして興味を惹かれた様子もない。
「なんだよ、随分と薄い反応だな」
「知ったからといって、君の脳内にある未来の知識に触れる方法が分かったわけではないだろう」
「まぁ、それはそうかもしれないが……」
僕が肩透かしを食らっていると、博士はカチャカチャとコンソールを叩きながら、ひどく不満そうな、しかしどこか諦観の混じった声で言った。
「もっとも、エリュシオンの演算領域の奥底に、とてつもなく巨大なデータがロックされて眠っていること自体は、既に知っていたがね。私も何度かアクセスを試みたが、全くの徒労に終わったよ」
「……あんたでも、無理だったのか?」
「当然だ」
博士はものすごく不満そうな顔で、忌々しげに吐き捨てた。
「エリュシオンという『神の如き演算器』の内部にあるロックされたデータを解読するなど、それこそ『エリュシオンと同等の演算能力を持つ何か』をぶつけるでもしない限り、物理的に不可能なのだよ」
それを聞いて、俺は少しだけ安堵して息を吐いた。
(……そういうものなのか)
僕は天井を見つめながら、ぽつりと呟いて納得した。
(絶対にデリートできないくらい、強固なもの)
あの時、母と名乗った小さな少女は、確かにそう言っていた。
エリュシオンの原初の願いである途方もない愛と後悔の結晶。
それは、この稀代の天才科学者をもってしても、絶対に解き明かすことのできないほどの、強固な代物であったと。
僕がそんな事実にどこか胸を撫で下ろしていることなど知る由もなく、博士はすでにもう一つの興味の対象――俺の記憶の表面から引き出せる『知識』へと意識を切り替えていた。
「まぁ、君の頭の中にある未来の知識については、君自身に専門的な技術的知見がないからな。やんわりと外枠を埋めていくような質問で、パズルのピースを詰めていくしかない」
カプセル越しに、博士は手元の端末を操作しながら饒舌に語り始めた。
「だが、それでもいくつかの技術体系は理解できたよ。……実用レベルまで仕上がったシャードの知識に、『アサルトフレーム』とやらの機体の構造。断片的な形状と概念から推測して判断したが、おおよそ間違いはあるまい」
「……は?」
俺は目を丸くした。
専門知識のない俺の適当な受け答えから、その未来の技術の根幹をもうそこまで推測して、理解したというのか。
(このじいさん……倫理観の欠如したマッドサイエンティストだけど、それ以上に正真正銘の『天才』だな……)
心の底から呆れ半分、感心半分で、俺はカプセルの中でごちった。
やがて、「プシュゥゥ……」という排気音と共にカプセルのハッチが開き、身体を繋いでいた管が外されていく。
「よし、これでいいだろう」
「ん……?」
まだいくつかのケーブルに繋がれたまま、俺が不思議そうに博士を見ると。
老人は眼鏡を指で押し上げ、どこか得意げな、悪魔のような笑みを浮かべて今回の『成果』を発表し始めた。
「君の肉体に、一つ新たな機能を組み込んでおいた。『ブーストアップ』だ」
「ブースト……?」
「先ほどの、マクバーンのシミュラクラで限界値を測定した実験の応用だよ。自身を構成する霊子を激しく消耗させることで、シミュラクラの性能限界値を無理やり引き上げることができるようにしてある」
「ちょっと待て」
俺は慌てて口を挟んだ。
「マクバーンのシミュラクラのデータは、さっき本人が暴走して吹っ飛んだんじゃないのか?」
「ええい、馬鹿者! 肝心な部分のデータはある程度私の頭の中に入っておるわ!」
博士は声を荒げてから、自慢げに鼻を鳴らした。
「……当然、あの火炎魔人の全開の出力には遠く及ばないがね。だが、この機能を使えば、一時的に『平時のマクバーンのスペック』を凌駕する出力を叩き出すことができる」
「――なっ」
俺は完全に絶句した。
結社最強と呼ばれる男の、平時のスペックを超える? そんな冗談みたいな能力が、俺みたいなぽっと出の身体に積まれたというのか。
「ただし」
博士の目が、研究者特有の冷酷な光を帯びる。
「安全に使用できるのは『三分』だ。そこまでなら、後で私が再調整すれば元の状態に戻してやれる。だが、それを一秒でも超えれば身体の自壊が始まり、二度と元には戻れなくなる。……完全に崩壊する活動限界は『五分』。それ以上は一秒たりとも持たんぞ」
「……なんつーふざけた能力だ」
あまりのハイリスク・ハイリターンな爆弾を勝手に組み込まれ、俺は心底呆れ果てた。
俺のその不満げな表情が伝わったのか、博士は「ふん」とつまらなそうにそっぽを向いた。
「必要ないと言うのなら、使わんでいい。死蔵させておきたまえ」
「…………」
俺はカプセルから身を起こし、少しだけ考え込んだ。
特務支援課を本気で打倒してやろうという悪意があるわけじゃない。
だが、俺の手の内は先日の戦いですでにバレてしまった。
通信妨害も解け、万全の戦力を整えた彼らと正面から対峙するには、今の小手先の技術や手品だけでは絶対に不十分だ。
「……いや。ありがとう、博士」
俺は真っ直ぐに老人を見て、礼を言った。
「ふん、分かったならいい」
博士は素っ気なく返すと、顎で研究室のドアの近くを指し示した。
「そこにあるのは、私が手慰みに作ったものだ。……必要なら持っていけ」
視線を向けると、そこには無骨で奇妙な形をした長柄の武器――『スタンハルバード』が立てかけられていた。
かつて特務支援課のランディさんが使っていたものと同種の武器。
だが、このマッドサイエンティストが『手慰み』で作った代物だ。ただの生半可な威力の代物であるはずがない。
「……助かります」
俺がそう伝えて武器を手に取ると、博士はただ「ふん」と鼻を鳴らして端末に向き直っただけだった。
(……変なじいさんだ)
スタンハルバードの重みを確認しながら、俺は小さく息を吐く。
倫理観の欠片もなく、他人のプライバシーを土足で踏み躙り、実験の結果と未知の知識以外には何の興味も示さない。あまつさえ、俺の命のタイムリミットまで勝手に弄り回す、正真正銘のろくでもないマッドサイエンティスト。
……だというのに。
俺はどうしても、この博士のことを心の底から嫌いになることはできなかった。