『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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エピローグ シャーリィとアルシュ

私は自分の頭に被っていた大掛かりなヘッドセットを取り外した。

電脳空間――エリュシオンの深層へと意識を飛ばしていたそれをコンソールに放り投げ、ふうと息を吐き出す。

そして、先ほどこの腕の中で泣きじゃくりながら消えていった、小さくて、誰よりも勇敢だった愛おしい『弟分』の最期に思いを馳せた。

 

「……終わったのかね」

 

背後から、不機嫌そうな、けれどどこか探るような声がかけられる。

私をこのクロスベルの地下施設へと呼び出した張本人――秘密結社《身喰らう蛇(ウロボロス)》の第六柱、F・ノバルティス博士だ。

 

「ええ。最後は綺麗さっぱり、光になって消えちゃったよ」

 

私は振り返り、肩をすくめながら言葉を返した。

 

「ふん、そうかね」

 

博士は全く興味がないとでも言うように鼻を鳴らす。

 

「しかし、言い出しっぺの私が言うのも何だが……結社の任務でもないのに、わざわざこんな所まで顔を出すとはね。《紅の戦鬼》もずいぶんと暇を持て余しているようだ」

 

「アハハ、博士が変な誘い方してくるからじゃん」

 

私は肩をすくめた。

 

別に、執行者(レギオン)としての仕事が入っていたわけではない。

『時間があるならクロスベルまで来ないかね。別に私としては君が来ようが来まいがどちらでも構わないのだがね』――そんな、来てほしいのか欲しくないのか分からない、ひねくれた通信が彼から入ったのだ。

 

特に予定もなく、本当に来る気もなかったのだが。

……この街、クロスベルには、私自身も理由が分からない『何か』――ずっと忘れてはいけない大切な忘れ物をしているような、小さなシコリが心の奥底にずっと残っていた。

だからこそ、その気まぐれな誘いが、私をわざわざこの街へと足を運ばせたのだろう。

 

「ま、アタシの方でもちょっと気になることがあったからね」

 

私は首の後ろで手を組みながら、博士を見た。

 

「にしてもさ。わざわざ呼び出されたと思ったら、いきなり『これを飲め』って怪しいカプセルを渡されるとは思わなかったけど」

 

薬。それが本当に物理的な薬だったのかは分からない。

だが、それを飲んだ瞬間、私の頭の中に『私が経験していないはずの歴史』が雪崩れ込んできたのだ。

クロスベルで、不器用ながらも必死に強くなろうしていた小さな男の子。

私が『弟分』として可愛がり、猟兵の技術を叩き込み、そして――ある日突然、理不尽に命を散らしてしまった、もう一つの歴史の記憶。

 

「ふん。エリュシオンが内包する『別の可能性の歴史』。その膨大なデータを抽出し、直接人間の脳内に定着させればどうなるか……そのささやかな臨床実験に過ぎんよ」

博士は忌々しげに眼鏡を押し上げながら、そっぽを向いて答える。

その、普段の『純粋な探求者』とはどこか違う、妙に言い訳がましい態度。

 

普段はどんな事象にも狂気的な探求心を見せるこの博士が、どこか歯切れが悪く、言い訳じみた口調になっている。

 

(アハハ、あの馬鹿で真っ直ぐな弟分も、随分とこのイカれたジジイに気に入られてたみたいだね)

 

その不器用な態度に、私は可笑しくなって思わず声を上げて笑いそうになった。

 

「ま、何にせよ感謝してるよ、博士」

 

私は踵を返し、出口へと向かいながら手をヒラヒラと振った。

 

「おかげで、ずっと引っかかってた『忘れ物』を、ちゃんと思い出せたからさ」

「……ふん」

 

博士はそれ以上何も言わず、ただ短く鼻を鳴らしただけだった。

 

私は研究所の重い扉を開け、外の空気を深く吸い込んだ。

解放されたクロスベルの街は、新しい未来に向けて活気づいている。私は愛用のチェーンソーライフル(テスタ=ロッサ)を肩に担ぎ直し、軽快な足取りで街へと歩き出した。

 

***

 

アタシは一人、クロスベルの街をブラブラと歩いていた。

直接この街のゴタゴタに関わることはなかったけれど、あの『統一国』の騒動を乗り越えたばかりの街角には、いまだ各所にその爪痕や物々しい空気が残っている。それでも、道行く人々の顔はどこか明るく、街は少しずつ元の活気を取り戻そうとしているのが肌で感じられた。

 

そんな風に、何気なく大通りを歩いていた時だった。

 

ふと、視界の端に見覚えのある後ろ姿が映った。

……あの子だ。

この歴史とは違う、失われた過去の歴史の中で命を落とした、アタシの弟分。

つい先ほど、電子の深い海の底で笑って看取ったばかりのあの少年が、ごく普通のクロスベルの少年として、そこに立っていた。

 

その背中を見た瞬間。

アタシはふと、ポケットの中に入っている『ある物』の存在を思い出した。

なぜかずっと、捨てるに捨てられずに持ち歩いていた、古いガラクタ。

……さっき博士に記憶を植え付けられて、ようやくその理由が分かった代物だ。

 

アタシは歩み寄り、彼にひょいっと声をかけた。

 

「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「はい、なんですか?」

 

振り返った少年は、屈託のない表情でアタシを見た。

頭の中に詰め込まれた凄惨な過去の記憶と、今目の前にいる平和そのものな彼の姿のギャップに、アタシは思わず吹き出しそうになるのをグッと堪えた。

 

「悪いんだけどさ、歓楽街ってどっちの方へ行ったらいいか教えてくれる?」

「あ、歓楽街ですね。ここを真っ直ぐ行って、あそこの交差点を右に曲がると見えてきますよ」

 

少年は、見ず知らずの猟兵上がりの女に対して警戒する様子もなく、笑顔でとても丁寧に道を説明してくれた。

 

「そっか、ありがと。……これ、お礼にあげるよ」

 

アタシはポケットからそれを取り出し、彼の手の上にポンと乗せた。

それは、消えた歴史の中で、アタシが彼にあげたのと同じ『古いオーブメント』。

戦術殻の進化が早い今の時代からすれば、当時以上に型落ちしていて、もはやアンティークと言ってもいいほどの年代物だ。

 

「えっと……いいんですか? こんな立派なもの……」

 

彼は目を丸くして、戸惑いながらも意外なほど嬉しそうにそれを両手で包み込んだ。

 

「うん。もう古いし、アタシには必要ないからね。要らなくなったら、その辺に捨てちゃってもいいよ」

「ううん、そんなことしません。……大事にしますね!」

 

彼が満面の笑みでそう言った瞬間、アタシはあっけにとられて、今度こそ本当に小さく笑ってしまった。

アタシが電子の海で看取った幼いあの姿から、三年は経って背も伸びているというのに。無邪気に笑うその表情も、真っ直ぐな瞳も、あまりにも昔のまま変わっていなかったからだ。

 

「そ。……じゃあね」

 

アタシは踵を返し、歩き出そうとして。

別れ際、背中越しに一言だけ、彼に声をかけた。

 

「――長生きしなよ、アルシュ」

 

「……はい! ……あれ?」

 

背後から、彼が首を傾げる気配がした。

 

「僕、お姉さんに名前……言いましたっけ……?」

 

頭の上にクエスチョンマークを浮かべて困惑している彼の呟きが聞こえたけれど。

アタシは振り返らず、ただ口角をニッと吊り上げて、足取りも軽く歓楽街の方へと歩を進めた。

 

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