【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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格好つけて

「……やっぱり、レンさんには敵わないな」

 

俺が降参するようにそう呟くと、レンさんはふふっと得意げに微笑んだ。

 

「あら、そう? 生きているのをずっと黙っていて、思いきり私を驚かせたんだから。これくらいは素直に吐いてもらわないと、割に合わないわ」

 

ティーカップを傾けるその所作は優雅で、どこまでも大人びている。

バベルで顔を合わせていた頃より、確かに成長している彼女の姿。

それは、エリュシオンが俺の脳に焼き付けた『演算された未来の記憶』――かつてリベールの地で出会い、迷う俺の背中を押して導いてくれた、あの頼りになるお姉さんとしてのレンの姿と、完全に重なっていた。

その懐かしくも温かい空気に、自然と口が動いていた。

 

「……少しだけ、俺の話を聞いてくれませんか」

 

俺が真剣なトーンでそう切り出すと、レンさんは少しだけ目を丸くした後、静かにカップを置き、「……いいわよ」と、促すように微笑んでくれた。

 

「俺は今……これからどう生きるべきか、ずっと考えています」

 

テーブルに視線を落とし、俺はぽつりぽつりと、自分の内にある迷いを言葉にし始めた。

 

「さっき『格好つけたい』って言いましたけど……会うつもりがなかったとしても、せめて心のどこかでは、あの人たちに胸を張れる生き方をしたいとは考えてるんです。……でも、だからといって、今の俺に何かやるべきことがあるわけじゃない」

 

結社に身を置いているとはいえ、何か明確な悪行に手を染めているわけではない。

あくまでノバルティス博士の技術的な依頼や、自分が納得できる範囲でしか手を貸していない、中途半端な立ち位置だ。

 

「かつてクロスベルでそうしていたように、名前を変えて、どこか遠い国でまた遊撃士として生きることも……あるいは、武器を捨てて、どこかでただの一般人として普通に仕事をして過ごすことも、多分できるんだと思います」

 

選択肢は、いくらでもある。

命題を終え、自由を与えられた俺の人生は、何にも縛られてはいないのだから。

 

「だけど……」

 

俺は、テーブルの上で自分の両手をギュッと握りしめた。

 

「でも、あのバベルの中で……自分の存在意義すら全部懸けて、すべてを振り絞って死に物狂いで生き抜いた記憶と経験が、俺に問いかけてくるんです。『お前は、本当にそれでいいのか』って」

 

世界を救うなんて大層なことのために動いたわけじゃない。

ただ、大切な人たちのために泥水をすすってでも足掻いた。

その極限の熱量が、魂にこびりついて離れないのだ。

 

「別に、世界を救うとか英雄になりたいわけじゃないんです。……ただ、これだけのモノを抱え込んでおいて、今さら『何も知らない、ただの一般人』として平穏に収まるということに……俺自身が、どうしても納得できないでいるんです」

 

レンさんは、俺のその不格好で、泥臭くて、行き場のない本音を、ただ静かに聞いていた。

口を挟むこともなく、否定することもなく。

やがて、彼女はふっと息を吐き――ひどく呆れたような、それでいて愛おしいものを見るような目を向けた。

 

「……馬鹿ね」

 

「へ?」

 

真剣に悩みを打ち明けていた俺は、思いがけない一言に気の抜けた声を漏らした。

 

「さっき自分で『格好つけたい』って言ったじゃない。だったら、自分がなりたいようになればいいのよ。英雄にでも、なんにでもなればいいじゃない」

 

「え……?」

 

あまりにも予想外で、直球すぎる言葉。

俺は思わず目を瞬かせ、間抜けな声を漏らしてしまった。

レンさんは頬杖をつき、俺の戸惑いなど意に介さない様子で言葉を続ける。

 

「表に出ることでろくな事にならないって言っていたけれど……残念ながら、貴方が表に出ようが出まいが、この世界は元々、十分ろくなものじゃないわ。それくらい、今の結社にいる貴方なら分かっているでしょう?」

 

「っ……」

 

痛いところを突かれ、俺は言葉に詰まった。

確かに、このゼムリア大陸は俺というイレギュラーが一人増えたくらいでどうにかなるほど、ヤワで平和な場所ではない。

 

「なら、あの時貴方が言っていた『憧れ』をそのまま追いかけて、英雄にでもヒーローにでも、なればいいじゃない。……どうせ腑抜けになれないのなら、最後まで格好つけて泥臭く足掻きなさいな」

 

あっけらかんと、しかし絶対的な肯定を込めて言い放つ彼女の姿。

 

「――――」

 

俺は、目を丸くして彼女を見つめ。

やがて、自分の中で絡まっていた難解な糸が、あまりにも単純な理屈であっさりと断ち切られたことに気づき――。

 

