『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
サウナの熱気でほてった体を夜風で冷ましながら、俺たち三人はイーディス・リバーサイド区へ向かった。
ネオンが川面に反射し始める時間帯、石畳の通りに佇むカフェ&バー《ベルモッティ》。
重厚なドアベルを鳴らして店に入ると、開店準備中だったカウンターの中から、派手なシャツを着こなしたマスター――ベルモッティが目を丸くした。
「あら、珍しいわね。ヴァンとディンゴが連れ立って来るなんて」
ふふっと笑みをこぼし、すっと流し目を俺へ向ける。
「……それに、そっちの彼は?」
「こいつはアル。ちょっと野暮用を押し付けられてな」
ヴァンが気怠げに首の後ろを掻くと、隣でディンゴも肩をすくめた。
「フッ……乗り掛かった船でね。少しばかりお節介を焼きに来た」
二人の只ならぬ、それでいてどこか腹を割ったような雰囲気を察したのだろう。
ベルモッティは磨いていたグラスをそっと置いた。
「夜の営業まで少し時間があるわ。込み入った話みたいだし、閉めさせてもらうわね」
入り口の鍵を下ろし、ブラインドを引く。
静まり返った店内で、俺たちはカウンターに腰を下ろした。
ヴァンがサウナで話した内容を簡潔に説明する。
表の常識に縛られず、裏の泥水に染まりきるわけでもない。
世界の大きなうねりを特等席で観測できる場所を探していること。
そのための就職先として、この店で裏方として雇ってもらえないかという話だ。
聞き終えたベルモッティは、長い指を顎に当てて考え込んだ。
「ヴァンの紹介だし、ディンゴが太鼓判を押すなら無下にはしないけれど」
真剣な瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「いくつか質問があるのだけれど……まず、あなたは何者なの?」
当然の疑問だ。表の客から裏のゴロツキまでが出入りするこの店に、素性の知れない人間を置けるはずがない。
俺は静かに、三人の顔を順に見つめた。
今日出会ったばかりの男たち。付き合いというほどの時間はない。
それでも彼らの仕事に対するスタンスや、境界線に立つ流儀を見ていると、なぜか「こいつらになら話してもいいか」と思えた。
(……吹聴して回るような来歴じゃないから、基本は誰にも話すつもりはなかったんだけどな)
だが、自分の正体を隠したまま「雇ってくれ」と頼み込むのは、あまりにも不義理すぎる。
俺はゆっくりと息を吐き出した。
「……一応、他言無用で頼む」
ヴァンは黙って腕を組み直し、ディンゴは静かに目を細めた。ベルモッティもコクリと頷く。
「正直、自分でもかなり荒唐無稽な話だと思ってるんだが……」
そこから、俺は自分のこれまでを包み隠さずに語り始めた。
かつて、大切な女の子を守るために体を張り、マフィアに殺されたガキの頃の記憶。
『バベル事変』において、「大人として演算された記憶が再現された存在」として蘇ったこと。
その女の子が抱えていた後悔を晴らすため、血反吐を吐いてでも戦い抜いた日々。
本来そこで役目を終えて消え去るはずだった命が、様々な事情と奇跡が重なって、今もこうして生き延びていること。
薄暗いバーの静寂の中、俺の独白だけがぽつりぽつりと響いた。
「ま、そういうわけで……必死こいて生き抜いた結果、予定外に生き延びちまったせいか、どうも大人しく表の世界に引っ込んでおく気になれなくてさ」
グラスを見つめながら、言葉を締めくくる。
「別に世界を救うような大層な役割を望んでるわけじゃない。それでも、俺自身が心から納得できる生き方をするために……俺は今、ここにいるんだ」
しん、と。貸切状態のバーに、深い静寂が降りた。
「…………マジかよ」
最初に沈黙を破ったのはヴァンだった。
