【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
リゼットさんの痛切な告白を聞き終え、俺は広大な空を見上げて少し考え込んだ。
シミュラクラの身体。
それが、彼女が俺に強い興味を抱いた理由。
そして、彼女が『今の彼女』になるまでの、凄絶で孤独な道筋。
あまりの衝撃と困惑に、どんな言葉を返せばいいのか、頭がうまくまとまらない。
ただ一つ確かなのは、彼女は心の奥底に隠しておきたかったはずの傷を曝け出してまで、俺にすべてを伝えてくれたということだ。
俺と彼女の間には、生い立ちや存在の根源において決定的に違う部分がある。
俺の真実を知れば、あるいは彼女にとって、それは失望や期待外れに終わってしまうかもしれない。
それでも。
(……俺はきちんと答えないと、だめだ)
心が、そう強く訴えかけてくる。
大きく息を吐き出し、隣へ顔を向けた。
「ちょっと、長い話になる。……それに、かなり荒唐無稽な話になるけど、いいかな?」
俺の真剣な眼差しを受け、リゼットさんはどこか申し訳なさそうにコクリと頷いた。
そうして俺は、ゆっくりと口を開いた。
以前ヴァンたちに説明した際にぼかした部分も含め、今回は詳細に語ると決めた。
キーアや特務支援課といった特定の固有名詞だけは、伏せたまま。
俺が確かに生きた記憶と、演算された『ありもしない歴史』について。
「十歳の頃、大好きだった女の子がいてさ。その子を守りたくて、たまたま知り合った猟兵の女性に戦い方を教わったんだ」
だが、無情にも様々な事情が重なり、その子はマフィア崩れの悪党どもに攫われてしまった。
俺は彼女を守るため、覚えたてのナイフを握りしめ、必死に戦った。
「本当に、どんな手も使った。導力魔法で二人殺して、騙し討ちで一人殺して。……最後の一人は、相打ちだった」
結果として、彼女は守り抜くことができた。
しかし、俺はそこで死んだ。
そこまで語ると、隣から息を呑む気配が伝わってくる。
「……では、アル様はそこで」
自分と同じように、致命的な重傷を負って身体を喪ったのか。そう問うような視線。
だが、俺は大きく首を振って否定した。
「違うんだ。俺は死んだ。十歳だった俺という人間は、あの場所で一度、本当に死んだんだよ」
この世界には、常識では計り知れない力を持った代物が存在する。
女神の至宝や、それに類する人智を超えた力。
俺はその一端の影響を受け、時間が巻き戻された。
「彼女は、俺が死なない世界を選んだ。……俺に関わらないという、世界を」
隣のリゼットさんの顔には、明らかな困惑の色が浮かんでいる。
世界が巻き戻る。あまりに荒唐無稽な話だ。
いきなり聞かされれば、誰だってそうなる。
けれど、この物語はここで終わりじゃない。
『俺』という存在が形作られる、本当の理由はここからなのだから。
まだ続く、と視線で語りかけると、リゼットさんは戸惑いを飲み込むように小さく瞬きをし、静かに次の言葉を待つ姿勢を見せた。
視線を目の前の青々とした農地へ移し、俺は遠く離れた故郷――クロスベルの地を思い浮かべる。
世界を巻き込んだ統一国騒動から、災厄の兵器が空を覆ったバベル事変までの怒涛の流れ。
一度死んだ俺が、再び『俺』として生まれ直した経緯。そして、今このオレドの地にいる理由。
「……統一国。いや、バベル事変って言った方がいいか。あるいは『エリュシオン』。リゼットさんは、知ってる?」
ずっとカプセルの中で眠っていた彼女だ。
外部の情報をどこまで把握しているか分からなかったが、俺の問いに彼女は静かに頷いた。
「はい。概要と事の顛末につきましては、知識として存じております」
「そっか。なら、続きを話すよ」
小さく息を吸い込み、俺はゆっくりと真実のピースを並べていく。
「十歳で俺が死んだ後、俺が好きだった女の子は、新しい時間の中で『俺に関わらない道』を選んだ。俺が死んだことが、どうしても許せなかったんだってさ」
そして、生じてしまった強烈な矛盾と、感情の渦。
彼女が俺に関わらなかったことで、俺が彼女を守り、成し遂げたという事実もすべて「なかったこと」にされてしまった後悔。
本当はもっと、ずっと一緒にいたかったという切実な願い。そして、俺の存在をなかったことにしてしまったことへの、深い謝罪の想い。
「その全部が混じり合って……あの万能の演算器だった『エリュシオン』は、ある演算を始めたんだ。あの時俺が死なずに、彼女と一緒に二十歳まで過ごしたっていう、歴史の演算を」
「…………!」
「この世界の歴史上には存在すらしない、俺が十歳で死んだという歴史。そして、エリュシオンが演算した、ありもしない二十歳までの歴史。……その二つを作り物の身体にぶち込んで生まれたのが、今の『俺』だよ」
隣で、息を呑む気配。
横目で見やると、リゼットさんは信じられないものを見るように、大きく目を見開いて俺を見つめていた。
当然の反応だろう。人間として生まれ育ったわけでも、彼女のように元の身体があったわけでもない。
俺という存在は、データの海から生み出された完全な『作り物』なのだから。
俺は苦笑を浮かべ、さらに続ける。
「あのバベル騒動の際、俺は最後まで戦い抜いた。あの子の後悔を消し去って、心から幸せに生きてほしかったから。……まあ、そこで役目を終えて、思いっきり覚悟を決めて死んだはずなんだけどね」
当時の俺は、演算されたデータとしての己の命を使い切ることに、一片の未練もなかった。
「ある爺さんのお節介なのか、ただの作業の一環だったのかは知らないけど。わざわざエリュシオンの中から『俺』というデータをサルベージして、別で用意されてた新しい身体にぶち込まれた結果が……今、ここにいる俺ってわけだ」
