【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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その夜のこと

マルドゥック綜合警備保障、本社ビル内の一角にある社員用ラウンジ。

 

終業時間をとうに過ぎた夜のフロアは、人気もまばらだった。

間接照明が壁や観葉植物の影を柔らかく伸ばし、静かなBGMだけが低く、途切れることなく流れている。

昼間の張り詰めた喧騒が嘘のように、そこには気の抜けた夜の空気が満ちていた。

 

「いやいや、手はやすぎやろアルくん。直接会ったん、今日が初めてやで」

 

呆れたような、それでいてどこか面白がるような声。

カッチリとしたスーツを崩し、少しラフな私服姿になったミラベル・アールトンが、手元のグラスをくるりと揺らしながら、長い息を吐き出した。

氷の触れ合う涼やかな音が、静かなフロアに小さく響く。

 

対面のソファに深く腰掛けているのは、警備主任のカシム・アルファイド。

彼もまた、いつもの重厚な武装やタクティカルスーツではなく、落ち着いた色合いのシャツという珍しいプライベートの装いだった。

武骨な鎧を脱いだその姿は、こうして見ると存外に落ち着いた、一人の男のものだ。

 

「……やれやれ」

 

カシムは静かに目を伏せ、短くため息をつく。

その一言に、彼の万感が込められているようだった。

 

「なんやリゼットが帰ってきてそわそわしてるから、ちょいと突っついて聞いてみたら『デートに誘われた』って。あ、違うで。まだ惚れたはれた言う感じやなくて……あの子が自分の事情を伝えた言うてたから、そのへんの気遣いやフォローのつもりなんちゃうかと思うねんけどな」

 

言いながら、ミラベルは少しだけ視線を落とした。

琥珀色の液面に映る自分の顔を眺めるように、彼女の声のトーンが微かに沈む。

 

「アルくんの事情も聞いた言うてたわ。……まあ、リゼットの事情に関しても、そもそも一番知られたらあかん肝心なことは、あの子自身が知らんのやけど」

 

どこか申し訳なさそうな、苦い表情がその横顔をよぎった。

生命維持カプセルに入れられていた過去。

 

それは紛れもない事実だ。

だが、その背景に横たわる真実のすべてを、リゼット本人はすべてを把握してるわけじゃない。

ミラベルにとって、それは口にするたびに胸の奥がちくりと疼く、常に心のどこかへ引っ掛かり続けている棘だった。

 

「あ、無理に内容を聞き出したりはしてへんて。大事な個人情報やしな。それに私、個人的にはアルくんのこと、悪い子やとは思ってへんし」

 

慌てたようにパタパタと手を振ってフォローを入れる。

それから、ミラベルはふうっと大きく息を吐き、纏う空気を「私室」のくつろいだものから「仕事」の張り詰めたものへと、静かに切り替えた。

 

「個人的にはええ子と思ってるねん。けどなあ……あの子、『蛇』なんやろ」

 

その言葉に、それまで沈黙を保っていたカシムの眼光が、微かに鋭さを帯びた。

半年以上前の、あの夜。『血染めのシャーリィ』と共に、彼らがこの本社ビルへ企業スパイとして潜入してきた時の記憶が、二人の脳裏に苦々しく蘇る。

 

「おそらくはな。本人が『結社』の人間だと言い切っていた以上、疑う余地はない」

 

カシムの短い肯定に、ミラベルはもう一度、今度は先ほどよりも深い溜め息をこぼした。

 

「なんで、よりにもよって結社なんや。あの血染めのシャーリィのことを姉言うとったから、単に『赤い星座』の人間や言うなら、こんなに気にせんでもええのに」

 

猟兵団に所属しているだけならば、それはただの商売敵。

同じ裏の世界で飯を食う者同士、たとえ身内のリゼットと深い関わりを持とうとも、企業として特段咎めるようなことではない。

しかし、結社《身喰らう蛇》に属するとなれば、話はまるで変わってくる。

裏の世界における彼らの悪評と警戒度は、他の追随を許さぬほど群を抜いているのだ。

D∴G教団や庭園(ガーデン)といったおぞましい外道どもに比べればまだ「マシ」というだけの話で、大半の国家や組織からは指名手配同然の扱いを受けている、特異にして危険な存在。それが結社という組織だった。

 

「もっとも、企業スパイの件に関しては……GMが結社のトップのところに堂々と介入仕掛けた言う、アホみたいなこと言うとったからな。向こうが報復で仕掛けてくるのも当然や、て」

 

呆れ半分に肩をすくめるミラベルへ、カシムは腕を組んだまま、静かに相槌を打つ。

 

「こちらのトップが規格外なのは、今に始まったことではない。だが、不用意に近づくべき相手ではないな」

 

「ほんまそれな。……あと、それに」

 

そこで、ミラベルの表情が一段と険しいものへと変わった。彼女はグラスを卓へ置き、真っ直ぐにカシムの目を見据える。

 

