『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
オレド自治州、マルドゥック総合警備保障本社。
その奥深く、限られた人間しか立ち入ることの許されない地下機密区画。
無機質な電子音と、規則正しいポンプの駆動音だけが響く静寂の中。
私は、ふと意識を浮上させました。
(……時間、ですね)
いつものように、生命維持装置であるカプセルの内側。
肉体の多くを喪い、自らの意思では指先一つ身動きすることの出来ない不自由な身体で、私は網膜に直接投影されるタイマーの数字を確認します。
そろそろ、彼との約束の時間です。
彼――私がサービスコンシェルジュ(SC)として、初めて専属で担当することになった『アル』様。
本日は、遠方におられる彼に貸与した通信端末と、こちらのシステムとの接続テストを兼ねた初回の接続の日。
今後の本格的な定期査定を前に、一度通信環境を確かめておきたいと、私からお願いして約束していただいた日時でした。
先日の本社地下での武装テストの際も、モニタリングに問題はありませんでした。
ですが、やはり少しだけ緊張してしまいます。
あの時は、隣に先輩であるミラベルがいてサポートをしてくれていましたが、今日からは正真正銘、私一人で彼のSCとして業務をこなさなければならないからです。
それに、緊張の理由は業務への責任感だけではありませんでした。
『リゼット。伝えるか迷ったんやけど……彼は、全身義体らしい』
親友であり、私にとって頼れる姉のような存在であるミラベルが、先日こっそりと教えてくれた言葉が、脳裏に蘇ります。
『せや。あんたに今後用意される予定の身体と……一緒や』
生命維持装置に備え付けられたモニターを介して、やり取りをする私たち。
彼女は画面越しの私に、ひどく真剣な、気遣うような瞳を向けて言いました。
『まぁ、彼が直接言うたわけやないんやけど……ウチの主任とGMのお墨付きや。多分、間違いあらへん。ウチも直接見て信じられへんかったんやけどな。リゼットも、あの時のデータ見たやろ?』
『計測された数値……あきらかに、耐久性が人間やあらへん。それに、負荷6までは致命的なダメージなしに使えるとは言うたけど、ダメージを完全に無視したら……あの骨格なら、おそらく最大出力の負荷10でもおそらく使える。普通の生身の人間には、絶対に無理や』
ミラベルの言う通りでした。
あの時、私がモニター越しに観測した彼のバイタルと衝撃耐性の数値は、およそ炭素ベースの生命体が出していいものではありませんでした。
『まぁ、彼が自分から伝えてへん内容を、こっちが勝手に知っとるっていうのも、SCとしてはちょっと問題やねんけど……。リゼットにとって、彼はそういう意味では「先達」になる。仲良うなり、とは言わへんけど……ちょっと、考えてみるとええわ』
そう言って、彼女は私に彼を担当させました。
(アル様は、どういう経緯で……あのようなお姿を得たのでしょうか)
身動きの取れない冷たいカプセルの中で、私はぼんやりとそんな事を考え続けていました。同じ境遇を持つ者として、私は彼に強い興味を覚えていたのです。
けれど、どうお話ししたらいいのでしょう。
どう切り出せばいいのでしょうか。
彼自身がそのことを伏せているということは、隠しておきたい、触れられたくない過去があるということなのかもしれません。
不用意に聞いて、不快に思われないだろうか。SCとしての越権行為にならないだろうか。
ぐるぐると巡る思考を、無機質なアラート音が断ち切りました。
時間です。彼からのアクセス要求を受信しました。
「――通信インターフェース、接続開始」
私は思考を切り替え、SCとしてのプログラムを走らせます。
視界が電子の光に包まれ、次の瞬間、私の意識はカプセルを飛び出し、遠く離れた彼の手元にある端末へと降り立ちました。
ピピッ、と端末のホログラムプロジェクターが起動し、空間に私の姿が投影されます。
メイド服を思わせる制服に身を包んだ、水色の髪の女性。
