『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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F・ノバルティス②

「そうか、そうか! いやいや、実によくやってくれた、ご苦労だった!」

 

先ほどまでの烈火のごとき怒りは一体どこへやら。

狂気じみた高笑いをひとしきり終えた博士は、手のひらを返したようにひどく上機嫌な様子となっていた。

俺はそのあまりにも極端すぎる情緒の乱高下に、薄ら寒さすら覚えていた。

 

「……なぁ、博士」

 

あまりの情動の落差に、俺は背筋を這うような不気味さを感じながら呼びかけた。

 

「ああ。何故、もはや存在しないはずのコンフリクトを感じたのか……と問うたのだったな」

 

博士はステッキを床に突き、まるで講義を始める教授のように、勿体ぶった足取りで俺の周囲を回り始めた。

 

「君の言う通りだ。エリュシオンも、イシュメルガも……あれらの存在は、完全にこの世界から消え去った。それは間違いない」

 

ピタリと足を止め、博士はレンズの奥の目をギラリと光らせる。

 

「では、それらが存在しなければ、君のデータへの干渉――ひいてはコンフリクトは起こらないのか? 答えは『否』だ」

 

「……どういうことだ?」

「簡単なことだよ」

 

妙に楽しげな声音で、博士は自らの仮説を饒舌に語り始めた。

 

「君の言う通り、その記憶は朧げなものかもしれん。しかし、引き出せないだけで、君の内側には確かに『未来の技術のデータ』が眠っている。それは、今のこのゼムリア大陸の時代の流れに連なる、地続きの『既知の技術』の延長線上のものだ」

 

「……」

 

「だが……君があのマルドゥックの地下で視界に捉え、触れようとした『何か』。それは、その歴史の延長線上にある技術体系から完全に外れた、あるいは根本から隔絶した……完全なる『未知の技術』だったのだろう」

 

「未知の、技術……?」

 

俺は呟き、あの分厚い物理ロックの奥から感じた、あの異常な気配を思い返した。

 

「そうだ。君の内に構築された『未来の技術(データ)』と、それに全く繋がらない『未知の技術』。本来交わるはずのない二つの異質な体系が、君のシミュラクラの知覚を通して正面から衝突した。……その結果、君の脳内で激しいエラー処理が起こり、反射的にコンフリクトを引き起こしたのだろうと思うがね」

 

とんでもない話だった。

コンフリクトの理由が、あの地下に鎮座していた『未知の技術』の一端に触れたがために起きた、条件反射のようなバグだというのだ。

つまり、マルドゥック社が抱える技術の源泉は――あるいは、あの黄昏の先にエリュシオンが生まれたように――今のゼムリア大陸の技術体系からは完全に隔絶した、全く別の何かだということになる。

 

ただの新興PMCが、どうやってそんな常軌を逸したものに辿り着いたというのか。

あまりのスケールの大きさに理解が追いつかないまま、俺は目の前のマッドサイエンティストをジッと見つめた。

 

「……まさか、博士」

 

「あんた、最初からそれの可能性を考えて、わざわざ俺をあの会社に潜入させたのか……?」

 

もしそうなら、この爺さんの頭脳は悪魔の領域だ。

俺は戦慄と共に答えを待ったが――博士は、つまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らした。

 

「それに関しては、まったくの偶然だ。あの会社には、私も知り得ない『何か』があること自体は把握していたがね。……貴様のデータがコンフリクトを起こすかもしれない、などという不確かな事象に賭けて、依頼などしておらんよ」

 

俺はそれを聞いて、密かに安堵の息を吐いた。

あの食えないGMに手玉に取られた挙句、最初から最後までこの偏屈爺さんの掌の上で踊らされていたなんてオチは、流石にまっぴらごめんだったからだ。

 

(とはいえ……)

 

俺の脳裏に、先ほどの博士の姿がフラッシュバックする。

『狂笑』とでも言うべき、あの狂気に満ちた高笑い。未知の技術が存在するという確信を得たから、という理由だけにしては、あの笑いにはひどく生々しい……何か強い『執念』のようなものが感じられた気がしたのだ。

 

だから、俺はつい……踏み込むべきではない領域に、足を踏み入れてしまった。

 

「……なぁ、博士。理屈については分かったよ。まぁ、まだ理解しきれないことも多いが」

 

そう前置きをしてから、俺はまっすぐに博士の目を見据えた。

 

「で、さっきのアンタの異常な喜び方は何だ? 未知の技術が見つかった……ただそれだけで、あそこまで狂喜するもんか?」

 

俺がそう問うと、博士は顔から表情を消し、ステッキを両手で握りしめながら、静かに聞き返してきた。

 

