『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
静かな声による突然の介入を受け、カシムは構えていた巨大なバスターランスの出力を落とし、一切の未練もなく静かに武器を収めた。
「ちぇーっ、なんだよもう。いいところだったのに」
それを見た姉さんは、心底退屈そうに口を尖らせて肩を落とす。
突然の戦闘中断。
張り詰めていた空気が一気に抜け、俺は思わず(いや、どういうことだよ……)と心の中でツッコミを入れてしまった。
そんな俺の困惑をよそに、スピーカーからは先ほどの落ち着いた男性の声が続けて響く。
『奥へと続く扉には、すでに強固な物理ロックを掛けさせていただきました。あなた方の持つ優秀なデバイスによるハッキング等、電子的な手段では決して開きません。――どうか、矛を収めていただけないでしょうか』
言われて最奥の扉に視線を向けると、先ほどまで点灯していた電子ロックのパネルが、完全なシャットダウンを示す赤い表示に切り替わっていた。
確かにこれでは、どれだけ高度な演算能力があろうと物理的に開く気配はない。
姉さんの方を振り返ると、彼女はこちらから投げ渡したナイフを手の中でくるくると回した後、両手をひらひらと上げて「お手上げ」といったポーズをとっていた。
俺はガシガシと乱暴に頭を掻くと、スピーカーの先の見えない相手に向かって声を張り上げた。
「……分かった。降参だ」
『賢明なご判断に感謝します。これ以上、こちらとしても事を荒立てる気はありません。よろしければ……少し、お話をしませんか?』
「お話、ね……」
胡散臭い提案だが、姉さんの方を見ると「アタシは任せるよ」といった視線をこちらに向けていた。
(……正直、このままあのバケモンを相手に逃げ出すのも、骨が折れるどころの話じゃないしな)
カシム・アルファイドから背を向けて逃げ切れるビジョンなど、到底思い浮かばない。それに、相手の目的やこの会社の腹の内を探る絶好の機会でもある。
「そっちの誘いに乗る。案内してくれ」
『ありがとうございます。カシム主任、彼らをこちらへ』
「――了解した。こちらへついてこい」
上司からの指示を受けたカシムは、完全に無防備な背中を向けて歩き出した。
俺と姉さんは顔を見合わせると、お互いに肩をすくめ、最強の猟兵の大きな背中の後ろを静かについていった。
上層階へと案内された俺たちは、豪奢な応接室へと通された。
そこには、仕立ての良いスーツを着こなした理知的な顔立ちの男と、その後ろに控えるように立つメイド服姿の若い女性がいた。
促されるまま、俺と姉さんが革張りのソファに腰を下ろすと、向かいに座った男の奥の瞳が、一瞬だけこちらの底の底まで見透かそうとするような鋭い視線を向けてきた。
「ようこそ、マルドゥック社へ。私はゼネラルマネージャーを務めております、ギリアム・ソーンダイクと申します」
男はそう言って慇懃に頭を下げると、後ろに立つ女性を手で示した。
「カシム主任については既にご存知のようですので省きますが……こちらはサービスコンシェルジュのミラベル・アーミトンです」
「よろしゅう。さっきはスピーカー越しに失礼したなぁ」
ソーンダイクの紹介を受け、ミラベルと呼ばれた女性がひらひらと手を振る。
先ほどのスピーカーから聞こえた、あの能天気な声の主だった。
(さて、こっちの自己紹介はどうしたものか……)
仮にも産業スパイまがいの真似をして不法侵入してきた身だ。
バカ正直に名乗っていいものか、それとも適当な偽名をでっち上げるべきか。
俺が一瞬だけ逡巡していると、ソーンダイクは薄く微笑みながら、思いもよらない言葉を口にした。
「そちらは……『グレイ』さんでよろしいですか?」
「――っ」
ピク、と。俺の全身に強烈な緊張感が走った。
『グレイ』の名は、かつてあのクロスベル統一国において、俺が名乗っていた名前だ。
だが、その時は素性を隠すために常に仮面を被っていたはずだ。
俺の素顔を見て、それが『グレイ』であると知っているのは、あのバベル事変の場に居合わせたごく一部の人間たちくらいしかいない。
一体、どこから情報を引き出したのか。
何をどう知っているのか分からない、この男の底知れない情報網と油断ならなさに最大級の警戒を抱きながら、俺は低く答えた。
「……悪いが、その名前はもう名乗ってない。今は……『アル』としといてくれ」
偽名というわけではないが、この男に直接本名を名乗る気も起きず、簡潔にそう答えるにとどめた。
「では、アル様と呼ばせていただきましょう」
「……ああ。で、こっちは――」
俺が隣の姉さんを紹介しようとした、その時。
「――シャーリィ・オルランド」
壁際に立っていたカシムが、静かな声でその名を呼んだ。
「アハハ、やっぱり知られてるか」
「そりゃそうやろ。《赤い星座》の大隊長さんは、裏の業界じゃ超有名人やからなあ」
楽しそうに笑う姉さんに、ミラベルが呆れたような口調で返す。
「……で」
俺は後頭部をガシガシと掻き、強引に話を本筋へと引き戻すことにした。
「その『話』ってのは一体なんだ? 警察や遊撃士に突き出さないってことは、何か裏があるんだろ」
俺の直球の問いに、ソーンダイクは悪びれる様子もなく、淡々と、しかし衝撃的な提案をしてきた。
「単刀直入に申し上げましょう。現在、当社で開発中の『特殊武装』のテスターをやっていただけませんか?」
「「は?」」
