『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
NO END NO WORLD
気づけば、僕は深く冷たい海の底にいた。
水ではなく、無数の『0』と『1』の羅列で構成された、果てのない電子の海。
自分が何者なのか、ここがどこなのかもわからないまま、僕はただ思考の残滓として揺蕩っていた。
しかし、少しずつ。
欠落していたパズルのピースが埋まるように、あるいはバラバラに砕け散ったガラスが元の形を取り戻すように、『僕』という存在が再構築されていく。
僕は……。
「――はっ!?」
唐突に、意識が覚醒した。
心地よく電子の海で揺蕩っていたところに、突然熱湯を頭からぶちまけられたような凄まじいショックを覚え、僕はガバッと勢いよく上体を起こした。
「ハァッ……ハァッ……あれ?」
身体が動く。明らかに『実体』を動かしているという生々しい感覚。
僕は自分の両手を握ったり開いたりしながら、慌てて自分の身体を見渡した。
間違いない。
あのバベルの塔で限界を迎えて崩壊したはずの、二十歳の僕の身体だ。
意識もはっきりしている。電子の海で大好きな姉さんに看取られ、安らかに無に還っていったはずの、『アルシュ・グレイウッド』の意識そのものだった。
「どういう……ことだ? 僕は確かに、消え去ったはずじゃ……」
僕自身がなぜ生きているのか。自問自答の海に沈みかけた、その時。
「ふむ。無事に目覚めたようだな」
真隣から、酷く聞き覚えのある、神経を逆撫でするような声が聞こえた。
ギギギ……と錆びついた機械のように首を向けると。
そこには、こちらを注視するでもなく、手元のコンソールでの作業に没頭している白衣の老人――結社《身喰らう蛇》の第六柱、F・ノバルティス博士の姿があった。
あまりにも異常で予想外の事態に、僕の頭は完全にフリーズしていたが……とりあえず、状況を確認するために彼に声をかけた。
「は、博士……? 僕は確か、シミュラクラの身体は限界を迎えて崩壊して、意識もエリュシオンの中で消滅した……はずなんですが」
すると博士は、キーボードを叩く手を止めることなく、さも当然のように頷いた。
「うむ。間違っておらんよ」
「…………はい?」
心の中に、巨大なクエスチョンマークが浮かび上がる。
死んだのが間違いないなら、じゃあ、今のこの状態とこの身体は一体何なんだ。
「君の使っていた再現体を少し弄らせてもらったがね。あの戦闘データのおかげで、シミュラクラとしての技術は私の中でおおよそ確立された。今の君の身体も、以前と変わらないはずだ」
博士は振り返り、悪びれもせず得意げに笑った。
「意識の方も、元々シミュラクラの中に入れていたものだからな。エリュシオンの残滓からサルベージするのは、比較的容易だったよ」
「り、理解が追いつかないんですが……っ!? 新たに作られた肉体に、僕の意識をサルベージして入れた……!?」
僕が目を剥いて驚愕すると、事態を全く把握していない僕を見て、博士は逆に呆れたように肩をすくめた。
「君の未来の記憶を、まだ『全てはさらい切れていない』と伝えただろう?」
「あ……」
その言葉で、僕は思い出した。
バベルの塔に向かう前、このマッドサイエンティストから結社に誘われた時のことを。
「いや、ちょっと待ってください! 俺、あの時アンタの誘いをはっきり『断った』よね、博士!?」
僕が抗議の声を上げると、博士は口の端を吊り上げ、最高に悪どい笑みを浮かべた。
「ふん。確かに断っていたがね。……別にそれを、私が馬鹿正直に聞いてやる必要はあるまい?」
「なっ……」
「第一、君の中に眠る知識は『十年分』だと言うが、私の見立てでは、正直まだ三〜四年先の記憶しか探り出せていないのだ。君の脳内には、まだ未知の未来の知識が大量に眠っている。……そんな極上の実験材料を、みすみす捨ててやるわけがなかろう?」
どこまでも己の探求心と欲望に忠実な、結社の使徒としての狂気の理屈。
僕の尊い自己犠牲も、美しいお別れの余韻も、彼にとっては『データの取りこぼしを防ぐためのバックアップ作業』の過程でしかなかったのだ。
「な、なんて滅茶苦茶な言い分だ……」
僕は頭を抱え、深々とため息をついた。
正直、あのバベルの塔で完璧に死んで、綺麗に消え去る予定だった自分が、なぜ今ここでのうのうと生きているのか。困惑のあまり頭がパンクしそうだった。
第一、だ。
(あんな、小さな子供の姿になって……姉さんに抱きついて泣きじゃくって消えていったんだぞ、俺……ッ!)