「ははっ……あははははっ!」

 

こらえきれず、腹の底から大笑いしてしまった。

自分でも気づかないうちに、随分と複雑に思い悩んで、勝手にがんじがらめになっていたらしい。

そうだ、この世界は俺がいようがいまいが、放っておいても勝手にろくでもない事件が起きるのだ。

だったら、俺が俺の我儘で好きに生きたって、誰に文句を言われる筋合いもない。

 

「……もう、急に笑い出してどうしたのよ」

 

「あはは……いや、すみません。あまりにも正論すぎて、自分の悩んでたことが馬鹿馬鹿しくなっちゃって」

 

目尻に浮かんだ涙を拭いながら、俺はへにゃっと力の抜けた笑顔をレンさんに向けた。

 

「……ありがとうございます、レンさん。おかげで、ちょっとすっきりしました」

 

その瞬間、レンさんはほんのわずかだけ目を細め――何かを確かめるように、静かに俺の顔を見つめた。

 

(……ああ。これが、あの子の言っていた笑顔ね)

 

口には出さず、胸の内だけでそっと呟く。

キーアが、まるで宝物を語るように「大好き」と言っていた、あの笑顔。

言葉にならない何かが、胸の奥をほんのりと温めた。

 

それはほんの一瞬のことで、すぐにレンさんはいつもの涼しい表情に戻り、可笑しそうに目を細めた。

 

「前に顔を合わせていた頃は、こんなふうに笑う人間だなんて思わなかったけれど。……アルシュって、私が思っていたよりずっと『子供』なのね」

 

「……うっ」

 

俺はピタリと笑いを止め、露骨に嫌そうな顔を作った。

 

「勘弁してくださいよ……。俺、一応いまのレンさんよりは歳上なんですけど……」

 

「あら、実年齢なんて関係ないわ。今の貴方の顔、悩みを吹っ切ったすっきりとした子供の顔よ?」

 

嫌そうな顔を隠そうともしない俺を見て、レンさんはさらに楽しそうに、鈴を転がすような澄んだ声で笑った。

 

そうしてすっかり日も落ち、イーディスの街が煌びやかな導力灯の光に包まれる頃。

カフェを出た俺たちは、大通りへと続く坂道の手前で立ち止まった。

 

「それじゃあ、私は寮の門限があるからここで。……ああ、そうだわ」

 

別れ際、レンさんは自身のザイファを取り出すと、俺の端末に有無を言わさず自分の直通の連絡先を送信してきた。

 

「えっと……これは?」

 

「私の連絡先。何かあったら、いつでもお姉さんを頼りなさい。もちろん、そっちが何か面白い厄介事に首を突っ込んだ時は、私にも一枚噛ませてもらうわよ?」

 

そう言って、レンさんは夜の街灯に照らされながら、ふわりと小悪魔のような笑みを浮かべた。

 

「ちなみにヨシュア以外に、私が男性へプライベートの連絡先を渡したのは、貴方が初めてよ?」

 

「なっ……」

 

ドキンッ、と。

からかっていると分かっていても、そのあまりにも艶やかな破壊力に、俺は思わず動揺して固まってしまった。

 

そんな俺の反応に満足したのか、レンさんは「ふふっ」と優雅に微笑み――最後に、ほんの少しだけ真面目な顔つきになって、俺をまっすぐに見つめた。

 

「――アルシュ」

「……はい」

 

夜風に紫の髪を揺らしながら、彼女は今日一番の、年相応の柔らかな笑顔を向けてくれた。

 

「今日は、助けてくれてありがとう。……貴方が格好つけてくれたおかげで、私は無事だったわ」

 

その言葉には、かつての記憶の中にある彼女と同じ、温かくて、ひどく素直な響きが宿っていた。

 

「……どういたしまして。また何かあったら、いつでも呼び出してください。連絡先も……もらっちゃいましたからね」

 

俺が照れ隠しに端末を軽く振って見せると、彼女は嬉しそうに頷いた。

 

「ええ、期待しているわ。……それじゃあね、アルシュ」

 

紫の髪を夜風に揺らしながら、レンさんは軽やかな足取りで坂道を登っていく。

俺は彼女の背中が見えなくなるまでその場で見送り――やがて、大きく背伸びをして、イーディスの夜空を見上げた。

 

腑抜けだと言われた俺の胸の奥には、確かな熱が戻ってきている。

英雄にでも、ヒーローにでも、自分がなりたいものになればいい。

彼女がくれたその不器用な肯定を胸に抱きながら、俺は足取りも軽く、ネオンの海が広がる共和国の首都へと歩き出したのだった。

 

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