【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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彼女の事情

彼女の「休憩」という提案に応え、俺たちは街道沿いにある小高い休憩所へと立ち寄ることにした。

 

広大な農地を望む、片隅の木製ベンチに並んで腰を下ろす。

頬を撫でる涼やかな風。土と緑の匂いを運んでくる、長閑な空気。

どこかクロスベルのアルモリカ古道の休憩所を思わせるその情景に、自然と心が凪いでいく。

 

隣に座るリゼットさんは、先程からどこか落ち着かない様子だった。

何かを切り出そうとして、言葉を探している気配。

思い返せば、通信越しにサポートを受けていた数ヶ月の間にも、彼女から同じ気配を感じ取ったことがある。

ただ、彼女自身が深く迷っている節があったから、俺の方から無理に踏み込むことはずっと避けていた。

 

やがて、彼女は静かに、けれど深く息を吸う。

そして、決心したように真っ直ぐこちらへ顔を向けた。

 

「アル様。……ずっと、お聞きしていいものか迷っていたことがございます」

「……うん」

 

俺は短く応え、言葉を促す。

 

「アル様のお身体は……その、普通の『人』の身ではないのではないか、と」

「…………」

 

「人伝に耳にした情報と、日々の生体データの計測値から判断して……おそらく、間違いないのではないかと……」

 

恐る恐る、壊れ物にでも触れるように切り出してくるリゼットさん。

 

(……そういえば)

 

その控えめな問いかけを聞いて、俺は今更ながらある事実に思い至った。

あの胡散臭いGMや警備主任のカシムが「武装を扱える」と太鼓判を押してテストが始まっただけで、俺自身が『シミュラクラ』の身体であることを、彼女に正式な形で伝えたことは一度もなかったのだ。

てっきりGM経由で担当SCの彼女にも共有されているものとばかり思っていたが……どうやら、そこまで話は通っていなかったらしい。

目の前に広がる青々とした農地へ視線を投げながら、俺はぽつりとこぼす。

 

「あー……うん。まあ、そうだね」

 

何を隠すでもなく、彼女の推測を認める。

あっさりと落ちた肯定の言葉に、リゼットさんが短く息を呑んだ。

 

「私は……」

 

何かを言いかけ、しかし続かない。

胸の奥から込み上げる何かをぐっと堪えるように、彼女は一度強く目を伏せた。

 

「……アル様。お話の続きをさせていただく前に、少しだけ……私の昔話を、聞いてはくださいませんか」

 

再び上げられた瞳。

その声には、いつもの毅然とした完璧なSCとしての余裕はなかった。

どこか自信なげで、触れれば壊れてしまいそうなほどの弱々しさが滲んでいる。

 

「うん。……わかった」

 

俺はもう一度、静かに頷いた。

そうして、リゼットさんは過去を語り始めた。

 

「私はかつて、何らかの事故でひどい大怪我を負った……らしいのです」

「らしい?」

 

俺が聞き返すと、彼女は寂しげに目を伏せる。

 

「はい。生憎と、その頃の記憶は全く残っていなくて。私の中にある一番古い記憶は――ひどく狭い、生命維持カプセルの中の景色なのです」

 

静かな声が、風に乗って農地へ溶けていく。

身体の大部分を失い、生きていることすら怪しい絶望的な状態。

残された僅かな部分だけが、冷たいガラス越しのカプセルの中で辛うじて命を繋いでいたこと。

そして、ミラベルさんやカシム、あのGMが、外からそのカプセルを覗き込んでいた光景。

 

「彼らが私を見つけ出してくれたこと。それが、今の『私』の始まりの記憶です」

 

俺は、完全に絶句していた。

 

(身体の、大部分を喪った……?)

 

ベンチに座る彼女の姿を、改めて見る。

どこからどう見ても健康的な女性そのもので、欠損している箇所などひとつも見当たらない。

だが、そこまで考えたところで、ある一つの事実が脳裏で繋がった。

 

『普通の人の身ではないのではないか』

 

先ほど彼女が口にした、俺の身体への探るような問い。あれは、つまり――。

点と点が繋がり、ひとつの明確な答えとなって浮かび上がる。

 

「っ……!」

 

弾かれたように、俺は真正面から彼女の顔を見た。

よほど驚愕が顔に出ていたのだろう。

彼女は隠すようにふっと目を伏せ、力なく笑ってみせる。

 

「……はい。今の私のこの身体は、アル様と同じものに、極めて近いと思われます」

 

静かな告白。

だが俺が問いを重ねる前に、リゼットさんは淡々と過去を紡ぎ続けた。

 

