『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
お姫様抱っこをするようにキーアをしっかりと腕の中に抱え込み、僕はバベルの無機質な通路を疾走していた。
「キーア、大丈夫? 揺れてごめんね」
走りながら視線を落として聞くと、彼女は僕の首に腕を回してしがみつきながら、「うん、大丈夫だよ!」と力強く答えてくれた。
その健気な声に、僕は少しだけ安心したように笑みを返し、エリュシオンの深層――中枢プラントへと至る道を駆け抜ける。
走りながら、今の自分の身体状態を冷静に鑑みる。
限界はとっくに超えている。
それでも、幸いにして今の僕の肉体は生身の人間ではなく、シミュラクラだからなのか。激しく霊子を消耗し、機能停止寸前のボロボロの身であっても、こうして『動く』こと自体にさほどの支障はなかった。
鉛のような身体の重さや、軋むような感覚はある。
それでも、十全とは程遠いにしても足は前に進むし、武器を振るうこともできそうだ。
(……生成完了まで、残り600秒といっていた)
おそらく、今から中枢へ辿り着いたとしても、システム上の生成プロセスそのものを止めることは出来ないだろう。
距離的にも、間に合うかどうかのギリギリの時間だ。
となると……生成された直後に、僕自身の手であの機体を完全に破壊しなくてはいけない。
一番の懸念材料は、その《エクスキャリバー》の性能を、僕自身がまったく知らないことだ。
あれは僕の『知識』として定着しているものではなく、エリュシオンによって演算された二十年分の歴史の断片から、システムが直接抽出しただけのオーバーテクノロジー。
未来の僕自身も、あの機体については遠目に見上げて名前を聞いただけで、直接関わることなんて一切なかったのだから。
だから、あのエリュシオンが「現行の魔煌機兵の性能を大幅に凌駕する」と判断して生成を急ぐ《エクスキャリバー》が、一体どれほどの化け物なのか、見当もつかなかった。
「……っ」
考えれば考えるほど絶望的な状況に、無意識のうちに僕の表情が険しくなっていたのだろう。腕の中のキーアが、不安そうに僕の顔を見上げていた。
「ごめん、大丈夫だよ」
僕は慌てて表情を緩め、彼女に向けて安心させるような笑顔を作った。
(ああ、そうだ。……『やれるか』じゃない。『やる』んだ)
俺が蒔いてしまった最悪の種だ。他の誰でもない、俺自身が刈り取らなければならない。
それに……。
(……最後の手段として、『ブーストアップ』がある)
ノバルティス博士が組み込んだ、霊子を過剰燃焼させる自滅機構。
次にあれを使えば、今度こそ完全に自壊するまで止まらないだろう。
それに、すでに限界を迎えている今のこの状態で使ったとして、何分……いや、何秒維持できるかさえ分からない。
使った瞬間に身体が耐えきれずに自壊して、戦う前に自滅なんてことになったら、それこそ目も当てられない。
(間違いなく、最後の最後の手段だな……)
それでも、もしそれであの未来の厄災と相打ちに持ち込めるのなら。
僕は静かな覚悟を胸に秘め、息を荒げながら、真っ赤なアラートが明滅する最深部への道を一心不乱に駆け下りていった。
***
エリュシオン最下層、中枢プラント。
事態は、文字通りゼムリア大陸の命運を懸けた最終局面を迎えていた。
最悪の呪いの中心である『イシュメルガ』は、すでにシステムたるエリュシオンから切り離され、二人のリィン・シュバルツァーを巡る因果は、ついに一つの終着点を迎えていた。
残滓であるリィンと分かたれ、この世界へ己の存在を強制的に確定させたイシュメルガ。
だが、奴が顕現させた禍々しき巨大な黒の騎神――『ゾア=ギルスティン』は、
行き場を失った大陸中の憎悪と呪いを際限なく撒き散らし、絶望的なまでの力の暴走を始めていた。
この『さかしまのバベル事変』を終わらせる最後の戦い。
集結した各国の英雄たちが一丸となり、世界を縛る最悪の呪いと決着をつけるべく、一斉に武器を構えて立ち向かおうとした、まさにその時だった。
「――みんな、上ッ!!」
突如、上空の異変を察知したラピスが悲痛な叫びを上げた。
直後。エリュシオン最下層の中枢プラントの天井が開き、巨大な質量が猛スピードで落下してくる。
ズドォォォォォォンッ!!