これは、将来的に私が『義体』として外を歩く時に用意される予定の姿を、そのまま精巧にイメージして造られたアバターです。
モニター越しに、人の良さそうな気配をまとった彼の顔が映りました。
「アル様、先日ぶりでございます」
「ああ、先日ぶり。リゼットさん」
私は仮想体のドレスの裾を軽くつまみ、流麗な動作で深く一礼しました。
(いつか、直接お会いしてサポート業務を行う日が来た時。……彼は、生身ではない私に、違和感や不快感を抱かないでしょうか)
そんな不安と期待が入り混じった感情を、SCとしての完璧な笑顔の裏側にそっと隠しながら。
私は、私と同じように『作られた身体』を持つ彼に向かって、静かに微笑みかけました。
***
結社の施設に割り当てられた自室。
俺はベッドの端に腰掛け、マルドゥック社から渡された通信用の小型端末を開き、施設内の導力ネットに繋ごうとしていた。
今後の動きにも関わる代物だ。
持ち帰った直後、念のため博士に調べてもらったのだが、ご丁寧に相当なセキュリティが施されていた。
博士自身や、一部の特級ハッカーでもない限り、外からアクセスしたり覗き見したりすることは不可能だろうという、ある意味での「お墨付き」をもらっている。
……マルドゥックの深淵を探る。
博士とそう共犯関係を結んでみたものの、当面はテスター業務をこなしながら、正規のルートから内部に探りを入れていくしかない。
あのカシム主任という規格外の化け物が目を光らせている以上、強行偵察や武力行使など自殺行為だ。
そもそもこれは結社としての作戦ではなく、博士の個人的な事情に寄るものなので、そうそう戦力は出せない。
となれば、俺にできることと言えば、専属の担当SCとなるリゼットさん――彼女から何かしらの情報を聞き出すことくらいだ。
(いや……そもそも、そんな会社の最高機密を、まだ見習いSCである彼女が知っているわけがないよな)
それに、だ。短いやり取りだったが、彼女がとても真面目で、ひたむきに職務に取り組もうとしていることくらいは分かった。
そんな彼女に対し、スパイのような腹の探り合いで接触し、利用するようなマネをするのは……どうにも、ひどく後味が悪い気がしてしまう。
あの偏屈な爺さんに「手伝う」と大見得を切った手前、何か有効な手を打ちたいところだが……考えても、今のところ妙案は浮かんでこない。
「……さて、どうしたものかな」
小さくため息を吐き、俺は専用ソフトを立ち上げた。
短い電子音の後、モニター上に、先日も言葉を交わしたばかりの彼女の姿が現れる。
透き通るような水色の髪に、凛とした制服姿。
「ああ、先日ぶり。リゼットさん」
俺も努めて自然な声色を作り、挨拶を返す。
その日の通信は、事前の予定通り、接続状況の確認と簡単なテスト内容の擦り合わせだけで終わった。
『では、次回の負荷テストにおけるモニタリングは――あ、申し訳ありません』
「いや、こっちから送るバイタルデータの頻度は……あ、悪い。続けてくれ」
途中、お互いが言葉を発しようとしてタイミングが被ってしまい、譲り合うような形になる。どこかぎこちない、妙な緊張感を保ったままの会話になってしまった部分もあった。
(……どうやって切り出したもんか……)
俺は画面の向こうの彼女を見つめながら、探りを入れる糸口を見つけられずに内心で頭を抱えていた。
(……どうやって切り出しましょうか……)
画面の向こうの彼女もまた、完璧な接客用の笑顔の裏側で、その『身体』についてどう触れるべきか、ひそかに迷いを抱えていた。
「それじゃあ、今日はこの辺で。また次のテストの時に」
『はい。本日はお時間をいただき、ありがとうございました。失礼いたします、アル様』
プツン、と。通信が切れ、モニターが暗転して自室に静寂が戻る。
結局、お互いに腹の底で一番聞きたかったことには何一つ触れられないまま、終わってしまった。
――これは、今後長く付き合っていくことになる二人の、ぎこちなくも静かな、初めての通信だった。