「……なぜ、そう思う?」

 

「あんたが気分屋で、天才で、偏屈で、あらゆる技術に対して底なしに貪欲なのはよく知ってる。……けれど、さっきのあの瞬間のあんたの目は、なんていうか……もっと別の、『鬼気迫るもの』を感じたんだよ」

 

単なる知識欲ではない。

何かに焦がれ、何かに執着し、血を吐くような執念の果てに見つけた一筋の蜘蛛の糸を掴み取ったような――そんな、必死さすら滲む狂気。

 

俺の言葉を聞いた博士は、僅かに目を見張った

。図星を突かれた、というよりも、俺の口からそんな観察眼の鋭い言葉が出てきたことに、少し驚いたような表情だった。

 

やがて、博士は一つ静かに息を吐くと、ゆっくりと研究室の暗い天井を仰ぎ見た。

そして。いつもの傲慢な態度も、マッドサイエンティストとしての狂気も鳴りを潜めた、どこかひどく静かで落ち着いた表情で――俺に向かって、こう問いかけてきたのだった。

 

「……かつて、あのバベルの中で、君の『自己』について問いかけたな」

 

博士は天井から視線を戻し、まっすぐに俺を見据えてそう言った。

 

「あの時、君は『どうでもいい』と答えた。自分が何者であるかなどどうでもいい、やるべき命題が明白で、混ざり合った記憶の両方がそれをやれと訴えている。それ以外のことはその次でいい、とな」

 

「……」

 

そうだ。それは確かに、あのバベルの中のラボで、調整カプセルの中から俺が彼に返した言葉だった。

 

『あの娘(キーア)が、まだ泣いている。悲しんでいる。……だから、何とかしろって。どちらの僕も、そう言っているんです。自分が何者かなんていう小難しいことは、全部その次でいいんですよ』

 

あの時の情景は、今でも鮮明に思い出せる。

あの一言は、間違いなく当時の俺が生きる意味であり、この世に生まれた存在意義そのものだと、狂おしいほどに信じて疑っていなかった。

 

「君の命題は叶った。世界は救われ、あのホムンクルスの少女も救済された。そして君は消滅する運命から外れ、図らずともその『次』を得た状態にある」

 

博士はステッキの先で床をコツンと叩き、言葉を区切った。

 

「……もう一度、問おう」

 

それは、あの時にカプセル越しにこの質問をしてきた時と同じような、一切のふざけや誤魔化しを許さないような、ひどく真面目で落ち着いた声色だった。

 

「君は今の『自己』をどう考える? 命題が叶い、為すべきことを為し、その後となった今……君は自分が何者であると、どう考えるね?」

 

正面から突きつけられた、純粋な問い。

俺は小さく息を吸い込み、少しだけ考え込んだ。

キーアの後悔は取り除けた。

クロスベルを、みんなを救うことができた。命題を終え、ただの『蛇足』として生き残ってしまった今。

 

だが、それでも自分の存在に対する迷いや、自己が揺らぐような感覚は、今の俺の中には微塵もなかった。

俺は、あの子の願いと、強い愛でもって生まれてきた存在だということを、今の俺は知っているからだ。

 

「……」

 

そして、俺のことを必死に守ろうと、母親ぶってくれたあのポンコツで愛らしい人形の少女の顔が頭に浮かび、俺は自然と苦笑いをこぼした。

なんだかんだ言って、俺は周りに想われていたのだ。

こんな、後から付け足されたような蛇足みたいな人生であったとしても。

 

なら、答えは一つしかない。

 

「……どうも、俺は『望まれて、愛されて』生まれてきた存在みたいだと。あのバベルの最中で、人に教えられました」

 

俺は顔を上げ、誤魔化しなく博士の目を見返した。

 

「自分が大切に想っている人たちに、そう思われているならば……俺は『俺』だと、ハッキリ断言できます。もっとも……命題を終えて、これからどう生きるかの道筋に迷ってる分、迷子みたいな気分なのは少しありますけどね」

 

俺の答えを聞いた博士は、どこかなんともいえない……それでいて、手に入らないものを少しだけ『焦がれる』ような、ひどく複雑な表情をした気がした。

 

「そうかね。……やはり私には、理解できない感情だ」

 

それは、あのバベルの中で交わした時と全く同じ返答だった。

だが、今の博士の言葉には、あの時のような突き放すような冷たさはない。

どこか俺のその境遇と心境を『羨む』ような、そんな微かな響きが混じっているように感じられた。

やがて、研究室に深く、静かな沈黙が降りた。

モニターの微かな駆動音だけが響く中、博士はポツリと、誰に聞かせるでもないような声で語り出した。

 

