『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
気絶して地面に転がる半グレたちと、白目を剥いている学生を冷ややかな目で見下ろした後。
レンさんは手元の戦術オーブメント――さっき本屋の雑誌で見かけたばかりの最新型『ザイファ』を取り出し、手慣れた様子でどこかへ連絡を入れ始めた。
「ええ、私よ。……ええ、そうね。少し『ゴミ』が散らかっているから、片付けをお願いできるかしら? 場所は――」
遊撃士協会か警察か、あるいは裏の清掃業者だろうか。
的確に事後処理を頼むその横顔は、一人の女子高生のものとは到底思えない、手慣れたプロのそれだった。
通話を切ったレンさんが、こちらへ振り返る。
逃げ出すタイミングを窺っていた俺の思考を完全に見透かしたように、有無を言わさぬ完璧な笑顔が向けられた。
「さてと。アルシュ……ちょっと、来なさい」
「……はい」
絶対に逆らってはいけない類の笑顔だった。俺は抵抗を完全に諦め、大人しく首を垂れて彼女の後ろをついていくことになった。
***
夕暮れ時の太陽が、石畳の坂道を鮮やかな茜色に染め上げている。
連れてこられたのは、イーディス市内の丘陵地帯――アラミス高等学校の近くにある、隠れ家のようなこぢんまりとしたカフェだった。
アンティーク調の落ち着いた店内の奥の席で、俺は出されたコーヒーを前に冷や汗を流しながら、対面の少女と向き合っていた。
「さぁ。それじゃあ、洗いざらい吐いてもらおうかしら、アルシュ」
「……ですよね」
もう逃げ道はない。
腹を括った俺は、バベルで機能を止めたところからの出来事を、順を追ってすべて話した。
本来ならあのまま完全に消滅するはずだったこと。
それをエリュシオンからサルベージしたというノバルティス博士に拾われ、新たなシミュラクラとして生き延びてしまったこと。
「そう……ノバルティス博士が……」
「相変わらず、倫理観の欠片もないマッドサイエンティストね。自分の知的好奇心を満たすためなら、本当に何だってするんだから……」
頭を抱えるように息を吐く彼女だが、その紫の瞳の奥には、俺が生き残っていたことへの確かな安堵と喜びが滲んでいた。
「はは……まあ、結果的に俺はそのおかげで命拾いしたわけですけどね。……でも、まさかこんなところでレンさんに会うとは。俺の記憶じゃ、レンさんはリベールのジェニス王立学園に通ってるはずだと思ってたんで」
俺がそう言うと、レンさんはティーカップをソーサーに置き、ふっと表情を和らげた。
「色々と事情があってね。今は、こっちの共和国にある『アラミス高等学校』に留学生として通っているの」
「アラミス……さっきの制服、そうだったんですね。どうりで共和国にいるわけだ」
「それで? アルシュは今、結社で何をしているの? 博士のモルモット?」
「モルモットって……まあ、当たらずとも遠からずですかね」
俺は苦笑しながら現状を説明した。
「今は博士の個人的な依頼を手伝ったり、一部の執行者の仕事を手伝ったり……結社にいること、咎められると思ってましたけど」
かつて世界を脅かした結社に身を置いているのだ。
軽蔑されても仕方ないとは思っていたが、レンさんは意外そうに目を瞬かせた。
「どうして? 私だって、元はと言えば結社の《執行者》だったのよ?」
「あの場所にいたことで、私自身が救われていた時期があったのは間違いない事実だもの。だから、アルシュが結社にいること自体をどうこう言うつもりはないわ」
レンさんはカップの縁を指でなぞりながら、俺の目をまっすぐに見据えた。
「別に、誰かに強制されてるわけじゃないんでしょ?」
「ええ、まあ。博士には恩もありますし、自分なりに目的もあって手伝ってるんで……今のところは、自分の意志で動いてます」
「そう。なら、いいわ」
レンさんは小さく頷き、それから、憑き物が落ちたような、ひどく優しい顔になった。
「……とりあえず。無事でいてくれて、本当によかった」
「レンさん……」
その素直な言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