極限状態だったとはいえ、意識が二十歳の青年の状態に完全に戻っている今、あの時の自分の行動を冷静に振り返ると、あまりの恥ずかしさに顔から火が出て、カプセルの中でジタバタと悶え転げ回ってしまいそうになる。
「はぁ……」
この、お節介なのか狂気の沙汰なのかよく分からない形で生き延びてしまった今の自分を、これからどうしてくれようか。
深い溜息をつき、とりあえずカプセルから立ち上がろうとした、その時だった。
プシュゥゥ、と。
博士のラボの重厚な扉が、自動で横にスライドして開いた。
「博士、呼ばれたけど何の用……」
不機嫌そうに入ってきたその声の主を見て、僕は心臓が止まるかと思った。
つい先程……いや、現実世界でどれくらい時間が経っているのかは分からないが。
あの電子の海で、僕の最後を看取ってくれた『姉さん』――シャーリィ・オルランドがそこに立っていたのだ。
その後ろには、金髪の整った顔立ちをした青年の姿もある。
あまりの衝撃に、僕はカプセルの縁に手をついたまま完全に絶句してしまった。
部屋に入ってきた姉さんも、カプセルから上半身を起こしている僕の姿を視界に捉えた瞬間、時が止まったようにピタリと停止した。
「…………」
「…………」
数秒の、永遠にも似た重苦しい沈黙。
やがて姉さんは、スタスタ、と。ヒールの音を響かせて、一直線にこちらへ向かって歩いてきた。
カプセルに張り付いている僕の傍まで来ると、彼女は一切の感情が籠っていないような、氷のように冷たく無表情な顔で僕を見下ろした。
「……アルシュ?」
「…………ッ」
僕は、コクコクと首が千切れるほどの勢いで縦に振って応えた。
ここで何か余計な声を出そうものなら、今すぐ首をへし折られて本当に殺されそうな、尋常ではないプレッシャーを感じていたからだ。
スッ、と。姉さんが両手を伸ばしてきた。
そして、次の瞬間。
「ぎゃあっ!?」
僕の両頬を容赦なくガシッと掴み、そのまま横に向かって限界まで思いっきり引っ張り上げたのだ。
「いっ、いひゃい! いひゃひゃひゃひゃひゃ!」
強化されたはずのシミュラクラの身体が千切れそうなほどの激痛に、僕は声にならない情けない悲鳴を上げる。
だが、姉さんの制裁はそれだけでは終わらなかった。
「んんっ……!」
頬を限界まで引っ張ったまま、姉さんは自らの額を少し後ろに引き――。
ゴツンッッ!!!
