『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
ついに、クロスベル解放作戦の火蓋が切られた。
東、西、南。各方面の門から、クロスベルの中心部へ向けて特務支援課と協力者たちの戦力が怒涛の勢いで突入してきているらしい。
街中を黒の衛士たちが血相を変えて奔走し、持てるすべての戦力を供出して彼らの進撃に抗おうとしていた。
クロスベル行政区、市立図書館。
その静かな屋上で、僕は一人、双眼鏡越しに中央広場の様子を眺めていた。
視界の先では、特務支援課と彼らに合流した協力者たちが、黒の衛士の強固な陣形を次々と打ち破り、先へと進んでくるのが見えた。
それだけじゃない。
遊撃士たちや警察、警備隊の一部兵士たち。
あまつさえ、民間人の何人かまでもが、自分たちにできることをしてこの理不尽な支配に必死に抗おうとしているのが見て取れた。
「……ははっ」
自然と、仮面の下で僕の口の端が上がっていた。
かつて、調印式で偽物のルーファスを狂信的に讃える市民の姿を見た時。
僕は自嘲するように『今回の事件は、この街が独立するための通過儀礼だ』と嘯いた。
それは半分本心で、半分は諦めだったけれど。
(やっぱり、僕は……みんながこうして不屈の意志で抗っている姿を見られたのが、嬉しいんだな)
理不尽に屈しない、このクロスベルという街が。
僕は本当に好きなのだと、改めて実感していた。
その時だった。
膠着しつつあった戦場に、さらなる追加の兵力が乱入してきたのだ。
「――っ!?」
双眼鏡を覗いていた僕は、あまりの衝撃に思わずそれを手から落としそうになった。
黒の衛士たちの側面を突くように現れたのは、ディーターさん。
そして――最強の猟兵団、『赤い星座』の部隊だった。
ドクン、と心臓が跳ねる。
僕は震える手で双眼鏡を構え直し、現れた猟兵たちの姿を一人一人、食い入るように確認した。
赤髪の、獰猛に笑う小柄な少女の姿を。
(……いない)
部隊の中に、姉さんの姿は見当たらなかった。
結社の執行者となった彼女が赤い星座と共に動いている可能性も考えたが、杞憂だったらしい。
僕は、ホッとしたような安堵と、胸の奥がキュッと締め付けられるような寂しさが入り混じった、複雑なため息をついた。
ただ。ディーターさんのすぐ隣で部隊に的確な指示を出している、大柄で隻眼の男の姿が見えた。
(……ガレスさん)
かつて、僕に猟兵としての射撃技術や戦いのイロハを徹底的に叩き込んでくれた、僕の師匠。
そのあまりに懐かしい姿に、姉さんの記憶も相まって、無理やり抑え込んでいた心が激しく揺さぶられそうになる。
「…………ふぅっ」
僕は静かに目を閉じ、深く、長く息を吐き出して、気合を入れ直した。
感傷に浸っている暇はない。彼らは、もうすぐそこまで迫ってきている。
目を開け、仮面の奥の瞳に冷たい光を宿す。
傍らに立てかけてあった、ノバルティス博士の手慰み――『可変式スタンハルバード』という、狂った天才が作ったとんでもない重みの武器を、両手でしっかりと握り締めた。
(さあ、行こうか)
行政区へと続く道の正面。
突入してくる彼らの前に最後の壁として立ち塞がるため、僕は図書館の屋上の縁を蹴り、遙か下の地面へと一気に飛び降りた。
***
ズシンッ、と。
重い着地音を響かせ、僕は図書館の屋上から行政区の入り口へと飛び降りた。
ひんやりとした金属の感触を放つ可変式スタンハルバードを両手で握りしめ、彼らの行く手を阻むように立ち塞がる。
視界の正面には、中央広場での激戦をくぐり抜けてこちらへ真っ直ぐに走ってくる彼らの姿があった。
ロイドさん、エリイさん、ティオさん、ランディさん。そしてノエルさんとワジさんに、リーシャさん、ツァイトも。特務支援課のフルメンバーが勢揃いしている。
それに、アガットさんとティータさん。遊撃士のエステルさんとヨシュアさん、昨日会ったばかりのレンさんも。
そして――キーア。