「今からおよそ六年ほど前だそうです。弊社の危機管理AIがある地点を指し示し、ミラベルたちがその場所へ向かった際……そこに、私の納められた生命維持カプセルがあったのだと、そう聞いています」

 

あまりに突拍子のない展開に、俺は困惑の渦へ呑み込まれそうになりながらも、ただ黙って耳を傾ける。

 

「すぐに治療を、となったそうなのですが……その時、私の身体はすでに八割以上が喪われていました。生きているのが信じられない状態で、そのカプセルがなければ一秒たりとも命を繋げなかったと」

 

「…………」

 

「ですが幸いなことに、途中で私の意識が戻りました。ミラベルが根気強く意思疎通を図ってくれたお蔭で、少しずつ状況を整理し……カプセルから出ることは叶いませんでしたが、まともに応対できる程度には、意識を復調させることができたのです」

 

そこまで聞いて、俺の頭にひとつの合点がいった。

困惑の渦中にありながらも、ふと思い当たった疑問を口にする。

 

「それじゃあ、もしかして……俺と初めて会った頃からずっと、アバターを通して話していたのって」

 

「……はい」

 

彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「あの時はまだ、カプセルの中から通信機器を介してしかお話しできなかったので……。あのようなアバターの姿でしか、応対することができなかったのです。隠すような真似をしてしまい、誠に申し訳ありません」

 

深く頭を下げる彼女へ、俺は慌てて首を振る。

 

「そんなの、気にしないでくれ。謝る必要なんてどこにもない」

 

その言葉に、彼女はどこか安心したようにふっと笑みを浮かべ、さらに続けた。

 

「初めて通信を交わしてから、およそ二月ほどでしょうか。会社の方たちが私のために、この新しい身体――全身義体を用意してくれまして。サポート業務の合間を縫って、密かに訓練を重ねてまいりました。最初は、自分の意志で指一本を動かすことにすら途方もない労力が必要でしたが……どうにか時間をかけて、歩いたり走ったりできるまでに適応できたのです」

 

そして彼女は、愛おしそうに自分の両手を見つめた。

 

「ようやく今日、最低限であれば外を歩いても構わないという許可をいただくことができ……こうして、アル様に直接お会いすることが叶いました」

 

その告白の裏に、どれほどの苦労と歯痒さがあったのか。

想像するだけで、胸が締め付けられる。

俺は未だ困惑の只中にありながらも、彼女がある種の『同胞』であり、何より俺に直接会いたいと強く願ってくれていた事実を、確かに理解した。

 

だからこそ、本心からの言葉が自然と口をつく。

 

「そっか。……俺も、こうして直接会って話せて、本当に嬉しいよ」

 

柔らかく笑ってそう伝えると、リゼットさんは思いがけない言葉をかけられたように、少しだけ目を丸くした。

だが、すぐに柔らかな笑みを返し――やがて、その表情を真剣なものへと引き締める。

静かに視線を落とし、彼女は祈るように両手を胸の前で組んだ。

 

「アル様。突然、このようなお話をしてしまい、申し訳ありません。……私は担当をお受けする際、アル様がおそらく全身義体を用いているであろうことを、伺っておりました」

 

静かな風音だけが響く中、彼女の震える声が続く。

 

「専属のSCとしてはあるまじき越権行為だと、理解しております。ですが、私は……あなたに対して、強い興味を抱かずにはいられなかったのです」

 

何故、彼はそのような身体を得ることになったのか。

あれほど高度な戦闘機動を、まるで手足のように使いこなせるようになるまで、一体どれほどの苦労と痛みを背負ってきたのだろうかと。

 

「本来、お客様に立ち入って聞いてはならない事柄です。しかし、それでも私は……」

 

どうしても、と。

抑えきれない切実な感情が、言葉の端々から滲み出ている。

 

「アル様ご自身がお話しされない以上、それは深く隠しておきたい過去なのかもしれない。それを身勝手に暴き立てる真似など、決して許されないと、頭では分かっていたのです。……ですが、それでも」

 

彼女は再び顔を上げ、潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめてきた。

 

「どうしても、お話を伺いたくて。ならば、せめてお聞きする前に、私自身の事情をすべてお伝えするべきだと思い……突然、このようなことをお話ししてしまいました。本当に、申し訳ありません……」

 

それは、己の境遇に戸惑う彼女の悲痛な願い。

この広い世界で見つけた、数少ない『同胞』への、焦がれるような渇望だったのだろうか。

俺はただ静かに、彼女の切なる想いを聞き届けていた。

 

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