壮大で、荒唐無稽で、それでいてひどく泥臭い、俺の成り立ち。
すべてを語り終え、俺はふうっと長く息を吐き出して、沈黙したままの彼女へと真正面から向き直った。
「だから、俺は君とは違うんだ。……君のように、もう一度自由に生きるためにこの体を手に入れたわけじゃない」
風が静かに吹き抜ける中、俺の言葉だけが落ちる。
「俺は生まれたその時から、血肉の身体なんて持っていなかった。ただ、神様みたいな演算器が生み出した『データ』としての存在。それが、俺の本質なんだ」
この常識外れの身体をまるで手足のように動かせるのも、結局は俺自身がデータだからに過ぎない。
思った通りの数値を読み取り、ハードウェアである義体を直接制御しているだけなのだ。
その告白を聞いて。
「ぁ……」
リゼットさんの口から、ひどく掠れた声が零れ落ちた。
「ごめんなさい……私、そんな……」
途切れ途切れの謝罪と共に、彼女の大きな瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出す。
生真面目な彼女のことだ。
俺の過去に同情したというよりは、隠しておきたかったであろう壮絶な真実を、己の身勝手な興味で無理やり聞き出してしまったことに、深く心を痛めているのだろう。
俺は何も言わず、彼女の嗚咽が少し落ち着くのを見計らってから、無事な左手でポケットのハンカチを取り出し、そっと差し出した。
「一応こんな出自だけどさ。俺の自認は、まあ……『人』のつもりなんだよ。だから、そんなに気に病まないでくれ」
「アル、様……」
「それに、俺なんかより君のほうがよっぽど凄いって、本心からそう思ってる」
ハンカチを受け取った彼女の目を、俺は真っ直ぐに見つめ返した。
「肉体の八割以上を喪って、それでも生き抜いたこと。そして、その義体を動かすために、ずっと長い時間をかけて血の滲むような訓練を続けてきたこと。……その途轍もない努力と執念は、紛れもなく君自身のものだ」
俺の身体は、思考するだけで十全に動き、人を超えた膂力と精密性を勝手に発揮してくれる。いわばズルをしているようなものだ。
けれど彼女は、指一本動かすのにも大変な苦労をしたという。
そのどん底から這い上がり、今では自分の意志で自由に歩き、走っている。
俺は彼女の語った過去から、その積み重ねてきた途轍もない努力と執念を、確かに感じ取っていた。
「最初からズルして動かせる俺なんかより、自分の力で歩けるようになった君の方が、本当に凄い。それは間違いない事実だよ」
「……いいえ」
リゼットさんはハンカチでそっと目元を拭い、小さく、けれど力強く首を横に振った。
「私はただ、自分を取り戻したかっただけです。……ですが、アル様は違います」
赤く腫れた目元に、確かな熱を宿して彼女は告げる。
「十歳で誰かを守るために命を懸け、存在しない歴史を背負って生まれ直し、それでもなお誰かの幸せのために戦い抜いた。……そして今も、こんな身勝手な私を慰めるために、そうして優しく笑っておられる」
胸元で両手をぎゅっと握り締め、祈るように言葉を紡ぐ。
「その心の在り方は……間違いなく、人の魂です。私には、あなたがただのデータの作り物だなどとは、到底思えません」
その言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。
彼女は俺の成り立ちを否定せず、それでも俺の中に宿るものを「人の魂」だと、はっきり肯定してくれたのだ。
それは、データとして生み出された俺にとって、何よりも救いとなる温かい言葉だった。
「……そっか。ありがとう、リゼットさん。君にそう言ってもらえると、少し照れるけど……すごく嬉しいよ」
照れ隠しに頭を掻きながら笑うと、リゼットさんの顔にもようやく、花が綻ぶような静かで柔らかな笑みが戻ってきた。
互いの境遇は違う。
成り立ちも、背負ってきた過去も違う。
それでも、今ここで並んで座り、言葉を交わし、互いを人として認め合っているこの時間は、決して嘘じゃない。
和らいだ空気の中、俺はふと、先ほど彼女が口にした言葉を思い出した。
『今日までに最低限であれば歩いても構わないと許可をいただいた』。
つまり、彼女はカプセルから出て以来、このオレドの街の景色すら、まだ自分の足でろくに歩いて回ったことがないはずなのだ。
「……なあ、リゼットさん」
「はい。なんでしょうか?」
涙を拭い終えた彼女が、小首を傾げてこちらを見る。
「明日って、何か仕事の予定とか入ってる?」
「いえ。本日のテストデータの解析は夜のうちに自動で終わりますので、明日は終日お休みをいただいておりますが……」
「そっか。明日の予定が空いてるならさ」
俺は少しだけ身を乗り出し、彼女の顔を覗き込むようにして笑いかけた。
「――俺とちょっと、デートしませんか?」
「えっ」
その言葉の意味を頭の中で反芻したのだろう。
数秒のフリーズの後、リゼットさんの色白な頬が、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていく。
「デ、デデ、デート、ですか……!?」
完璧なコンシェルジュの面影など、どこにもない。
目を白黒させ、口をぱくぱくと動かしながら、ものすごい勢いで動揺するリゼットさん。
ただ純粋に、外の世界を知らない彼女を連れ出して元気づけたかっただけなのだが、どうやら刺激が強すぎたらしい。
俺はそんな彼女の可愛らしい反応がおかしくてたまらず、明確な返答を待つこともなく、ただ楽しげに笑い声をこぼすのだった。