だが、感動的な空気はそこまでだった。
「――とはいえ」
レンさんは再びティーカップを優雅に持ち上げ、紅茶を一口含んでから、テーブル越しにスッと冷ややかな視線を向けてきた。
「生きていることを、キーアにすら隠して連絡一つよこさなかったことに関しては……許せはしないけれど、理解はしてあげる」
「っ……」
顔を上げると、レンさんはティーカップを口に運びながら、上目遣いでジトッとこちらを見ていた。
怒りと責め苦をたっぷりと含んだ、無言の強烈な圧。
『自分の死を嘆いてくれた人間に、生きていることを隠し続けるのがどういうことか分かっているわよね?』という無言の糾弾だった。
「はは……はははは……」
完全にこちらの非だ。
俺は顔を引きつらせながら、ひたすら愛想笑いでごまかすことしかできなかった。
「……で?」
ティーカップを置いたレンさんが、先ほどよりさらに深い、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて俺を覗き込んできた。
「隠し通せなくて、私にはこうして生きていることがバレちゃったわけだけれど。……どうするの? このまま、他の皆にも伝えないつもりかしら?」
「ぅ……」
直球の問いかけに、言葉が詰まった。
だが、その答えはバベルで目覚めた日から決まっていることだ。
「……はい。俺は、イレギュラーで生まれただけの、本来この世界に存在しないはずの人間です。だから……あのまま、死んだことにしておいた方がいい」
絞り出すようにそう答えると、レンさんはティーカップの縁を指でツーッとなぞりながら、ゆっくりと問い返した。
「本当に、それでいいの?」
その瞳は、俺の嘘も建前も、心の奥底に隠した未練すらもすべて見透かしているようだった。
じっと、逃げ場を塞ぐように俺を見つめ続けるレンさん。
言えるわけがない。そんなの、我慢しているに決まっている。
「……本当は」
けれどその視線に込められた純粋な問いかけに耐えきれず、俺は心の奥底に押し込めていた本音を、ぽろりと零してしまった。
「本当は……今すぐにでも、会いに行きたいです。みんなの顔が見たいし、『俺はここで生きてる』って、大声で言いたいですよ……」
テーブルの下で、ギュッと拳を握りしめる。
「そう。……だったら、そうしたらいいじゃない」
レンさんは、ひどく優しい、姉のような声音でそう言った。
だが、俺は首を横に振った。
「いやだ」
即座に、きっぱりと。
「どうして?」とレンさんが小首を傾げる。
ものすごく嫌そうに、まるで駄々をこねる子供のように、俺はしばらく黙り込んだ。
本音を吐き出すのが嫌で仕方がない、というように顔を背け、何十秒もの沈黙の末に、ようやく絞り出した。
「…………格好、つけたいんですよ」
「……え?」
「本当は、今すぐにでも会いに行きたい。キーアのそばにいたい。……でも、多分そうしたら、俺が、俺自身のことを許せなくなりそうだから。だから……やらないです」
理由は一つじゃない。
キーアのそばにいたい気持ちはある。
でも俺の存在は、きっと彼女の未来にとって邪魔になる。
今クロスベルで平穏に生きている『今の俺』にとっても、俺の存在はろくなことにならないだろう。
何より――あのバベルで、すべてを出し尽くして綺麗に消え去ったはずの自分が、やるべきことをやり終えたうえでのこのこと顔を出すなんて、どうしようもなく惨めで、ダサくて、嫌だったのだ。
そのごちゃごちゃとした感情をひっくるめて、俺は『せめて最後まで格好をつけていたい』という言葉で、不器用に隠した。
「……だから、これから先も、俺からあの子たちの前に姿を見せるつもりはありません」
その言葉には、一切の揺らぎがなかった。
強がりでもなく、それが俺の選んだ意地だった。
レンさんは、そんな俺の捻くれた、だけど譲れない覚悟の形を静かに見つめ……やがて、すべてを汲み取るように、ふわりと柔らかい笑顔を浮かべた。
「……そう」
多くは語らず、ただ一言。
彼女は、俺の不器用な自己満足を、静かに肯定してくれたのだった。