『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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嵐の日に②

激しい雨音と雷鳴が分厚い壁の向こうで轟く中、クロスベル大聖堂の一室には、温かで穏やかな空気が満ちていた。

 

「まあ、大変でしたね。でも、アルシュ君のおかげで傷も浅くて済みましたし、骨にも異常はありませんよ」

 

シスター・マーブルが手際よくリリの膝を消毒し、真っ白な包帯を巻いていく。

アルシュの迅速な判断のおかげで、リリの怪我は大事には至らなかった。

 

「痛いの、飛んでった?」

 

キーアがしゃがみ込んで顔を覗き込むと、リリは少しだけ照れくさそうに、こくりと頷いた。

 

窓の外を見やると、雨風はさらに勢いを増しているようだった。

分厚い雨雲のせいで、外はすっかり夜のように暗い。

 

「この嵐は、どうやら今日いっぱいは収まりそうにありませんね……」

 

シスター・マーブルは少し困ったように眉を下げるも、すぐに優しい笑みを浮かべて三人を振り返った。

 

「今日は無理をして帰らず、このまま大聖堂に泊まっていきなさい。

 ご家族には、ここから導力電話(オーバルギア)で連絡を入れましょう」

 

その提案に、リリはホッと胸を撫で下ろし、アルシュとキーアも顔を見合わせてコクリと頷いた。

 

礼拝堂の奥にある控え室で、三人は順番に導力電話を借りた。

アルシュが自宅に電話をかけると、案の定、肝っ玉母ちゃんが「無事でよかった!」と大声を上げ、父のアデルも電話口の奥で安堵のため息をついているのが聞こえた。

 

そして、キーアの番。現在の特務支援課ビルには、セルゲイ課長が留守番として残っているはずだ。

 

『……あぁ、特務支援課だ』

 

受話器の向こうから、少し気怠げで低い、セルゲイの声が響いた。

 

「あ、課長! キーアだよ! あのね、すごい雨だから、今日はシスターのところでアルシュたちとお泊まりすることになったの!」

 

『お泊りだぁ? ……まあ、こっちも酷い有様だからな。だが、怪我人がいるなら導力車(オーバルカー)を出して迎えに行ってやってもいいぞ』

 

ぶっきらぼうな口調だが、その奥には確かな気遣いが滲んでいる。しかし、キーアは元気よくかぶりを振った。

 

「ううん、大丈夫だよ! だって課長がビルを空けちゃったら、誰もいなくなっちゃうでしょ? ツァイトのご飯もあるし!」

 

『……ふん、一丁前に気遣いしやがって』

 

「それにね、みんなでお泊まり会みたいで、ちょっと楽しいから!」

 

電話口から、セルゲイの「やれやれ」という深いため息が聞こえてくる。

 

『……わかった。マーブル修道女や、アルシュたちに迷惑かけるんじゃないぞ。明日、雨が上がったら帰ってこい』

 

「はーい! 課長も戸締まり気をつけてね!」

 

連絡を終え、すっかり安心した三人は、シスター・マーブルの夕食の準備を手伝うことになった。

 

「それじゃあ、リリちゃんは足が痛いから、そこに座ったままお豆の筋取りをお願いできるかしら?」

 

「はいっ!」

 

「アルシュ君とキーアちゃんには、お野菜を洗うのをお願いね」

 

「任せてください、シスター!」

 

厨房は、まるで日曜学校の特別な課外学習のような、和気あいあいとした空気に包まれていた。

アルシュが少し重たい水の入ったボウルを運び、キーアが楽しそうに歌を口ずさみながら野菜を洗う。

怪我をして少ししょんぼりしていたリリも、二人の明るい様子と、自分にもできるお手伝いがあることにすっかり笑顔を取り戻していた。

 

「アルシュ、キャベツ洗えたよ! 次はどれ?」

 

「じゃあ、このニンジンをお願い。僕、こっちのジャガイモの泥を落とすから」

 

「うんっ! なんだか、本当にキャンプのお泊まりみたいでわくわくするね!」

 

外で吹き荒れる嵐の音も、今の三人にとっては、この温かい秘密基地のような空間を際立たせるためのBGMでしかない。

エプロン姿のキーアと並んでキッチンに立ちながら、アルシュはふと、先ほどまで感じていた緊張感――リリを背負って嵐の中を必死に走った焦燥感――が、すっかり心地よい達成感に変わっていることに気がついた。

 

(……僕、ちゃんとできた。)

 

小さな女の子を背負い、大好きな女の子と共に、安全な場所までたどり着けた。

 

そのちっぽけだけれど確かな事実が、アルシュの胸の奥に、ほんの少しの自信と誇りを与えてくれていた。

 

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