『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
姉さんが口にした『アレ』とやらはしばらく準備が必要なようで、「用意ができたら連絡する」とのことだった。
その間、俺にもまだ片付けておきたい用事がいくつかあったため、先にそっちへ手を付けながら姉さんからの死の宣告――もとい、呼び出しを待つことにした。
自室に戻り、一息ついた後。
俺は情報端末を取り出し、ある人物へと暗号化された通信を繋いだ。
今回のイーディスでの顛末、そして今後共和国へ軸足を移して活動していくことになった報告と、何より紹介してもらったことへの礼を伝えるためだ。
相手は、レンさん。
俺の突拍子もない報告を、最初から最後まで黙って聞いてくれていた彼女の第一声は――。
『……あなた、馬鹿じゃないの?』
裏解決屋にスイーツガイドを名目に接触し、半グレとの乱闘を経てサウナで人生相談をし、挙げ句の果てにその日のうちに情報屋のバーへの就職を決めた。
その怒涛すぎる一日の顛末をすべて伝え終えると、通信越しからでもはっきりと分かる、呆れ果てたような声が返ってきた。
思い返してみれば、返す言葉もない。
いくら勢いがあったとはいえ、たった一日で今後の生き方と就職先まで決めてしまったのだ。第三者から見れば、無軌道にも程があるだろう。
「……返す言葉もないです」
俺が苦笑交じりにそう返すと、通信の向こうから「はぁ……」と小さく、しかし深い深いため息が聞こえた。
『……紹介が悪かったかしら。ヴァンさんなら……でも、男の人って無駄にこういうところで意気投合するものなのかしら……ぶつぶつ……』
なにやら小声で呟いているのが聞こえたが、あえて突っ込まないでおく。
やがて、小さく咳払いをする音が聞こえ、レンさんはいつもの落ち着いた声色に戻った。
『ああ、ごめんなさい。それで? 本格的にイーディスへ移るのね?』
「ええ。ただ、こっちでちょっと野暮用を片付けてからになるので、本格的に移るのは一、二ヶ月先になりそうですが」
俺がそう答えると、レンさんはふっと声のトーンを和らげた。
本当に、色々と面倒や心配をかけてしまっているなと、改めて実感する。
『そう。……まあ、経緯はどうあれ、あなたの先行きが決まったのは本当に良かったわ』
「レンさんのおかげです。あのままだったら、まだ答えが出せずに燻っていたかもしれませんから」
俺が素直な気持ちで礼を伝えると、通話の先から「ふふっ」と、小さく吹き出すようなくすくす笑いが聞こえてきた。
『いくらなんでも、何かの参考になればと思って紹介した相手で、そのまま就職先から先行きまで決めちゃうなんて、さすがの私も想像してなかったけれどね』
どこか悪戯っぽい、年相応の少女のようなからかう響き。
レンさんの見事な意趣返しに、俺はただ「あはは……」と、乾いた笑いを返すことしかできなかった。
「とにかく、レンさん。本当にありがとうございました」
俺が改めて感謝を言葉にすると、通信越しからでもわかるような、明るく柔らかな笑顔の声色で「ええ」と返事が聞こえた。
「それで、あの――」
俺は少しだけ前置きをして、言葉を継いだ。
「今度イーディスへ本格的に移ったら、何かお礼をさせてくれませんか」
『あら。別に気にしないでいいのに』
「いえ、そういうわけには」
俺は首を振って、真剣なトーンで答える。
「あの統一国の騒動の時から、なんだかんだと何度も助けてもらっていますし、今回の紹介の件もあります。一度、俺の方からちゃんとお礼をさせてもらいたいんです」
『この間、半グレに絡まれていたところを助けてもらったことで、私としては十分お釣りが来ているつもりなんだけれど』
「俺の気が済まないんですよ。だから、お願いできませんか」
俺が食い下がると、レンさんは通信の向こうで少しだけ考えるような沈黙を置き、やがて優しく息を吐いた。
『そうね。あなたがそこまで言うなら、お言葉に甘えようかしら』
「はは、ありがとうございます。じゃあ、何か美味しいものでも食べに――」
俺が少しホッとしてそう提案した瞬間だった。
『あら。それって、デートのお誘いかしら?』
ふいに、意地悪っぽくからかうような声色が飛んできた。
俺は一瞬、「あー……」と言葉に詰まり、頭を掻いた。
これまでの俺なら、間違いなく苦笑いして誤魔化していただろう。だが、なぜかこの時は、自分でも意外なほど素直な言葉が口を突いて出た。
「あはは。そうですね、そんな感じで」
正面から肯定した俺の言葉に、今度は通信の向こう側がピタリと沈黙した。
「……レンさん?」
『あ、ああ……ごめんなさい。ちょっと……意外だったから』
レンさんの声には、いつもの余裕たっぷりな響きはなく、純粋な驚きと、どこか反省しているような色が混じっていた。
『……あなたが、あの娘のこともあるのに、そうやって真正面から返してくるとは思っていなかったの。意地悪が過ぎたわね、ごめんなさい』
あの娘が抱えていた後悔を晴らすために戦い抜き、命を燃やしたこと。
その俺の過去と執着を深く知るレンさんだからこその、気遣いだった。
「はは、まあ……そうなんですけど」
俺は少し照れくさそうに頭を掻きながら、彼女をフォローするようにジョークめかして付け加えた。
「今でもキーアのことを想っているのは確かですが。でも、それは恋とか愛とかとは、ちょっと違う感じでして……それに」
『それに?』
「いつまでも、初恋をこじらせたままでいるわけにはいかないでしょう?」
俺の言葉に、レンさんは小さく息を呑む気配を見せ、それから。
『――ふふっ。ええ、そうね。その通りだわ』
どこか憑き物が落ちたような、心底嬉しそうな声音で笑ってくれた。
『それじゃあ、楽しみにさせてもらうわね。イーディスに来る日が決まったら、また連絡してちょうだい』
「ええ、必ず。……おやすみなさい、レンさん」
そうして約束を交わし、俺は通信を切った。
「…………」
静まり返った自室。
俺はベッドに倒れ込み、ぼんやりと天井を見上げた。
「……初恋をこじらせたままでいるわけにはいかない、か」
先程自分で口にした言葉を、ぽつりと反芻する。
今すぐ誰かを好きになるとか、そういう焦りがあるわけじゃない。
だが、過去の記憶だけに縋って生きていくわけにはいかないのは本当だ。
胸の奥にひっそりと残る、あの時の少女への想い。
未だにその影に惹きつけられ、どこか心にわだかまりのようなものを抱え続けている自分がいる。
バベルでの別れを経て、憑き物が落ちたように前を向けるようになったとはいえ、その記憶が完全に消え去ることは決してないだろう。
俺は少しだけ深く息を吐き出し、天井へ向かって小さく手を伸ばした。
やがて訪れるイーディスでの新しい日々に向けて、少しずつ、自分の足で歩き出すために。
書く時に距離感に悩むレンちゃん。
てことで、ちゃんとヒロインです。
次章以降は複数ヒロインですが、それぞれ役割違うのでハーレムとかにはしないよ