完全に素の表情で頭を抱えながら俺を見ている。無理もない。
死人の蘇生だの、イレギュラーの存在だの、裏社会のゴロツキを相手にするのとは次元が違う話だ。
隣ではベルモッティでさえ、目を丸くして絶句していた。
そんな中、ディンゴだけは腕を組んだまま静かに考え込んでいたが――やがて、ぽつりと呟いた。
「……そうか。お前が、『グレイ』か」
「っ……!?」
俺は弾かれたようにディンゴを見た。
『グレイ』。クロスベル再独立を巡る統一国騒動の際、俺が名乗っていた偽名だ。
なぜ、共和国のルポライターがその名を知っている。
俺の強張った空気を察してか、ディンゴは短く鼻で笑った。
「警戒しなくていい。……『《C》』と言えば、わかるか?」
「《C》……」
かつての帝国解放戦線のリーダーが名乗っていた名。
だが今この場でその名が意味するのは、統一国騒動の折に仮面を被り、その名を騙った男――ルーファス・アルバレアのことだ。
「あんた、あの人と……?」
「裏の仕事で多少、情報のやり取りをした間柄だ。その時にお前のことも触りだけ聞いていた。……詳細は知らんから安心しろ」
「……そうか」
憑き物が落ちたように、深く息を吐き出した。
こんな所で、あの時の縁に触れることになるとは。情報屋としてのディンゴの底知れなさを、改めて思い知らされる。
「と、まあ……これが俺の厄介な事情だ。履歴書代わりには、これで十分かな?」
想像以上の内容に驚きを隠せなかったベルモッティも、やがてふっと優しげな笑みを浮かべた。
「ええ……十分すぎるわ。私たちを信用してこれだけの秘密を話してくれたことには、お礼を言うわ。ありがとう、アル」
深く頷き、流し目でこちらを見つめる。
「一度失いかけた命を燃やして見つけた生き方だもの。誰にも邪魔する権利なんてないわね」
「どうかな。案外、一人だけ蚊帳の外に置かれるのが嫌だっていう、ガキみたいな理由かもしれないけどさ」
「ふふっ。男なんていくつになっても、根っこはそんなものでしょ?」
その言葉に、隣の二人が同時に肩を揺らした。
誰かに強要されたわけでもなく、ただ己の意地のために厄介事に首を突っ込んでしまう。それはここにいる男たち全員に共通する、不器用な生き様だったからだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「……フッ、違いない」
「……だな」
「……まったくだ。」
見事に重なった三人の反応に、ベルモッティのくすくすという笑い声が、薄暗いバーの中に心地よく響いた。
「そうね。あなたの事情と、ここを望む理由はよく分かったわ」
ふっと表情を和らげ、グラスを棚にしまう。
「ここで雇うのは構わないわ。よろしくね、アル」
「ありがとうございます。助かります」
短く頭を下げると、ベルモッティは少し声のトーンを落とした。
「それで、もう少しだけ聞いておきたいのだけれど……あなたがわざわざ共和国に来て、『境界線』で立ち回ろうとしているということは。この国で近いうちに『大きな何か』が起こると思っているの?」
まっすぐな問いかけに、俺は静かに頷いた。
「ああ。……間違いなく、何かが起ころうとしてると思う」
宇宙計画と、それと競合するように水面下で蠢く結社の存在。
具体的な核心は明かせない。
それでも、肌で感じ取っている「時代のうねりの予兆」だけは、嘘偽りなく伝えた。
三人はそれぞれ、納得するように、あるいは警戒を深めるように考え込んだ。
「……確かに、お前の言う通りかもしれないな」
ヴァンが腕を組んだまま、ぽつりと呟く。
「帝国からの莫大な賠償金に、バベル事変から流出した技術や知識。今、この国は表も裏も、どこか不穏な気配が蔓延しきってる」
「今までとは毛色の違う、過激で好戦的なマフィアの台頭も目立ち始めているわね。私の店に入ってくる情報も、きな臭いものばかりよ」