それは、ゾア=ギルスティンと英雄たちを挟み込むような位置に舞い降りた。
巻き上がる粉塵の中から姿を現したのは、白銀に輝く流線型の機体。
エリュシオンが弾き出した、この先の未来でカルバード共和国によって開発されるはずの超高性能アサルトフレーム――《エクスキャリバー》だった。
「な、なによ、これ……!?」
と、エステルが目を見張る。
「新型……!? いや、設計思想から装甲の材質まで、今までのどの機体ともまったく違う……!」
ヨシュアが、その異質な存在感に驚嘆の声を上げる。
「未来的なフォルム……信じられないほどの霊子出力……まさか……」
レンが目を見開き、その正体に思考を巡らせ。
「嘘……っ」
ラピスが、己が管理していたはずのシステムの底から現れた未知の厄災に、絶望の声を漏らした。
そのただならぬ動揺を嘲笑うように。
ゾア=ギルスティンから、世界を呪う泥のような、狂気じみた高笑いが響き渡った。
『――間に合った。間に合ったぞォッ!!』
イシュメルガの意志が、空間そのものを震わせて轟く。
『忌々しきエリュシオン最下層の不可視領域……! 我が敗北した先の未来、そこから連なる忌まわしき歴史のデータが、ついに我が手に落ちたのだ!』
「なんだと……!?」
ロイドが遊撃士たちを庇うようにトンファーを構え、鋭く睨みつける。
『あァ、そうだ。あの哀れな愚か者のおかげだ! 奴の存在自体が、我が敗北するという未来の証左。本来、エリュシオンが描き出せるのは、我が勝ち得た『黄昏』の未来のみであった。……だが、あの愚か者は、自らの存在を縛っていた鎖――特異点への執着を、己の意思で解き放ってくれたのだ!』
『自らの願いのために踊り狂い、我に未来の刃を差し出した道化! フハハハハハ、滑稽! じつに滑稽よなァ!!』
そのイシュメルガの狂気に満ちた言い様。
語られた内容の真意を即座に理解できた者は、ここに集まった者たちの半数もいなかった。
けれど。それが『誰』のことを指しているのかを知っている特務支援課の面々は――彼が己の命と存在意義を懸けて成し遂げた尊い覚悟を、あまりにも下劣な言葉で侮辱されたことを痛いほど理解した。
「……ッ!!」
それは、己の命を削ってまで愛する者を笑顔にしたアルシュに対する、これ以上ない最悪の侮辱だった。
ロイドも、ランディも、エリィも、ティオも。誰もが激しい怒りに顔を歪め、武器を握る手をギリッと強く、血が滲むほどに握りしめた。
だが、その怒りを彼らが爆発させるよりも早く。
――ダァンッ!!!
背後の空間から放たれた極太の狙撃弾が、ゾア=ギルスティンの巨大な頭部の装甲を正確に打ち抜いた。
「「「……!?」」」
不意の狙撃に、英雄たちも、そしてイシュメルガさえもが沈黙し、一斉に銃弾の飛んできた入り口の方へと視線を向ける。
そこには。
巨大な扉の入り口で、キーアを庇うように背後に隠し、大型導力ライフルへと変形させたスタンハルバードを真っ直ぐに構えたまま、肩で荒い息をする男の姿があった。
銃口からは、焼け焦げた白煙がゆらゆらと立ち上っている。
ボロボロの身体を引きずり、限界を超えた命の火を燃やして、アルシュは静かに、けれど明確な殺意を込めて吐き捨てた。
「――ごちゃごちゃうるせえよ、クソ野郎」