『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
手合わせを終え、俺はセドリックのもとへ歩み寄り、治癒のアーツで応急処置を施した。
「怪我の具合は? 痛みは残ってるか?」
「いえ、問題ありません。ありがとうございます」
セドリックは少しだけ顔をしかめながらも、気丈に笑って答えた。
本気の手合わせだった以上、手加減や謝罪はかえって失礼になる。俺は「そっか」とだけ返し、手を離した。
「それにしても、大変勉強になりました」
立ち上がりながら、セドリックは少しだけ苦笑いを浮かべた。
「アルシュは元遊撃士だと聞いていたので、もっとこう……正々堂々とした剣を想像していたんですが。なんていうか、やり口が大分悪辣というか、イメージが違いましたね」
「う……」
痛いところを突かれ、俺は思わず顔をしかめる。
確かに、俺は様々な技術や、剣術も身につけてきた。
だが、遊撃士としての心構えはともかく戦闘における根本的なベース――「考え方」の根幹は、間違いなく幼い頃に姉さんに仕込まれたものがベースになっている。
「あっはっはっはっは!」
背後から、遠慮のない高笑いが響いた。
見学していた姉さん――シャーリィが、壁から背中を離してこちらへ歩み寄ってくる。
「いやー、あの弱っちかった坊やが、いっちょ前にこんな戦い方をするようになるとはねぇ~。アタシもびっくりだよ」
「坊やは勘弁してくれ……」
ニヤニヤと笑いながら俺の肩をバンバンと叩いてくる姉さんに、俺はため息をついた。
その時、ふと疑問が頭を過った。
再会してからというもの、目の前の彼女があまりにも自然に『俺の姉さん』として接してくるものだから、ちゃんと聞いていなかったのだ。
「姉さん、その……俺に関する記憶って、どうなってんの?」
俺が演算上の存在である以上、本来の彼女には俺と過ごした記憶はないはずだ。
その疑問に、姉さんはあっけらかんと答えた。
「ん? ああ……多分、大体は頭の中に突っ込まれたんじゃないかな」
「突っ込まれた?」
「そうそう。博士のジジイにさ、『ちょっとした臨床実験だ』とか言って怪しいカプセル飲まされたの。そしたらさ……」
姉さんの口から語られたのは、耳を疑うような事実だった。
薬を飲んだ瞬間、彼女の脳内に『自分が経験していないはずの歴史』が流れ込んできたのだという。
数年前のクロスベルで、ガレスと一緒に不器用な少年に訓練をつけていた約一ヶ月間の記憶。それは単なる知識ではなく、確かな『実感』を伴う記憶として彼女の脳に定着したらしい。
「ま、まったく別の記憶が急に溢れ出してきたせいで、二つの記憶がごっちゃになっちゃってさ。一時期はさすがのアタシもちょっと混乱したけどね」
「あー……」
笑い飛ばしているが、それは奇しくも、あのバベル事変で俺が経験した『子供の俺と大人の俺の意識が混在する』という状況と全く同じものだった。
博士の仕業だとすれば、エリュシオンの演算データを無理やり彼女の脳に上書きしたのだろう。
「ま、そういうわけだから安心しなよ」
姉さんは顔を近づけ、からかうような、それでいて底意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたのあの頃の『恥ずかしい記憶』も、バッチリ思い出してあげたからさ」
「っっ……!」
十年前の子供時代、俺は彼女の前で相当恥ずかしい言動を連発していた記憶がある。それがすべて筒抜けになっていると思うと、顔から火が出そうだった。
「……勘弁してくれ」
「アハハハハ! 今更照れちゃって、可愛いとこあるじゃん!」
豪快に笑う姉さんを見つめながら、俺は内心でぼやく。
再現されたこのシミュラクラの俺は二十一歳。
年齢的には、目の前の姉さんよりも年上になっているはずなのだ。
にもかかわらず、この人には一生勝てる気がしない。
というより、当時の記憶が定着しているせいか、どうにも俺に対して「子供を相手にする」みたいに接してくる節がある。
(まあ……)
そう思いながらも。
失った過去の中で、ずっとずっと焦がれ続けていた「姉さん」のそばにいられる今のこの時間を。
俺は、そう嫌いでもなかった。
***
「で、話は戻るけどさ」
ひとしきり俺をからかって満足したのか、姉さんは話題を切り替えるように、俺とセドリックを交互に見た。
そして、ニヤリと意味深な笑みを浮かべて口を開く。
「アルシュの戦術に関してはさ。技術が先にあるんじゃなくて、思考が先にあるんじゃない?」
「……思考が、ですか?」
セドリックが首を傾げると、姉さんは俺の顔を指差して見せた。
「そう。やりたいことは全部、手当たり次第に取り入れて。たくさん考えながら、それでもなお即断する。……だっけ?」
それは、かつて幼い頃の俺に、姉さん自身が教えてくれた言葉だった。
当時の記憶が蘇ったからこそ出てきたその言葉に、俺は「ハイハイ、その通りですよ」とばかりに、少しだけ自嘲気味に顔だけで頷いてみせた。
「俺は、そうだな……」
俺はセドリックの方へ向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「小さい頃は強くなるために、それこそ手が動かなくなるまでひたすら木剣の素振りなんかを繰り返したものだけど……どうも俺には、純粋な剣の才能はあまりなかったみたいでね」
