『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
未だにRAMDAの光学迷彩によって姿を隠したまま、俺と姉さんはその場から一歩も動かずに武器を構えていた。
姉さんは入り口の警備兵から奪ったMK社製のスタンロッドを、俺は愛用のタクティカルナイフと導力銃(オーバルガン)をそれぞれ握り締める。
しかし、立ち塞がる褐色の猟兵――カシム・アルファイドは、巨大なバスターランスを片手で下げたまま、俺たちが潜んでいる空間を正確に見据えて静かに口を開いた。
「――そこに居るのは分かっている。そのままやり合う気か?」
一切の迷いのない視線。
完璧に看破されていることを悟り、俺は隣の姉さんに目配せをした。
姉さんも小さく肩をすくめ、二人で同時にデバイスを操作して光学迷彩を解除する。
空間の歪みが陽炎のように解け、俺たちの姿が完全にその場へと現れた。
それを見た瞬間、鉄面皮のようなカシムの眉が、ほんのピクリと微かに動いた。
『うわぁ、こわっ! ほんまにおった!!』
直後、廊下のスピーカーから先ほどの能天気な女性の声が、ひっくり返ったような悲鳴を上げて響き渡った。
『加圧センサー以外の全部が正常に作動してんのに、そこだけ異常出してんの、ウチはてっきりシステムのエラーかと思っとったで!?』
「あー……なるほど。やらかしたのは俺の方か」
スピーカー越しのぼやきを聞いて、俺は思わずひとりごちて苦笑した。
視覚も熱源も生体反応も、あらゆるセンサーをごまかすことができたとしても……二人の人間が床の上に立つことによる『物理的に掛かる重量』だけは、どうにもならない。
システムの穴ではなく、極めて原始的な物理法則によって俺たちの侵入はバレたというわけだ。
そんな俺の苦い納得をよそに、カシムは静かに、姉さんへと向けて言葉を紡いだ。
「……《血染め(ブラッディ)》のシャーリィか」
『はぁっ!? な、なんで《赤い星座》の大隊長様が、こないなとこにおるねん!?』
スピーカーの向こうの女性が驚愕の叫びを上げる中、名を呼ばれた姉さんは隠し切れない歓喜と獰猛な笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「へぇ、アタシのこと知ってんだ。……そっちこそ、クルガの《灼飆》でしょ?」
その問いかけに対し、カシムは肯定の言葉を口にすることはなかった。
だが、否定もしない。ただ静かな闘気を纏ったまま、泰然自若としてそこに立っている。
「クルガ戦士団を抜けたって噂は聞いてたけどさ。まさか、こんなトコにいるなんてねぇ!」
「……姉さん」
獲物を見つけた肉食獣のように目を爛々と輝かせる彼女に、俺は緊張を孕んだ声で呼びかけた。
ナイフと銃を構える手に、じっとりと冷たい汗が滲む。
「アルシュ、気合を入れな!」
姉さんは視線をカシムから一切外さないまま、楽しげに、けれど戦場における最大限の警戒を込めた声で言い放った。
「そいつは最強の猟兵の一角……うちの親に比肩するって言われてるバケモンだよ!」
「《赤い星座》の闘神と、同格……っ!?」
俺は驚愕に目を見開きながらも、即座に重心を落として戦闘態勢を固めた。《赤い星座》のシグムント・オルランド。
かつてクロスベルを火の海にした、あの人の規格外の力に匹敵する男が、目の前にいる。
「アハハハッ! ただの暇つぶしだったのに、最高の当たりクジじゃん!!」
狂喜の笑い声を上げ、姉さんが爆発的な脚力で床を蹴った。
隠密行動などとうの昔にかなぐり捨て、最強の猟兵を相手に、彼女は底抜けに楽しそうに真っ向から突っ込んでいった。
「アハハハハハッ!!」
薄暗い地下廊下に、シャーリィの狂喜の笑い声が弾けた。
彼女は手にした警備兵用のスタンロッドをフル稼働させ、紫電を散らしながらカシムへと一直線に突っ込んでいく。
「――愚直だな」
