『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
リィンと別れ、あの隠し部屋の重い扉を背にした直後。
「……ッ、がぁっ……!」
再び、脳髄を直接焼け火箸で掻き回されるような、凄まじい痛みが戻ってきた。
イシュメルガの意識が完全に浮上し、俺のデータとのシステム上の致命的な摩擦(コンフリクト)が再開したのだ。
頭を両手で強く抑え込み、文字通り重い足を引きずるようにして、その場から遠ざかる。彼から距離を取れば、この干渉の痛みも幾分かは緩和されるはずだ。
なんとか這うようにして広大なバベルの内部を進み、人気のない無機質な通路の壁際までたどり着くと、俺は糸が切れたように崩れ落ちて座り込んだ。
「はぁっ……はぁっ……」
荒い息が、静かな通路に響く。
正直なところ、昼間に図書館前で特務支援課のみんなと繰り広げた死闘の疲労で、体力はとっくに限界ギリギリだった。
度を越した霊子燃焼による、シミュラクラとしての肉体の消耗も決して馬鹿にはならない。
ノバルティス博士は「あと一日程度は保つ」と言っていた。
だが、この痛みに耐えながら無理をして稼働させ続ければ、そのわずかなタイムリミットすら、いくらでも前倒しされてしまうだろう。
(……休まないと)
特務支援課の仲間たちと、キーアがここへやって来る。
彼女の悲しい後悔を終わらせるという、俺の存在意義である『約束』を果たすためにも、今は少しでも命を長らえさせなければ。
みんながこの塔に突入してくる、その時まで。
薄れゆく意識の中でそう強く念じながら、俺は冷たい金属の壁に背を預けたまま、泥のような深い眠りについた。
そして――翌日の15時。
ズゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
「――……!」
鼓膜を揺らすような凄まじい重低音と、塔全体を震わせるような振動で、俺は弾かれたように目を覚ました。
バベル内の各所で、巨大な金属が駆動する音と、けたたましいアラートが鳴り響いている。
この塔の内部プラントで生産されたであろう、無数の『魔煌機兵』たちが一斉に起動し、侵入者を迎撃するために動き出した音だ。
(……始まったか)
俺は軋む身体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がった。
かつて共に戦い、俺が憧れ続けた英雄たち。
彼らがついに、この絶望の塔へと足を踏み入れたのだ。
ゼムリア大陸の命運を懸けた、バベル事変。
その最後の幕が、今ここに切って落とされたのだった。
***
僕はノバルティス博士から手渡された無骨なスタンハルバードを握りしめ、
バベルの内部コンソールから彼らの侵入経路を割り出し、立ち塞がるべき場所を選んでいた。
巨大な隔壁の扉の前。
ひたすらに、その時が来るのを待つ。
――そして、ついに。
多数の慌ただしい足音が響き、目の前の巨大な扉が開け放たれた。
現れたのは、先ほどの行政区で激戦を交えた特務支援課と遊撃士たちの面々。
それに合流したのか、オリジナルのルーファスさんやナーディアの姿も見える。
(……ラピスやスウェンの姿は見当たらないな。別のルートへ向かったんだろうか)
正直なところ、あの時のように命を燃やしてこれだけの人数と渡り合う力は、今の僕にはもう残っていない。
立ち塞がったところで、数秒で制圧されて終わりだろう。のだけれど……。
「……アルシュ!」
「アルシュ君……ッ!」
仮面のない僕の姿を真っ先に確認したキーアとロイドさんが、悲痛な声で僕の本当の名前を呼んだ。
(さて、どうしたものかな……)
僕は弱く笑い、ハルバードを握ったまま、彼らの前へとゆっくり歩を進めようとした。
すると、その空気を察したのか。
ルーファスさんがスッと集団の前に歩み出て、静かに僕へ問うてきた。
「――今が、君の言っていたその『最後の時間』なのかな?」
「……っ、ふふっ」
僕は思わず、声に出して笑ってしまった。
「ええ。……その通りです」
あの拘置所前の森で、ラピスが「私は母親よ」と言い出した時もそうだったけれど。
言葉が詰まりそうな時に、さらっと完璧な助け舟を出してくれるこの人の圧倒的なまでの器の大きさに、可笑しさが込み上げてくる。
(……そりゃあ、あの偽物が勝てるわけがないよな)
「そうであるなら」
ルーファスさんは鷹揚に頷き、後ろにいるロイドたちへと視線を向けた。
「ここで君が相対すべきは、我々ではなく……特務支援課の諸君だろう」
「ええ。皆さんの道行きは、これ以上邪魔しません」
僕はハルバードを下ろし、ロイドさんたちを真っ直ぐに見据えた。
「支援課のみんなには……少しだけ、時間をいただけますか」
僕の静かな願いに、支援課のみんなは深く頷き、後ろの仲間たちへと振り返った。
「みんな、悪いが……ここは俺たちに任せて、先に行っていてくれないか」
「ええ。私たちが、彼とちゃんと話をつけなくちゃいけないから」
ここまで全力で刃を交え、彼らの間に何かしらのっぴきならない事情があることを汲み取った遊撃士や協力者の面々は、小さく頷き、先にある扉へと歩を進め始めた。
その途中。
僕の横を通り過ぎる際、彼らは立ち止まらずに言葉をかけてくれた。
「ふふっ。後悔のないようにね、アルシュ」
と、小悪魔のように微笑むレンさん。
「君の結末だ。心ゆくまでやりたまえ」
と、優雅な足取りのまま背中で語るルーファスさん。
彼らの見え透いた、けれど温かい気遣いに背中を押されながら。
やがて、広大な部屋の中には、特務支援課のロイドさん、エリィさん、ティオさん、ランディさん。そしてキーアと、僕だけが残された。
僕は、かつて大好きだった、そして今も憧れ続けている彼らの顔を一人一人見つめる。
そして、僕のただ一つの願いと、身勝手な我儘。
……エリュシオンに生み出された『アルシュ・グレイウッド』としての、最後のケジメをつけるため。
小さく息を吸い込み、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。