『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
路地裏に転がる半グレたちを一瞥すると、ヴァンは手慣れた手つきでザイファを取り出し、どこかへ連絡を入れた。
「ああ、俺だ。タイレル地区の外れ、第4区画との境界付近の路地に『粗大ゴミ』が転がってる。……ああ、正当防衛だ。引き取りと後始末を頼む」
手短に事後処理を終えたヴァンは、ふうと息を吐いて時間を確認した。
「さて、これで依頼も完遂ってところだが……この後まだ予定はあるか?」
「いや、今日は完全にフリーだ」
「そうか」
ヴァンはニヤリと、人の悪い、しかしどこか親しげな笑みを浮かべた。
「なら決まりだな。極上の糖分を補給して、いい汗もかいた。……次は『整う』しかねえだろ?」
***
向かった先は、イーディス旧市街にある昨日も利用したサウナ施設だった。
中途半端な時間帯のせいか、サウナ室には俺とヴァンの二人しかいない。貸し切り状態だ。
「……ふぅーっ」
焼け付くような蒸気が、一日歩き回った疲労と戦闘の余韻をじっくりと解きほぐしていく。
無言で熱を感じていると、目を閉じていたヴァンが口を開いた。
「で? 結局、なんだったんだ」
汗を拭いもせず、静かにこちらへ顔を向ける。
「アル。アンタに事情がありそうなのは最初からわかってた。だが、アンタが俺を罠に嵌めようとしてたわけじゃないし、さっきの襲撃もアンタが仕組んだもんじゃなかっただろ。……わざわざ『護衛』なんて名目を使って俺に接触してきた、本当の理由はなんだ?」
俺は「あー……」と低く唸りながら、視線を天井へと逸らした。
横目で隣の男を観察する。
スイーツを前にした時の、目を輝かせた子どものような顔。
裏社会のゴロツキを叩き伏せる、冷徹で底知れないプロの顔。
そして、得体の知れない俺のような人間にまで最後まで付き合ってくれる、呆れるほどお人好しな顔。
(……不思議な男だな)
光と闇、大人と子ども、冷酷と慈悲。
相反する要素が違和感なく同居している。
俺がこれまで関わってきたどのタイプとも違う、独特の引力を感じずにはいられなかった。
「……実は、今後の身の振り方について迷っていてさ」
依頼人の詳細は伏せたまま、俺は口を開いた。
「俺はずいぶんと偏った生き方をしてきてる。これから先どうやって生きていくか探している時に、ある人に勧められたんだ。『表でも裏でもない、その境界線に立つ男がいる。彼の生き方は参考になるはずだ』って」
ヴァンの眉が微かに動いた。
「だから、あんたがどんな仕事をして、どんな風に世界を見ているのか、自分の目で確かめたくて理由をつけて依頼を出した。……まあ結局は、スイーツの買い出しに付き合っただけで終わったけどな」
「……その『ある人』ってのは?」
「たぶん、以前あんたの世話になったことがある人間だと思う。……悪い、口止めされてる」
ヴァンはしばらく何かを探るように視線を彷徨わせていたが、やがて「……まあ、裏解決屋なんてやってりゃ色んな奴に首を突っ込まれるしな」と短く息を吐いてそれ以上の追及を諦めた。
「で? 今日の俺の『スイーツガイド』は、アンタの人生とやらの参考にはなったのか?」
どこか照れ隠しのような声だった。
「……どうかな」
天井の木目を見つめながら、ぽつりと呟く。
雷に打たれるような閃きがあったわけじゃない。
それでも、ヴァン・アークライドという男が確固たる流儀を持って、表と裏の境界線に立ち続けていることはよく分かった。惹かれる生き方だと思った。
ただ、俺が彼と全く同じ生き方をしたいかというと、少し違う。
脳裏をよぎるのは、大統領が進める宇宙計画と、水面下で蠢く結社の動き。
これから先、このカルバード共和国を舞台に、巨大な時代のうねりが巻き起こるかもしれない。
その時、自分はどうするのか。
俺が欲しいのは「役割」でも「使命」でもない。
ただ、何も知らないまま安全な場所で蚊帳の外にいるのは嫌だった。
世界がどう転ぶにせよ、最も近くでそれを見届け、自分がやるべきことを見出せる場所に立っていたい。