カシムは表情を変えることなく、巨大なバスターランスを片手で構え直した。
踏み込み、上段から振り下ろされたシャーリィの一撃を、バスターランスの強靭な柄が正確に迎え撃つ。
ガァンッ!! という耳を劈くような轟音と共に、凄まじい衝撃波が周囲の空気を吹き飛ばした。
「あっは! さすがに重い……っと!」
鍔迫り合いの形になった瞬間、カシムの手首が僅かに捻られた。
ただそれだけの動作から生み出された破壊的なトルクが、スタンロッドの耐久限界を容易く超える。
バキィッ! という硬質な音と共に、特殊合金製のスタンロッドが半ばから無残にへし折られた。
「うおっと!」
「……っ!」
シャーリィはそのまま反発力を利用して後方に跳躍し、距離を取る。
俺は即座に導力銃を構え、彼女の着地をカバーするようにカシムへ牽制の射撃を三発放つが、彼は柄を僅かに動かしただけで全ての銃弾を弾き落とした。
「あーあ、見事に真っ二つ。……その武器、随分ヤバい性能してんね」
「そちらこそ。愛用の獲物すら持たずに、これほどの動きを見せるとはな」
折れたスタンロッドを放り捨ててニヤリと笑うシャーリィに、カシムは静かな感心の声を漏らした。
言葉通りの本気。だが、あの巨体を誇るバスターランスには、まだ底知れぬ機能が眠っているように見える。
「姉さん!」
俺は腰のホルスターからタクティカルナイフを抜き放ち、そのままシャーリィへと放り投げた。
くるくると空を舞ったナイフの柄を、シャーリィは見ずに片手でガシッと掴み取る。
「サンキュ! アルシュ!」
圧倒的なリーチを誇るバスターランスに対し、手にしたのは極端にリーチの劣るナイフ一本。
だが、シャーリィの顔に焦りはない。
彼女は猫のように低い姿勢を取り、しなやかなバネを感じさせるフットワークで再びカシムへと肉薄した。
カシムの薙ぎ払いを紙一重でスウェーし、突き出された矛先をナイフの腹で滑らせて軌道を逸らす。
圧倒的な体格差とリーチの差を、シャーリィは異常なまでの動体視力と柔軟な体術で相殺し、互角の近接戦を演じてみせた。
「――っ、はぁっ!」
俺も導力銃とアーツを織り交ぜながら、シャーリィの死角を補うように遊撃に回る。
だが。
(……なんて強さだ。動きが完全に読み切れない……!)
カシムの動きは、大ぶりな武器を扱っているとは思えないほど精密で、無駄がなかった。
シャーリィの猛攻を捌きながらも、彼の目は常に戦場全体――すなわち、俺の動きすらも完全に捉え切っている。
「そこだ」
鋭い呼気と共に、カシムのランスが凄まじい速度で旋回した。
シャーリィを牽制しつつ、本命の一撃が俺の胴体を薙ぎ払おうと迫る。
(来る――躱す、いや、防げ――!)
頭では最善の選択を導き出しているはずだった。
カシムの圧倒的な気圧に当てられ、ギリギリの攻防の中で対応しようと筋肉を動かす。
だが、視界に迫る死神の鎌を前にして、俺の身体の反応がコンマ数秒、致命的に遅れた。
「っ――」
避けきれない。そう直感した瞬間。
「っとに!」
横から伸びてきた手が、俺の首根っこを乱暴に引っ掴んだ。
「ぐぇっ!?」
そのまま強引に後方へと引き倒される。
直後、俺の鼻先数ミリを、風切り音と共に凶悪なバスターランスの矛先が薙ぎ払っていった。
もしあのまま立っていれば、間違いなく致命傷を負っていただろう。
地面に転がった俺の横に、シャーリィが音もなく着地した。彼女はカシムから視線を外さないまま、俺の様子を横目で一瞥する。
(…………)
その瞬間、姉さんの瞳の奥で、ほんの一瞬だけ何かを値踏みするような、思考を巡らせる光が過った。
だが、彼女はそれ以上何も言わず、すぐにいつもの獰猛な笑みを顔に貼り付ける。
「ぼーっとしてんじゃないよ、アルシュ! 死ぬ気で付いてきな!」
「……っ! 悪い、姉さん!」
その一喝で、俺の頭の中に被さっていた薄い膜のようなものが、パチンと弾け飛んだ。
呼吸が深くなり、視界が極限までクリアになる。