「カシム。危機管理AIの判定、見たか?」

「ああ」

 

短い返答。

だが、その一言に込められた重みを、二人は言葉にせずとも共有し合っていた。

 

「あの企業スパイに潜入された時と、今回の街道の手配魔獣の時もいっしょや。彼が関わると、どういうわけか危機管理AIの判定結果が『不明(アンノウン)』になるねん」

 

マルドゥックの誇る、高度な演算AI。

数多の情報を処理し、あらゆる危機を先読みするその頭脳をもってしても、アルという存在の底や、その先に待つ事象だけは、正確に予測しきれない。

 

「前回は念のため、カシムにその場にいてもらって助かったけど……今回はちょっと手が遅かったな。アルくんがいてくれへんかったら、どうなってたか」

 

その問いに答えるように、カシムは静かに目を伏せた。

 

「……こちらの不手際だ。不確定要素が多いとはいえ、現場への急行が遅れた」

 

自らを戒めるように呟く恋人へ、ミラベルは責める色など微塵もない、柔らかな微笑を向けた。

彼が誰よりも己に厳しい男であることを、彼女はよく知っている。

そして、グラスに残った酒を静かに飲み干し、再びラウンジの薄暗い天井へと視線を投げた。

 

「個人的には、ほんまにええ子やと思うてるねん。リゼットのことも気遣ってくれてるしな。……けど」

 

残っていた琥珀色の液体を、ゆっくりと喉に流し込む。そうして、彼女は誰にともなく静かに呟いた。

 

「正直、彼をどう評したらええか、わからんわ」

 

深い夜のラウンジ。

二人の大人の間に落ちた沈黙は、得体の知れない規格外の青年に対する、純粋な警戒と、拭いきれない戸惑いを、静かに物語っていた。

 

***

 

一方その頃。

俺はリゼットさんをデートに誘った後――どこか恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、彼女が照れ隠しのように小さく頷いて誘いを受け入れてくれたのを見届け、二人でオレドの街まで戻ってきていた。

適当な店で軽く夕食を済ませ、マルドゥックの世話で借りているホテルの一室へと戻る。

シャワーを浴びて一日の汗と疲れを流し、ようやく人心地ついた頃。

俺はノバルティス博士から渡されている専用の暗号化端末を取り出し、結社のネットワークを介して通信を繋いだ。

 

『――君は、阿呆なのかね』

 

今日のテスト運用の顛末から、手配魔獣との遭遇、そして『負荷8』を解き放って右腕が完全にイカれた経緯まで。

それらを一通り説明し終えた、まさにその直後だった。

端末のスピーカーから、酷く人を小馬鹿にしたような、それでいて一切の容赦がない声色が響き渡ってきた。

 

言わずと知れた、ノバルティス博士だ。

 

『自ら無茶をして片腕の機構を完全に破壊しておきながら、その直後に「明日デートをするから何とかならないか」とは。……君は一体、何を考えて生きているのだね?』

 

「いや、まあ……俺もどうかとは思ったんだけどさ」

 

至極真っ当な苦言に、俺は思わず頭を掻いた。

勢いと場の空気に任せてリゼットさんを誘ったはいいものの、後になってから「そういえば右腕が使い物にならないんだった」と気づいたのだ。

明日もこのだらりと腕を下げた不自然な状態のままエスコートするなど、やりづらいどころの話ではない。

何か外部からの遠隔操作なり、応急パッチの送信なりで、一時的にでも動くようにならないものか。

そんな軽い心持ちで打診してみた結果が、この情け容赦ない罵倒の嵐である。

通信の先で、博士が「ふぅーっ」と荒い呼吸を吐き、乱れた息を整えている音が聞こえてきた。

 

『第一だね。わざわざオレドの地まで赴いておいて、やっていることがその場の女を引っ掛けて遊び呆けることとは。君の本来の目的は「例の調査」だったはずだが。そちらの進捗は、一体どうなっているのだね』

 

「……まあ、それなんだけどさ」

 

呆れ果てた博士に対し、俺は声のトーンを落とした。先ほどまでの軽口を引っ込め、真面目な響きへと切り替える。

 

「そっちについては、ちょっと気になることが見つかったんだけど」

 

俺の声音の変化を敏感に察知したのだろう。

通信の向こうで、博士が『む?』と、興味深げな唸り声を上げる気配がした。

 

「博士。今から六年前に……この表の世界で、そこまで高度な予測や事象の特定ができる『AI』が存在しうるなんてことが、あり得るのか?」

 

俺の問いかけに、通信の向こうで僅かな沈黙が落ちた。

 

リゼットさんがカプセルの中で発見された時期だという、六年前。

その居場所をピンポイントで割り出したという、マルドゥックの『危機管理AI』。

だが、俺の知識が確かならば、六年前の表の世界に存在したまともな演算器といえば、あの三高弟が関わった『カペル』くらいしか思い当たらない。

現在の飛躍的に発展した演算器と比べれば、演算能力も処理速度も大きく劣っているはずの、旧世代の代物だ。

そんな時代に、一体どんな情報を入力すれば、あんな奇跡のような回答を吐き出すことができるというのか。

内心にわだかまるその疑念を端的にまとめ、事の経緯を大まかに説明してやると。

 