俺と姉さんの声が重なる。それ以上に驚いていたのは、後ろに立っていたミラベルだった。
彼女は「えっ、マジで言うてんの!?」とばかりに、ぎょっとした目でソーンダイクの横顔を凝視している。
「……冗談だろ。俺たちは一応、おたくの機密を盗みに入った『産業スパイ』のつもりで侵入したんだが?」
「お気になさらず」
ソーンダイクは涼しい顔で言い放った。
「先日、少々目に付く形でそちらへ『お披露目』をさせていただきましてね。遅かれ早かれ、腕に覚えのある方々が探りに来られるだろうとは思っていたのですよ。ですので、特に意に介しておりません」
どこまでも計算尽く。俺たちの侵入すら、この男の手のひらの上だったというのか。
「テスターに関しても、本気です。先ほど地下でご覧になったかと思いますが、あれらの武装は極めて特殊なため、十全に扱える人材を常々探しておりましてね。先ほどカシムを相手に見せたあなた方の身のこなし……テスターとしては、最高の人材かと」
ソーンダイクは一枚の書類を取り出し、テーブルの上へと滑らせた。
だが、その提案書に目を落とすよりも早く。
「アタシはパス」
あまりにもあっさりと言い切った姉さんは、背もたれのクッションに深く寄りかかりながら、俺を見た。
「アルは好きにしたらいいんじゃない?」
「好きにしろって言われてもな……」
俺は胡散臭げにソーンダイクを睨みつけた。
正直、怪しいことこの上ない。
いくらなんでも話の裏が見えなさすぎる。
ここはキッパリと断って、この場を切り抜けよう。
そう決めて口を開きかけた、その時だった。
「おや、断られるおつもりですか? しかし……『調査』で来られたのに、手ぶらで帰還されるというのは少々問題があるのでは?」
「むぐっ……」
完全に先手を取られ、俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
あの偏屈なマッドサイエンティストの顔が脳裏をよぎる。
確かに、このまま何の情報も成果もなしに帰れば、あのジジイに何を言われるか分かったものではない。
俺が言葉に詰まったのを見透かしたように、ソーンダイクは眼鏡を光らせてさらに畳み掛けてきた。
「それに、この提案を受けていただけるのであれば……今回のあなた方の『不法侵入』については、一切表沙汰にはいたしませんよ」
「……アンタ、性格悪いな」
それは明確な取引であり、同時に脅しでもあった。
無視できない条件を突きつけられ、迷わざるを得ない俺の横で、姉さんは「アハハ、完全に弱み握られてんじゃん」と腹を抱えて笑っている。
さらにソーンダイクは、社外テスターとしての契約内容をすらすらと提示してきた。
提示された報酬額は破格であり、任務時のサポート体制や機材の提供に至るまで、至れり尽くせりの内容だった。
あまりの高待遇に、俺は警戒を解くどころかますます不信感を募らせる。
「……異常だろ。仮にも産業スパイをしに来た相手に出す話じゃない。俺たちは結社の人間だぞ? 必要とあらば、またアンタの会社の裏を掻いて、何かを盗み出しに来る可能性だってあるんだぞ」
俺が敢えてそう牙を剥いてみせても、男は涼しい顔を崩さなかった。
「ええ。そういったリスクもすべて飲み込んだ上で……私たちは、あなたと『繋がり』を作っておきたいと考えているのですよ」
(繋がり……?)
それは、組織としての『結社』とのパイプラインを意味しているのか。それとも、わざわざ俺を「グレイ」と呼んだことに起因する、俺個人への執着なのか。
ソーンダイクの真意は全く読めない。
だが一つだけ確かなのは、この男が俺をこのままタダで逃がすつもりはない、ということだ。
「……はぁっ」
俺は深々と、今日一番の大きなため息を吐き出した。
考えるだけ無駄だ。
今は大人しく、このクモの巣に掛かってやるしかない。
「……わかった。契約しよう」
「賢明なご判断です。これからよろしくお願いいたします、アルさん」
ソーンダイクは満足げに微笑み、右手を差し出してきた。
真意の読めない完璧な営業スマイルに向け、俺は渋々といった手つきでその手を握り返し、固い握手を交わした。
それからの細かい契約内容のすり合わせや、実際の装備のフィッティング、テスト運用などの実務的な確認は「明日、機材の用意ができてから」ということになった。
ひとまず今日のところはこれで解放され、帰路につくことになった俺たちが応接室の扉へ向かって歩き出した、その時。
「ああ、そうだ。アルさん」
背後から、ソーンダイクが思い出したように声をかけてきた。
「帰られましたら……『博士』に、どうぞこうお伝えください」
俺が振り返ると、ソーンダイクは慇懃な笑みを深め、こう言い放った。
「もし、ご本人が直接こちらへ足を運んでくださるというのであれば……『技術提携』なら、いつでも相談に乗らせていただきますよ、と」
「…………」
俺は顔を引きつらせたまま、無言で応接室を後にした。
(絶対……絶対にブチギレるぞ、あのジジイ……)
新興のPMCふぜいが、結社の最高幹部であり技術の最高峰を自負するノバルティス博士に向かって、「技術を教えてほしければ自分から頭を下げに来い」と上から目線で宣戦布告をしたに等しいのだ。
頭の中で、顔を真っ赤にして怒り狂い、周囲の機材に当たり散らす博士の姿がありありと思い浮かぶ。
夜明けのオレドの冷たい空気を吸い込みながら、俺はこれから待ち受けるであろう頭の痛い報告義務に、再び重いため息を漏らすのだった。