先ほどまでカシムの放つ圧倒的なプレッシャーに呑まれかけていた感覚が、氷のように冷たく、鋭く研ぎ澄まされていくのを感じた。
「……行くぞ!」
立ち上がった俺は、導力銃を構え直し、これまでとは全く違う踏み込みでカシムの死角へと駆け出した。
俺の動きの変化に呼応するように、シャーリィも歓喜の声を上げて逆方向から突っ込む。
「ふむ……」
カシムの目が、僅かに細められた。
踏み込みの速度、射線の取り方、そして何より、迷いの消え去った眼差し。
カシムはその僅かな、しかし決定的な変化を瞬時に感じ取っていた。
(……なるほど。脅威度を上方修正する必要があるな)
静かなる闘志を湛えた瞳で、カシムは俺を明確な「敵」として再認識する。
「ハァッ!」
俺は戦術オーブメントを駆動させ、時間差で炸裂する遅延式のアーツを放つ。
同時に、カシムの退路を塞ぐように導力銃の引き金を連続で引いた。
それは決して致命傷を与えるための攻撃ではない。
強者を狭い空間に縫い止めるための、極めて精緻な制圧射撃だ。
「甘い」
カシムがランスを一閃し、銃弾とアーツをまとめて粉砕する。
だが、その大仰な迎撃動作こそが、俺の描いた盤面だった。
「もらったぁッ!!」
粉塵を突き破り、地を這うような低い姿勢からシャーリィが飛び出す。
俺の牽制によって生まれた、ほんの一瞬のカシムの死角。
そこへ、極限まで短く持ったタクティカルナイフの切っ先が、カシムの喉元へ向かって吸い込まれるように伸びる。
カシムは瞬時に柄を引いて防御を試みるが、俺が絶妙なタイミングで放った追撃の銃弾が、その動作をコンマ数秒だけ遅らせた。
「チィッ……!」
初めて、最強の猟兵の顔に僅かな険が走る。
防御を諦めたカシムは迎撃を中断し、大きく後方へ跳躍してシャーリィの凶刃を躱した。
俺と姉さんの息の合った完璧な波状攻撃が、ついにあの怪物・カシムを完全に防戦へと追いやり、その場に釘付けにしたのだ。
「やるじゃない、アルシュ! その調子!」
「ああ、畳み掛けるぞ、姉さん!」
さらに距離を詰め、二人がかりで一気に押し込もうとした、その時だった。
「――見事な連携だ。こちらの予測を上回るだけの技量、確かに見せてもらった」
ズンッ……!!
突如として、地下廊下の空気が異常な重みを増した。
カシムの全身から立ち昇っていた赤銅色の闘気が、爆発的に膨れ上がったのだ。
それはもはや「気迫」などという生易しいものではない。
物理的な質量すら伴っているかのような、圧倒的な気圧の壁。
息をすることすら困難になるほどの闘気の暴風が、俺たちの身体を吹き飛ばさんばかりに襲いかかる。
「ぐっ……!? なんだ、この気は……ッ!」
あまりの圧力に、俺は銃を構えたまま思わず片膝を突きそうになる。
立っているだけで全身の骨がきしむような、絶対的な格上の放つプレッシャー。
だが、その凄まじい気当てを真っ向から浴びながら、シャーリィは歓喜に全身を震わせていた。
「アハハハハハッ!! やっぱりね! まだ全然本気じゃなかったってわけだ! 最高!!」
彼女の言う通りだ。これほどの力を持っていながら、カシムは今までその底知れぬ出力をセーブしていたのだ。
カシムがバスターランスをゆっくりと構え直す。
その切っ先が絶望的な質量を伴って俺たちへ向けられ、まさに最高潮の死合いが始まろうとした――その瞬間。
『――主任。悪いですが、そこまででお願いします』
スピーカーから、先ほどまでの騒がしい女性とは打って変わった、ひどく落ち着いた、しかし絶対的な権限を感じさせる男の声が響き渡った。
ピタリ、と。振り下ろされる寸前だったカシムのバスターランスが、空中で静止した。
同時に、空間を支配していた暴力的なまでの闘気が、まるで嘘のようにふっと掻き消える。
「……了解した」
カシムは短く応えると、ランスを肩に担ぎ直し、何事もなかったかのように完璧な「静」の佇まいへと戻っていった。