『――くくっ、ははははっ!』

 

通信先から、ひどく愉快そうな笑い声が弾けるように響き渡った。

 

『仮にその頃、そのような情報処理を行える端末が表の企業に存在していたとするのであれば。あの当時に私が組み上げていたものよりも、優れていると言わざるを得んな』

 

俺が掻い摘んで説明した事象に対し、通信の先から『くくっ……』と、どこか愉快げに喉を鳴らす声が響いた。

 

『ああ、断言しても構わんがね。まともな手段で、あの当時にそのような演算器が生み出されていることなど、絶対にあり得ん。不可能だ』

 

狂気にも似た、抑えきれない喜色を孕んだ声。それこそが、彼が生涯を懸けて追い求め、渇望してやまない『未知』の匂いを嗅ぎつけた証だった。

 

「博士」

『ああ、分かっている。当面はネットワーク方面から、そのAIとやらに探りを仕掛けてみるとしよう。……ご苦労だった。良い働きだ』

 

普段の彼からは想像もつかない、珍しく素直な労いの言葉。

そして博士は、ふと思い出したように付け加えた。

 

『それと、貴様の腕の調整だったな。ふん……戦闘行為は到底不可能だが、日常生活に支障が出ない程度の軽い調整くらいなら、してやらんこともない』

 

「え、できんの?」

 

俺が思わず素っ頓狂な声を上げると、博士は鼻でふんと笑った。

 

『当然だ。貴様の色恋などというツマラン事情に付き合わされるのも手間だから、本来なら放置しておくつもりだったがね。存外、悪くない情報を持ち帰ってきたからな。特別に調整してやる。……端末を腕に接続したまえ』

 

機嫌の良さを隠しきれない声で、軽く嫌味を織り交ぜてくる博士。

俺は苦笑しつつ、指示通りにケーブルを右腕のポートへと接続した。

博士が遠隔で、シミュラクラ内部の圧力バランスと、伝達回路の流れを一つずつ微調整していく。

それから数分ほど経った頃だろうか。

鉛のように重く沈んでいた右腕に、微弱ながらも確かな「繋がっている」という感覚が、じわりと戻ってきた。

試しに動かしてみる。感覚自体はまだかなり薄いままだが、それでも指や腕が、ほぼ意識した通りに滑らかに動くではないか。

俺はその見事な技術に素直な驚嘆を覚えつつ、短く礼を伝えて通信を終えた。

 

 

『通話終了』の表示を見届け、俺はベッドへごろんと仰向けに寝転がる。

見慣れないホテルの天井をぼんやりと見上げながら、「割とろくでもねぇことしてるな、俺」と、小さく自嘲の息を吐き出した。

 

白い天井をぼーっと見上げながら、自嘲気味に呟く。

 

博士に伝えた危機管理AIの存在。

これに関しては、マルドゥックの広報でも「当社独自の~」といった具合に宣伝されているため、報告しても問題ないと判断した。

 

だが――リゼットさんが、俺へ曝け出してくれた彼女自身の秘密。

『身体の八割を喪った状態で、命を繋ぎ止めることができたという生命維持カプセル』。

 

正直、今の医療技術でも想像がつかないほどのオーバーテクノロジーだ。

博士の追い求める未知。

もしかしたら、AIよりもこちらのカプセルの方が『本命』である可能性すらある。

だが、彼女が俺を信じて語ってくれたあの情報を、あの爺さんに売り渡す気には到底なれなかった。

 

「勝手に線引きして話してる分、企業スパイとしては三流もいいとこだけどさ」

 

天井へ向けて、独りごちる。

それでも、あの爺さんの手助けをしたいという思いは本気だ。

そして同時に、今日勇気を振り絞って過去を打ち明けてくれたリゼットさんに、何か手を差し伸べてやりたいと思ったことも、また紛れもない本心なのだ。

 

「まあ、あそこのGM自身が『企業スパイをされるのを覚悟した上』で俺とテスター契約を結んだって言うんだから……今のところは、これでいいとしとくか」

 

二つの目的の板挟みになりつつある現状に、俺は無理やりそんな理屈をつけて、頭の中の整理をつけた。

 

深く息を吸い込み、静かに目を閉じる。

まずは、明日のことだ。

未知への探求も、後ろ暗いスパイ活動も、とりあえず一旦すべて脇へ置いておいて。

俺は、初めて外の世界を自分の足で歩く彼女とのデートに備え、明日は同するかなど考えながらゆっくりと眠りの中へ落ちていった。

 




博士かくのなんか楽しんだよな
ほんとに女性だったらヒロインコースだったとおもいます(
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