「ぐえあっ!?」
眼の前に星が飛ぶような、強烈極まりない頭突きが僕の額にクリーンヒットした。
僕はたまらずカプセルの中で後ろに仰け反り、痛む額を両手で押さえて蹲る。
「はぁ……」
姉さんは大きく息を吐き出すと、少し怒ったような、呆れたような、複雑な表情で僕を見下ろした。
「どういうこと? アンタ、さっきアタシの腕の中で感動的にお別れしたばっかりじゃん。なんでピンピンしてんのさ」
「い、いや! 僕だってあの場で綺麗に死んだつもりだったんだよ!」
僕は額をさすりながら、必死に弁明した。
「……でも、なんか知らないけど、気づいたらここで目が覚めてて! 全部そこのマッドサイエンティストのせいなんだってば!」
僕が涙目でノバルティス博士を指差すと、姉さんの鋭い視線が、コンソールに向かったままの博士へと向けられた。
姉さんが、この世の終わりのようなものすごく機嫌の悪い表情で、ゆっくりとノバルティス博士の方へ顔を向けた。
「……ねえ、博士ェ?」
地を這うような低い声。
しかし博士は、そんな姉さんの殺気など意に介さない様子で「やれやれ」と肩をすくめ、先ほど僕に語ったのと同じ――『未来のデータが惜しいからサルベージして身体に戻した』という、狂気に満ちた言い訳を堂々と並べ立てた。
説明を聞いている間、姉さんの顔は見る見るうちに引きつり、額には青筋が浮かび、明らかに限界まで怒りを堪えているのが分かった。
そして、博士が「というわけだ。感謝したまえ」と説明を終えた、次の瞬間。
「……アンタねぇッ!!」
姉さんはどこからともなく、僕がさっきまで使っていたのと同じ、いや、彼女の愛用するオリジナルの方の凶悪なチェーンソー付き大型ライフル『テスタ=ロッサ』を取り出し、迷うことなく博士の鼻先に銃口を突きつけた。
「アタシのあの『ホロリと来ちゃった感動』と『流した涙』を返しなさいよ、このクソジジイッ!!」
「ま、待ちたまえ《戦鬼》! 私はただ科学的探究心から――ヒィッ!? チェーンソーは回すんじゃない!!」
ギャリギャリギャリッ!!という凄まじい駆動音と共に、怒り狂う姉さんがテスタ=ロッサを振り回し、博士が白衣を翻して無様にラボの中を逃げ惑い始めた。
(……うわぁ、姉さんマジでブチギレてるな……)
死にかけてサルベージされた僕ですらドン引きするほどの怒り狂いっぷりだ。博士が必死に釈明(という名の命乞い)を叫んでいるが、全く聞く耳を持たれていない。
そんな、血で血を洗う大惨事が繰り広げられるラボの片隅で。
ずっと姉さんの後ろに控えていた金髪の青年が、ふうっと小さく溜息をついてから、カプセルから半身を出している僕の方へと近づいてきた。
「初めまして。……ずいぶんと、災難だったみたいだね」
どこか育ちの良さを感じさせる柔和な表情で、彼は静かに語りかけてきた。
「……あはは、まあね。君は?」
「セドリック。……今はただの、セドリックです」
彼が名乗ったその『ただの』という言い回しに、少しだけ引っかかるものを感じた。過去に重い何かを捨ててきたかのような、そんな響き。
だが、それを言えば、未来の滅びの歴史から一人だけサルベージされ、死に損なってここにいる僕の事情も十分に複雑で、意味不明だ。
「そっか。僕はアルシュ。アルシュ・グレイウッドだ」
僕が名前を名乗ると、彼は小さく頷いた。
姉さんが「逃がすかジジイッ!」と咆哮しながら博士を追い回しているBGMを背に、僕とセドリックは、なぜか妙に落ち着いた空気の中で、お互いの事情をぽつぽつと簡単に話し合い始めた。
驚いたことに、彼もまた僕と同じように、姉さんから戦闘の『しごき(という名の地獄の特訓)』を受けている身らしい。
「彼女のしごきは理不尽だけれど……それでも、それだけじゃないように感じて」
と、彼は少し照れたように笑った。
理不尽な暴力と無茶苦茶な振る舞い。それでも彼女の持つ圧倒的な強さと、裏表のない自由な生き方に、どこか憧れと羨望を抱いてしまう。
そんな、同じ人間に振り回され、同じように彼女に魅せられてしまった者同士の、奇妙なシンパシーを感じたのだろうか。
「……なんか、苦労するね、お互いに」
「ふふっ、本当にね。でも、君がいてくれて少し心強いよ」
「よろしくな、セドリック」
「ああ、よろしく。アルシュ」
