『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
戦いの後。仰向けに倒れ込んだ僕のもとへ、キーアが半泣きになりながら駆け寄ってくる。
少し遅れて、ランディさん、エリィさん、ティオさん、ロイドさんも慌てた様子でこちらへと向かってきた。
「アルシュ……ッ! アルシュ!」
「……ははっ。大丈夫、まだ大丈夫だよ」
心配そうに僕の顔を覗き込むキーアに向けて、僕は精一杯の笑みを返した。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、シミュラクラとしての身体はひどく重く、鉛のようになっている。けれど、今すぐ活動を停止して消え去ってしまうような、そんな極限状態には陥っていなかった。
僕はゆっくりと上体を起こし、ハルバードを下ろしたランディさんを見上げた。
「あぁ……やっぱり、勝てなかったなぁ……」
するとランディさんは、ふっと優しく破顔して、僕の頭にポンと大きな手を置いた。
「……いや。強くなったよ、アル坊」
それは、まるで十年前のあの頃のように――十歳の子どもだった僕に接するような、温かく包み込むような声だった。
「本当に、立派な騎士様になったわね」
エリィさんも、涙ぐみながら僕に微笑みかける。
「ええ。……歳も背丈も、すっかり追い越されてしまいましたが。本当に、立派になられました」
ティオさんも、存在しないはずの記憶を愛おしむように、穏やかな瞳で僕を見つめていた。
そして、ロイドさんが僕の目の前で片膝をついた。
「……あの時。俺たちの代わりに、命を懸けてキーアを守ってくれて、本当にありがとう。君だったから……君がそこにいてくれたから、キーアは今日まで笑っていられたんだ」
失われた歴史の真実。
決して思い出すはずのないその記憶が、魂の奥底で確かに繋がり、彼らにその言葉を紡がせていた。
「……っ」
温かい言葉の数々に、僕は堪えきれず涙を流し、「みなさん……本当に、ありがとうございました……!」と、絞り出すように感謝を告げた。
だが、感動に浸っている時間はない。
「皆さん……どうか、このまま奥へ向かってください」
僕は少し息を整え、ロイドさんたちに告げた。
「僕の我儘で、それなりの時間をここで使わせてしまいました。……そろそろ奥へ向かってもらわないと、あの呪いの決着に間に合わなくなるかもしれない」
僕の言葉に、みんなは心配そうに逡巡する表情を見せた。倒れた僕をここに置いていくことを躊躇っているのだ。
「大丈夫です」
僕はなんとか上半身を起こし、彼らに笑いかけた。
「まだ、今すぐ消えていなくなるほど消耗はしていませんから。……後で、またみんなでゆっくり話しましょう」
僕の強い意志を感じ取ったロイドさんは、小さく頷き、立ち上がった。
彼らが奥へ進む決意を固めたその時、キーアがロイドさんの袖をきゅっと掴んで声を上げた。
「……みんな、ごめんなさい」
キーアは僕とロイドさんを交互に見つめ、懇願するように言った。
「キーア、ここで……アルシュの傍にいてあげていい?」
ロイドさんは、少しだけ驚いたような顔をした後、すぐに柔らかく微笑んだ。
「わかった。……後で必ず、二人を迎えに来るからな」
「うんっ!」
ロイドさんは「アルシュ、キーアを頼む」と僕に視線で告げると、支援課のみんなを連れて身を翻した。
「無理しないで休んでてくださいね」
「待ってろよ、アル坊!」
それぞれが足早に言葉を残し、彼らは急ぐように、決戦が待つバベルのさらに奥へと駆けていった。
広間には再び、僕とキーアの二人だけが残されたのだった。
***
特務支援課のみんながバベルの奥へと去った後。