もちろん、人並み以上には扱える自負はある。
だが、その道の卓越した使い手――それこそ、目の前にいるセドリックの強靭な剛剣や、これまで出会ってきた怪物たちの領域には、逆立ちしたって及ばない。
剣を振るという純粋な技術や技量、その一点だけを比べるなら、俺はセドリックにも遠く及ばないのだ。
「で、まあ。さっき姉さんが言った通りですよ。どんな達人だろうと、剣の腕なんて強さの指標の一つに過ぎない」
セドリックがハッとして俺の顔を見る。
「それ以外の方法でも、そういった人間を凌駕することはできる。……そう教えられたからね」
俺が姉さんの方を見やりながらそう言うと、彼女は「アタシの教えが良かったからね」と言わんばかりに、腕を組んでどこか得意げな表情を浮かべていた。
セドリックは、その言葉の意味を自分なりに反芻するように、「ふむ」と深く頷いている。
「だから、色んな事を必死に学んだよ。幸い、師匠には恵まれていたからね。」
そして――。
(大好きなあの娘を、守るために)
心の中で、ただ一つ、誰にも譲れない理由を付け加えた。
遠い空の下で、きっと今日も元気に笑っているであろう、キーアの顔を少しだけ思い浮かべながら。
「まあ、そんな感じだよ」
俺は苦笑交じりに肩をすくめ、セドリックに言葉を返した。
セドリックはしばらくの間、自分の手のひらをじっと見つめていたが、やがて顔を上げてまっすぐにこちらを見た。
「……とても、参考になりました。元遊撃士という言葉のイメージや、僕が今まで知り合ってきたどんな人間と比べても、少し面食らったのは事実ですが」
そう言って、彼は再び押し黙った。
何かを深く考えているのか、あるいは今しがた肌で感じたアルシュの泥臭い強さと、自分が目指すべき武の在り方を比べているのだろうか。
(……セドリックは、どうしてそこまで強くなりたいんだろうな)
ふと、そんな疑問が頭を過った。
執行者という括りの中にいながら、彼はあまりにも真っ当に足掻いている。
その理由が知りたくて、少しだけ尋ねるべきか逡巡したのだが――セドリックは俺の視線に気づいたのか、自嘲気味な笑みを浮かべて自ら語り始めた。
「執行者としてナンバーを与えられたとはいえ、自分はまだまだ半端者であり、未熟者です。……今でもふとした拍子に、かつての傲慢で我儘だった自分が顔を覗かせそうになる」
彼の声音には、己の弱さに対する冷徹なまでの客観性があった。
「僕はもはや、正道を歩める身ではありません。それは分かっています。……それでも、かつて己の欲と心の弱さゆえに裏切ってしまった親友や家族、そして、憧れだったあの人たち……」
「もし僕がこの場所で無様を晒し続けるようなことがあれば、それは彼らをさらに貶めることになる。それだけは……自分で自分が許せないんです。せめて、彼らを侮辱することのないように。胸を張って、自分だけは自分を肯定できるように――僕は強くありたい」
痛切な、けれど決して折れることのない確かな意志。
それを聞いて、俺は、事情も立場も何もかもが違う彼に対して、確かな共感を覚えた。
意図しない形で命を繋ぎ、もう一度世界に生み出された、この身体。
もう二度と会うことがないとしても、あの娘に対して恥じない自分でいたい。胸を張っていられる生き方をしようと、心に決めた想い。
セドリックの歪で、けれどあまりに一途な足掻き方は、俺が胸に抱き続けるものと、どこか深く似通っていた。
「――そっか」
俺はセドリックを見て、小さく微笑んだ。
「俺でよかったら、こんなことでよければ……いくらでも付き合うよ」
「! ……ええ。ありがとうございます」
パッと顔を上げ、清々しい笑顔で答える彼には、過去の罪に潰されることなく、必死でもがき足掻こうとする一人の人間としての、泥臭くも眩しい姿があった。
いい顔をするようになったな、と内心で感心していると、空気が少し和らいだのを感じたのか、セドリックがふと好奇心に駆られたように尋ねてきた。
「そういえば参考までに……アルシュは昔、どんな訓練を教わっていたんですか?」
「え?」
「おっ、よくぞ聞いてくれました!」
俺が嫌な予感に固まったのを見て、横から姉さんが嬉々として口を挟んできた。
「いやー、あれはアタシも楽しかったねぇ。十歳だったあの頃のコイツに対して、回復アーツで無理やり治療しながらさ!」
「ちょっ、姉さん……」
制止も聞かず、姉さんは当時の『訓練』と称した地獄を上機嫌で語り始めた。
恐怖を心底から殺して、死線の動きに対処できるようになるまで――顔面や急所スレスレの寸止め攻撃を何百十回、何百回と繰り返す。
そして、その極限状態の中に時折フェイントを混ぜて『本気の打撃』を腹に叩き込み、胃の中のものを床にぶちまけさせる。
それを、日が暮れるまで、何度も何度も繰り返したのだ。
「…………」
結社に入り、姉さんから「いきなり死地に放り込まれる」という実践的なシゴキを経験しているセドリックでさえ、十歳の子供に対するその常軌を逸した内容には完全にドン引きし、顔を青ざめさせていた。
「……今思えば、完全に頭おかしいよな、アレ」
俺も当時のトラウマがフラッシュバックして若干顔を引きつらせながら呟く。
セドリックは何も言葉を返せず、俺たちは二人して乾いた苦笑いを浮かべながら、どこまでも楽しそうに昔の「思い出」を語る姉さんの声を、ただただ遠い目をして聞いているのだった。