僕たちは自然と手を伸ばし、固い握手を交わした。
後から聞いた話によると、彼もまた《身喰らう蛇》の『執行者』のナンバーを与えられているらしい。
(結社の執行者って、もっとヤバい変人ばかりだと思ってたけど……)
目の前の常識的で柔和な青年を見て、僕は少しだけ結社に対する認識を改めた。……まあ、背後でチェーンソーを振り回している赤い髪の執行者と、命乞いをしている使徒の姿を見れば、やっぱり変人の集まりであることには変わりないのだけれど。
嵐のような騒ぎがひとしきり収まった後。
ボロボロになったラボの片隅で、壁にもたれかかった姉さんが、テスタ=ロッサを弄りながら僕に向かって聞いてきた。
「で? 死に損ないのアルシュ君は、これからどうすんのさ」
その問いに、僕は少しだけ言葉に詰まった。
実際、僕の命と役割は、あのバベルの塔で完全に終わっていたはずなのだ。
僕が生きるべきだった未来の歴史はもう存在せず、僕が存在を賭けて守りたかった過去の清算も、すでに終わっている。
だから、明確に「これからこれをやる」という目標を、すぐに見出すことなどできなかった。
……けれど。
「とりあえず……当面は、博士と、姉さんの仕事の『お手伝い』でもしますよ」
僕は苦笑しながら、そう答えた。
姉さんの理不尽な癇癪からなんとか生き延び、白衣を焦がしてボロボロになった博士が、チッと舌打ちをして「ふん」と鼻を鳴らした。
「へー」
姉さんは目を丸くし、面白そうにニヤリと笑った。
「あの子……キーアのところには、行かないんだ?」
その名前に、僕の胸の奥で小さく何かが軋んだ。
キーア。
僕という存在が生まれた意味そのものであり、誰よりも幸せになってほしかった女の子。
正直に言えば、思うところはもちろんある。遠くからでも一目、今の彼女が笑っている姿を見たいという未練がないと言えば嘘になる。
だからといって、僕というイレギュラーな存在が、これ以上彼女の人生に直接関わるのはよくないだろうと思っていた。
「……あの子のことだから。きっと、僕の最期の願いを聞き入れて、今の僕と友だちになってくれているはずです」
僕は静かに、自分に言い聞かせるように語った。
「なら、死んだはずの未来の僕がのこのこ顔を出したら、ただ邪魔になるだけでしょうしね」
彼女には、この新しい平和な歴史の中で、まっさらな『アルシュ・グレイウッド』と新しい絆を築いていってほしい。
そこに、僕という重い過去の残滓が介入するべきではないのだ。
「だから、これ以上、僕が出しゃばるべきじゃないでしょう。……まあ、あの子の身に何か、とてつもなく大きな問題でも起きない限りは、僕が表舞台に出るつもりはもうありませんよ」
「そ」
姉さんは僕の決意を聞いて、どこか満足そうに、嬉しそうに笑顔で応えてくれた。
「ま、僕も一応は元・遊撃士なんで。正式に結社に所属して悪事の片棒を担ぐっていうのも、ちょっと気持ち的に引っかかるところはありますしね」
僕は肩をすくめてみせた。
「あくまでも『お手伝い』ってことで。これからのことは、自分のペースでゆっくり考えていきますよ」
「アハハ! いいね、その図々しさ。アタシの弟分ならそれくらいじゃないとね!」
姉さんが豪快に笑い、隣でセドリックも小さく微笑んでいた。
本来あるべきだった『終わり』は否定され、僕が生きるはずだった未来の『世界』も消滅してしまった。
僕は、どこにも属さない、歴史からあぶれた迷子のような存在だ。
それでも、こうして命が続いていくのなら。
この二度目の人生で、また新しい『生きる意味』をゆっくり探していけばいい。
もう二度と、直接会うことはないであろう、遠い空の下にいる大好きなあの娘に。
いつかどこかで顔向けしても恥ずかしくないような、胸を張れる生き方をしながら。
以上で完結となります。ご愛読ありがとうございました。
初めての作品で拙い描写でしたが、お付き合いありがとうございます。
一応終わりの予定ですが、おまけから続けるならラピス関連で黎2編は書けるなと考えてるけど
キーアかかわらなくなるから、アルシュ的に書くのもどうかなとも思うので気が向いたらです。
なにかまた書くことがあればよろしくお願いします。
良ければ評価、感想いただけると幸いです。ありがとうございました