ディンゴが冷めた声でまとめた。
「経済的な繁栄の裏で、闇が急速に肥大化してる。今のカルバード共和国はいつ何が引き金になって爆発してもおかしくない、火薬庫みたいな状態だ」
少し重くなった空気を切り替えるように、ベルモッティがパンッと手を叩いた。
「だからこそ、最後に確認させてちょうだい。荒事になっても問題はないかしら?」
「全く問題ないです」
即答すると、ヴァンがニヤリと笑った。
「そいつについては俺が保証してやるよ。ついさっきも半グレ相手に派手な立ち回りを演じたばかりだからな」
「あら、頼もしいわね」
ベルモッティはふわりと微笑んだ。
「情報の裏取りや現場の確認は、どうしても外部のツテを使っていたの。実働部分を手助けしてもらえるなら、こちらも助かるわ」
「いいようにこき使ってもらって構いませんよ、マスター」
「ふふっ、言ったわね?」
ベルモッティが嬉しそうに目を細めた。
「これからよろしくね、アル。……さ、固い話はここまでにして、新しい従業員の歓迎に一杯奢るわよ」
そうして、その日は店を閉め切り、四人でグラスを傾けることになった。
ベルモッティが手際よく作る極上の酒を味わいながら、夜が更けるまで語り合った。
裏社会の泥臭い愚痴、表のニュースの裏側、他愛のない冗談。張り詰めていた緊張感はすっかり解け、そこにはただ、気の置けない悪友たちと過ごすような心地よい時間が流れていた。
宴もたけなわとなった頃、俺はふと思い出したようにベルモッティへ向き直った。
「一つだけ申し訳ないんだが……こっちに腰を据える前に片付けておかなきゃならない野暮用があってさ。本格的に働けるようになるのは、一、二ヶ月後になりそうなんだ」
「そんなこと、全然構わないわよ。都合がついたらいらっしゃいな」
ベルモッティは快く了承し、直通の連絡先を俺の端末へと送ってくれた。
翌朝。
リバーサイドに爽やかな朝日が差し込む中、店内のカウンターには無惨な光景が広がっていた。
「……うっ……頭が割れそうだ……」
「ベルモッティ……アンタ、酒強すぎだろ……」
ヴァンとディンゴがカウンターに突っ伏して呻いている。
裏社会を生き抜くプロフェッショナル二人の情けない姿に、俺は思わず吹き出しそうになった。
「ふふっ、だらしないわね。ほら、お水よ」
涼しい顔でグラスを磨きながら水を出すベルモッティに、俺は短く挨拶した。
「それじゃあ、そろそろ行くよ。世話になった」
「気をつけてね。また連絡してちょうだい」
ひらひらと手を振りながら、使い物にならない二人の男と、微笑んで見送ってくれるマスターを残して店を後にした。
イーディス国際空港。
昨日ヴァンと並んで買ったお土産のスイーツを小脇に抱えながら、搭乗ゲートへと歩を進める。
(……怒涛の一日だったな)
大きなうねりを予感させる巨大都市。
だが、もう迷いはない。次にこの地を踏む時は、観客としてではなく、特等席に立つ人間として戻ってくることになる。
飛行機の窓から遠ざかるイーディスの街並みを見下ろしながら、俺は静かにこの国を離れた。
***
後日。
拠点に戻り、諸々を片付けながら、俺は事後報告としてレンさんに通信を入れていた。
「なるほどね……」
裏解決屋にスイーツの買い出しを名目に護衛を依頼し、半グレとの乱闘を経てサウナで人生相談をし、挙げ句の果てにその日のうちにバーへの就職を決めたという怒涛の流れを聞き終えたレンさんは、通話越しに深く、それはもう深くため息をついた。
『……あなた、馬鹿じゃないの?』
呆れ果てた、ぐうの音も出ないほど直球な声。
言いたいことは痛いほど分かった。自分でも「無茶苦茶なスピード就活だったな」という自覚はある。
「……返す言葉もないです」
俺はただ苦笑いを浮かべながら、真っ当すぎるツッコミを甘んじて受け入れるしかなかった。