(……流石に、こんな最前線に彼女は来ないと思っていたんだけどな)
内心の驚きと焦りを仮面の奥に隠し、僕は彼らに向けて静かに言い放った。
「悪いけど、足止めさせてもらいます」
「グレイ……!」
僕の姿を認めたロイドさんとキーアが、同時にその名を呼ぶ。
「彼が、例の仮面の男ですか……!」
ノエルさんが警戒を露わにして武器を構え、ランディさんが僕の獲物を見て口笛を吹いた。
「おいおい、スタンハルバードだぁ? 兄さんの真似事でもするつもりかよ」
「ふふっ、前に冗談のつもりで言ったんだけど。本当にスタンハルバードを持ってくるとはね」
ワジさんが、可笑しそうに肩をすくめて笑う。
その集団の中にいるレンさんと、一瞬だけ視線が交差した。彼女は小悪魔のようにニッコリと笑顔を返してきた。
どうやら、僕の正体については約束通り黙っていてくれているらしい。
緊張が走る中、キーアがロイドさんの背中からふらふらと前に歩み出た。
「教えて……! 貴方は……っ!」
どこか悲壮な、縋るような声で僕を呼ぶ。
彼女は、僕が何者であるか、その魂の奥底で薄々感づき始めているのだろう。
……でも。僕はゆっくりと、首を横に振った。
偽物のルーファスからは、この場についての具体的な指示は何も受けていない。
けれど、盤面として僕が『敵』として必要になるのも、恐らくここが最後になるだろう。
「……敵なんだ。今は、それだけにしとこう」
拒絶するように冷たく言い放ち、ハルバードを構える。
その言葉に、キーアの顔が痛ましいほどの悲しみに暮れるのが見えた。
胸が張り裂けそうだったが、今はこれでいい。
「なんだ。前みたいに、小賢しい伏せ札は用意してねぇのか?」
大剣を肩に担いだアガットさんが、訝しむように聞いてくる。
僕は、仮面の下で力なく微笑んだ。
「ええ。たぶん……そんな余裕が、僕にはないので」
「……あぁん?」
怪訝な顔で眉をひそめるアガットさん。
エステルさんとヨシュアさんも、僕のただならぬ気配を感じ取ってか、スッと武器の構えを深くした。
「……三分」
僕は全員に向けて、自らのリミットを宣告した。
「三分間、全力でいきます。……押し切れなければ、僕の負けです」
そして、博士に組み込まれた『ブーストアップ』のスイッチを、躊躇なく押し込んだ。
――ドゥンッ!!
カッ、と。僕の身体の奥底から、尋常ではない熱が爆発した。
人間ではない、エリュシオンの演算で作られた機械の身体。
その構造を維持するための『霊子』を直接燃料として燃やし、限界を超えた出力を強制的に引き出す自壊システム。
「皆さん、気をつけてください……ッ!!」
「な、なによこれ……! 人間の気じゃないわよ!」
エステルさんが目を見開く。
魔導杖のセンサーを見たティオさんが、血相を変えて叫んだ。
「彼の身体から……度を越した霊子の放出が始まっています! 自らの身体を削って、エネルギーに変換しているんです……っ!」
限界を超えた霊子の燃焼が始まり、僕の身体から、キラキラと光る黄金の『命の粒子』がオーラとなって舞い上がり始めた。細胞が悲鳴を上げる激痛と、世界を容易く壊せそうな全能感が同時に全身を駆け巡る。
「ヨシュア、レン! みんなを庇って!」
「分かってる! エステルも気をつけて!」
「ロイド! キーアを安全な場所へ!」
「ああッ! キーア、俺から離れるな! 下がるんだ!」
ロイドさんに腕を引かれ、キーアが安全な後方へと下がっていくのが見えた。
(……よかった)
その姿を視界の端に捉え、僕は仮面の下でふっと安堵のため息を吐いた。
これなら、激戦の余波に彼女を巻き込む心配はない。
「――おおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
自身の命が燃え尽きていく音をかき消すように。
僕は喉が裂けんばかりのバトルクライの咆哮を上げ、クロスベルの英雄たちへ向けて、持てるすべての力を込めて踏み込んだ。