格好つけかもしれないが、それが今の俺が一番望む生き方だった。
「ヴァン」
「あ?」
「いろいろ考えた結果、俺はこの共和国に軸足を移すことにした」
「へえ……。まあ、アンタみたいな手合いには退屈しない国だろうな、ここは」
ヴァンはタオル越しに頭を掻きながら、面白がるような呆れたような声を出した。
その反応を見て、俺は少し悪戯心を出した。
「ということで、裏解決屋。もう一つ依頼を受けてくれないか?」
「……今度はどこのスイーツを買いに行くんだ?」
「就職活動、それか人生相談だ」
「…………は?」
ヴァンの動きがピタリと止まった。口を半開きにしてこちらを見つめるその間抜けな顔に、俺はたまらず笑った。
「ははっ、冗談きついぜアンタ……。裏解決屋に人生相談だぁ?」
「大真面目だよ。悪事に手を染めたいわけじゃないが、表の常識に縛られるつもりもない。……そういう立ち位置を探してる」
俺の真意を測るようにヴァンはしばらくヘーゼルアイを細めていたが、やがて「はぁ……」と深いため息を吐いた。
「ま、確かに裏やグレーな立場にいる方が色んな情報は耳に入りやすい。……だがな、俺はたかだか市井の裏で活動するだけの人間だ。国を動かすような情報がホイホイ転がり込んでくるわけでもねえぞ」
「分かってるよ。だからこその相談だろ」
「ったく……」とヴァンが頭を抱えた、その時だった。
「フッ……相変わらず、厄介な依頼人に好かれる性質だな、ヴァン」
サウナ室の扉が開く音と共に、低く落ち着いた声が響いた。
湯気の中から現れたのは、首にタオルをかけた短髪の男だった。
端正な顔立ちに、冷めたような、それでいて油断ならない鋭い双眸。
「げっ……ディンゴ。アンタ、なんでこんな時間に」
「締め切りの合間の整いタイムだ。……で、そっちの兄さんは?」
ディンゴと呼ばれた男が俺を一瞥してからヴァンの隣に腰を下ろした。
ヴァンが「構わねえか?」と目で確認してきたので、俺は頷く。
「アルだ。今日、俺に護衛を頼んだ酔狂な依頼人だよ。……で今は、俺に人生相談を持ちかけてきやがったところだ」
「俺はディンゴ・ブラッド。ゴシップ誌のルポライターをやってる」
ディンゴは軽く手を挙げると、面白そうに口角を上げた。
「なるほど、悪事に手を染める気はないが、世界の動きを特等席で観測したい、か。……奇遇だな。俺と似たようなスタンスじゃないか」
「おいおい、一緒にすんな。アンタは情報屋も兼ねてるだろ。……アル、情報屋かその手伝いはどうだ? 嫌でも色んな話が舞い込んでくるぞ」
ヴァンの適当な提案に、ディンゴは短く鼻で笑った。
「馬鹿言え。情報屋なんてのは生傷が絶えないし、タダで他人の面倒は見ねえ。それに俺のベースはあくまで記者だ。一人で動き回る方が性に合ってる」
そう言って、ディンゴはサウナの熱気を肺に吸い込み、ゆっくりと吐き出した。値踏みするような視線が俺に向けられる。
「……だが、本気でこの街の『流れ』を見たいって言うなら。ヴァン、ベルモッティのところに声をかけてみたらどうだ? あそこなら面倒見もいいし、色んな連中が出入りする。あの店の裏方として潜り込めば、イーディスの表と裏の情報が自然と流れ込んでくるはずだぜ」
「……確かにあそこなら、アンタの希望にも沿うかもしれないな」
ヴァンも納得したように手をポンと叩いた。
「ベルモッティ……バーのマスターか?」
「まあな。情報ブローカーも兼ねてる、ちょっと癖の強い店長だが悪い奴じゃねえ。風呂上がりにでも紹介してやるが、どうだ?」
俺は思わず頬を緩めた。
まさか就職活動の第一歩が、サウナの中で裏社会のプロフェッショナル二人によって決まるとは。
「ああ、頼むよ。最高の人生相談になった」
「フッ……タダで優良物件を紹介してやったんだ。今度会う時は、それ相応の対価(情報)を期待してるぜ、アル」
「違いない。俺への紹介料も弾んでもらわないとな」
狭く熱いサウナ室に、三人の笑い声が溶けていく。
イーディスの裏で生きる彼らとの出会いは、これからの新たな日々に確かな道筋を照らしてくれたような気がした。