広間の冷たい金属の壁にもたれかかるようにして座り込んだ僕の隣に、キーアもちょこんと座り、僕たちはぽつぽつと色んなことを語り合った。
キーアが今日、ここに至るまでに過ごしてきた日々のこと。このクロスベルで起きた、たくさんの事件や出会い。
そして――
「あの日……世界をやり直して、『アルシュが死んだこと』だけじゃなくて、アルシュと出会ったことそのものを無かったことにしてしまったの」
キーアは自分の膝を抱きしめ、伏し目がちに語る。
「全部、キーアが弱かったから。……でも、誰にもそのことを言えなくて。……忘れたくなかったし、無かったことにしちゃいけない『自分の罰』として、ずっとこの胸の奥に隠してたの」
その震える小さな肩を、僕はゆっくりと引き寄せ、彼女の緑色の髪を優しく撫でながら答えた。
「……忘れないでいてくれて、ありがとう」
「え……?」
「キーアが『やり直し』をしてくれたから、今の僕は、平凡だけど幸せに生きている。遠目からだけど、今の世界の父さんと母さんを見たよ。……もしキーアがやり直してくれなかったら、僕はあのまま死んで、二人をずっと悲しませていただろうから」
僕の言葉に、キーアはハッとして顔を上げる。
「それにね。キーアが忘れないでいてくれたからこそ……今のシミュラクラの『僕』がここにいるんだよ。君は罰だって言ったけど、キーアが心の底で『僕に会いたい』『僕とずっと一緒にいたかった』って強く願ってくれたから」
僕は自分の胸に手を当てて、微笑んだ。
「僕には二十歳になった幸せな記憶が宿って、こうして君を苦しめる後悔をやっつけに、ここまで来ることができたんだ」
僕の言葉に、キーアは堪えきれなくなったようにポロポロと涙を零し、けれど今度は、本当に心の底からの安心した笑顔で「うん……っ!」と頷いてくれた。
それから彼女は、涙を拭って少しだけ首を傾げた。
「ねえ。……二十歳になったアルシュと、キーアは……どうしてたの?」
「んー……」
僕は少し困ったように笑った。
「僕も、全部の記憶がはっきり残ってるわけじゃないんだけどね。エリュシオンの演算だったからか、おぼろげなシルエットみたいな姿しか思い浮かばないし」
「えーっ」と少し不満そうに唇を尖らせるキーアに、僕は苦笑いしながら続けた。
「でも、これだけは確実だよ。成長したキーアは、すごく美人さんになってた」
「ほんと!?」
パァッと花が咲くように笑顔になる彼女。
「うん。……それに、ずっと僕の側にいてくれて、何度も何度も君に助けられた記憶が、ぼんやりとだけど残ってるんだ」
僕は懐かしい夢を思い出すように、目を細めた。
「僕が支援課のみんなに戦い方を教えてもらってる時、いつも横で応援してくれて。準遊撃士の試験に受かった時も、自分のことみたいに喜んでくれて……正遊撃士になるための試験でリベール王国へ行った時も、旅行代わりに二人で一緒に行って……アガットさんやレンさんたちに、散々からかって笑われたりしたっけ」
存在しないはずの、僕たちの温かい日々の記憶。
「だからね、キーア」
僕は真っ直ぐに、彼女のエメラルドの瞳を見つめた。
「十歳で死んでしまった僕も、二十歳まで生きた僕も。……ずっとずっと、君のことが大好きだったよ。だから、あの冷たいカプセルで目が覚めた時、一番最初に思ったことは……『君を助けたい』ってことだった」
僕の真っ直ぐな言葉を、キーアは一つ一つ、大切に宝箱へ仕舞うように噛み締めた。
そして、嬉しさと、もうすぐ訪れる別れの悲しさが混ざり合った涙を流しながら。
「……うん。キーアも、アルシュのこと……ずっと、ずっと大好きだよ」
最高の笑顔で、僕にそう告げてくれた。
――その時。
『ウゥゥゥゥゥーーーーッ!!』
突然、バベル全体を揺るがすような、不吉で巨大なサイレンの音が鳴り響いた。