『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
僕と、特務支援課のみんな。そしてキーアだけが残された静かな広間。
僕があのカプセルから目覚めて、この世界で戦ってきたすべての理由。
それを今、ようやく果たすその時だった。
キーアが僕の方を見て、とても辛そうな表情をしている。
(……いっぱい心配かけたし、泣かせてしまったしな)
本当は君の抱える後悔を晴らしたいと願ってここまで来たのに、結果的に今日この場所に辿り着くまで、ずっと怖い思いと不安を抱かせてしまっていた。
僕は意を決して、彼らに向けてはっきりと口を開いた。
「僕はアルシュ。アルシュ・グレイウッド。……もう消え去った時間の中で死んだ、キーアの友達だった男です」
自分から『アルシュ』だと語った僕の言葉に、キーアがビクッと身体を震わせるのが見えた。
すると、ロイドさんが静かに口を挟む。
「キーアから、昨日聞いたよ。……かつて俺たちの代わりに、君が命を懸けてキーアを守ってくれた時間があったんだと」
その言葉を皮切りに、耐えきれなくなったようにキーアがふらふらと前に出た。
「ごめんなさい……っ! ごめんなさい、アルシュ……!!」
悲鳴のような、張り裂けそうな声だった。
「キーアがっ、キーアが……アルシュが死んじゃったことに、どうしても我慢ができなくて……っ!! だから……!」
泣きじゃくるその姿を見て、僕は(……やっぱり)と心の中で呟いた。
彼女は今もなお、あの『因果律の改変』という重すぎる後悔の十字架を一人で背負っている。
そしてきっと、勝手に僕の生きた証を無かったことにしてしまったのだと、僕がそのことをひどく怒って、恨んでいると思い込んでいるのだろう。
僕は、ゆっくりと彼女に向かって歩み寄った。
そして、かつての十歳の頃のように――彼女が大好きだったと言ってくれた、少し自信なさげな、けれど心からの優しい笑みを向けて、静かに語りかけた。
「キーア。そして、特務支援課の皆さん。……少しだけ、僕の話を聞いてもらえませんか」
僕のその柔らかい笑顔を見つめ、キーアはビクッと身体を震わせながらも、泣き顔のままこくりと小さく頷いた。
視線を上げると、ロイドさんたち支援課のみんなも、僕の言葉を真っ直ぐに受け止めるように、静かに深く頷いてくれていた。
僕はぽつぽつと、静かな広間に響くように言葉を紡ぎ始めた。
「今の僕は、本物のアルシュじゃない。あの『エリュシオン』という途方もないシステムによって演算され、過去の因果から再現された……人工的な存在です」
その事実は、すでに彼らも薄々感づいていただろう。
「僕はカプセルの中で目覚めた時……自分がここにいるのは、キーアが僕の死に対してどうしようもない『後悔』を抱いていて、それを何らかの形で読み取ったエリュシオンが、盤面の駒として僕を再現したのだと……そう思っていました」
それを聞いたキーアは、ビクッと肩を震わせ、さらに顔を歪めて俯いてしまう。
自分が彼を呼び覚ましたと自責の念が、痛いほど伝わってくる。
だからこそ、僕は彼女を安心させるように、うんと優しく微笑みかけた。
「でも、違ったんだ。……僕の中には、二つの記憶がある。マフィアに襲われて、十歳であの時に亡くなった記憶と……もう一つ」
僕は視線を上げ、ロイドさんたち支援課のみんなを見渡した。
「あの場所で死なずに、僕が僕として生き延びて……みんなの側で、二十歳まで成長した自分の記憶です」
僕は顔を上げ、特務支援課のみんなを一人一人、愛おしむように見つめながら語っていった。
「……ロイドさんにも、エリィさんにも、ティオさんにもお願いして、本当に色んなことを教えてもらって。ランディさんには、僕がへばるまでずっと、戦い方の基礎から何から叩き込んでもらいました」
僕の言葉に、ランディさんがハッと息を呑む。
「ここにはいないけれど、ワジさんやノエルさんにも体術や銃の扱い方を教わりました。……それから、僕の夢だった遊撃士になって、昇格試験のためにリベールへ行った時は、アガットさんやエステルさん、ヨシュアさん、レンさん……みんなにお世話になって、遊撃士として大切なことを数え切れないほど教わったんです」
かつてこの頭の中に流れ込んできた、存在しないはずの歴史。
エリュシオンが見せた単なる演算の羅列に過ぎないはずなのに、思い出すだけで心が温かくなる、僕の幸福な人生の記憶。
特務支援課のみんなは、言葉を失っていた。
「だから、か……」
ロイドさんが、震える声で零す。
「だからあの時、君の戦い方は……俺たちのすべてを……」
「ええ。全部、皆さんに教わったことですから」
僕は深く頷き、再びキーアへと視線を戻した。
彼女の大きなエメラルドの瞳からは、とめどなく大量の涙が溢れ出ている。
「これは、あの時死んだ僕の記憶とは違って、エリュシオンの演算の中だけで作られた『ありもしない歴史』です。……でも、この記憶は、ただの演算結果じゃない。単なる後悔だけじゃなくて……『僕とずっと一緒にいたい』っていう、君の温かい【願い】から生まれたんだって……ある人から、教えてもらいました」
ラピスが教えてくれた、エリュシオンが読み取った人間の心。
ただやり直したかっただけじゃない。
僕と共に生きて、笑い合いたかったという、キーアの純粋な願い。
それが、あの強くて幸福な『二十歳のアルシュ・グレイウッド』の姿を形作っていたのだ。
僕はゆっくりとキーアに近づき、十年の月日が作り出した背丈の差を埋めるため、彼女の目の前でそっと片膝をつき、視線を合わせた。
「色々と事情があって、結果的にみんなと敵対せざるを得なかったんだけど……僕が今、ここに立っている理由は、たった一つだよ」
「あ……るしゅ……」
「キーア。君がずっと一人で抱え込んできたその『後悔』をなくしたい。ずっと泣いてる君を助けたい。……君が僕を助けるためにしてくれたあの『やり直し』を、絶対に否定しなくていいんだって、君に直接伝えたかった。だから、僕はここにいるんだ」
君が世界を作り変えてしまったのは、君が優しすぎたからだ。
僕の命を、生きた証を無かったことにしてしまったと自分を責める必要なんて、どこにもない。だって君は、僕のことをそれほどまでに大切に想ってくれていたのだから。
「アルシュ……! アルシュゥゥゥッ!!」
堪えきれなくなったキーアが、大きな泣き声を上げながら僕の胸に飛び込んできた。
小さな両腕が、僕の背中に力強く回される。
「ごめんなさいっ……! ありがとう……っ、アルシュ……! キーア、ずっと、ずっとあいたかったよぉっ……!」
「うん……僕も、会いたかったよ。キーア」
僕の胸でしゃくり上げ、子どものように泣きじゃくる彼女の小さな身体を、僕は壊れ物を扱うようにゆっくりと、優しく抱きとめた。
シミュラクラの身体には、彼女の温もりと涙の熱さが、本物の人間と同じように、ひどく鮮明に伝わってくる。
僕は目を細め、泣き止むまでずっと、彼女の緑色の髪を愛おしそうに撫で続けた。