「――私は、己の証明をずっと探し求めている」

 

「……え?」

 

「記憶がないわけではない。……もはや朧げになりつつあるがね。だが、私の中に残る記憶と、この世界(ゼムリア)の在り方は……決定的に食い違っているのだ。真に私を知る者はこの世界のどこにもおらず、かつて師事したはずの《あの人》との繋がりすら……世界のどこを浚っても、一切残ってはいない」

 

「っ……!」

 

俺は目を見開き、言葉を失った。

自分の中の記憶と、世界とのズレ。

そして自分の存在を証明するものがどこにもないという事実。

 

(それは……まるで『俺』と……)

 

「私は己の証明を求めて、世界中を浚ってきた」

 

博士の声に、いつもの傲岸不遜な響きはなかった。あるのはただ、永い年月をかけて積み上げられた徒労と、深い絶望の吐露だった。

 

「導力ネットが普及する以前は人を使い、あらゆる手段を用いて各国の情報を、過去の技術を掘り起こした。ネットが普及してからは、その深淵の底の底まで覗き込んだ。……しかし、どこにもない。ここに在る以前の、私という存在の証明は……この世界のどこにも、ないのだよ」

 

それは、もはや絶望の吐露だった。

あのプライドが高く、世界のすべてを見下しているようなノバルティス博士が、たった一人で抱え込み続けてきた『自分がどこにも在りはしない』という自己の不在。

先ほどの、未知の技術に対する執念とも言える異常な情動の正体。

 

「まさか……アンタがあの時、エリュシオンに固執していたのは……」

 

俺の口から、自然とそんな言葉が零れ落ちていた。

クロスベルを火の海にする手伝いをしてまで、あの万能の演算器に執着していた本当の理由。

俺が呆然と呟くと、博士は自嘲するようにフッと鼻を鳴らした。

 

「ふん。技術的な興味が九割だがね。……だが、その過程で情報も浚っていた。君の未来の歴史も含めてだが……私の望む『私であることの証明』は、あの万能の演算器に見つけることは敵わなかったようだが、ね」

 

「だから、マルドゥックの未知の技術の話を聞いて……あんなに……」

「ああ、そうだとも」

 

博士は顔を上げ、俺をまっすぐに見据えた。

 

「世界中のすべてを浚ってきた。もはやこの世界に私の証明など在りはしないと、諦めかけたこともあったが……。あの会社が、もし今の世界から完全に隔絶した『何かしらの未知』を抱えているのだとするなら。……そこには、私に繋がる何かが眠っているかもしれない。万に一つ、かもしれんがね」

 

俺はそれを聞いて、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚を覚えた。

『技術的興味が九割』などと嘯いていたが、それがこの不器用な天才なりの冗談であり、精一杯の強がりと見栄であることは痛いほど分かった。

 

「……ふん。盟主以外にこの話をしたのは、初めての事だ」

 

言外に『絶対に誰にも言うな』という強い圧。俺はそんな博士の顔をしばらく見つめ返した後、小さく息を吸って、一言だけ口にした。

 

「手伝うよ」

 

「……なに?」

 

俺の言葉に、博士は素っ頓狂な声を出して驚いた顔を見せた。

 

「なんだ、その顔は。こっちだって、博士には散々世話になってるし……それにまぁ、色々と口うるさく言われちゃいるが、なんだかんだ目をかけてもらってるからな」

 

存在しないはずの記憶。自分が何者であるかという証明の不在。

俺とこの爺さんは、根本的なところでひどく似ている。

 

「それにさ。あの胡散臭いGMに、このまま手玉に取られっぱなしってのも腹が立つだろ?」

 

俺がニヤリと笑ってそう言うと、博士は呆れたように瞬きをした後……「くっくっく……」と喉の奥で笑い始めた。

 

「まったく。……『私は元遊撃士だからな』などと言って、我々と一線を引いていた人間の言葉とは思えんな」

 

「まったくだ。あの当時の俺が今の俺を見たら、信じられないって目を剥くだろうな」

俺は肩をすくめて笑い返した。

 

「きっと、博士や結社の連中の毒気に当てられたんじゃないですかね」

「ふん……減らず口を」

 

薄暗い研究室の中で、俺たちはどちらからともなく笑い合った。

世界から弾き出された、迷子のシミュラクラと、自己の証明を探し続けるマッドサイエンティスト。

こうして、俺とこの偏屈な爺さんとの間に、奇妙で、しかし決して悪くない『共犯者』としての関係が出来上がったのだった。

 

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