【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
翌朝。
いつもの時間に目が覚め、ゆっくりと身体を起こす。
時計の針は、朝の八時を回ったところ。リゼットさんとの約束は十時だ。
明日にはこのオレドの街を発つ予定になっているため、今のうちに出立の荷造りを大方済ませておくことにした。
散らばった荷物を鞄へ詰め、忘れ物がないかを一通り確認する。
それが終われば、あとは適当に朝食を取り、身支度を整えながら、のんびりと出発の時を待つだけだった。
約束の十分前。
指定していた待ち合わせ場所へ着くと、そこには既にリゼットさんの姿があった。
「お待たせ、リゼットさん。遅れちゃったかな」
「おはようございます、アル様。まだお約束のお時間前ですから」
振り返った彼女に、俺は少しだけ目を奪われた。
いつも身に纏っているメイド服のようなSCの制服とは違う、完全なプライベートの装い。
ふんわりとした膝丈のフレアスカートに、淡い水色のブラウス。
肩には薄手の白いカーディガンを羽織っていて、その柔らかな色合いが、彼女の清楚で穏やかな雰囲気に驚くほどよく馴染んでいた。
朝の柔らかな陽光の中に佇むその姿は、昨日まで通信越しに見ていた完璧なコンシェルジュとも、少し違って見える。
「その格好。いつもの制服もいいけど、そういう格好も新鮮だな。似合ってるよ」
気障にならないよう、ただ思ったままを、さらりと口にする。
するとリゼットさんは、その言葉を噛み締めるように一拍置いてから、ぱっと頬を染めた。
「こういった服を着るのは、初めてなので……おかしくないか、少し不安だったのですが。ありがとうございます」
少し照れくさそうに、はにかむように微笑む彼女。
その仕草には、いつもの隙のない佇まいからは想像もつかない、年相応の初々しさが滲んでいた。
ふと、その視線が不意に俺の右腕へと向く。
だらりと下がったままではなく、自然な位置にあることに気がついたらしい。
「アル様。その、右手は……?」
「ああ。昨日の夜、通信でこの腕を『作った人』にお願いして。調整してもらったら、とりあえず普通に動かせるくらいにはね」
証明するように右腕を軽く持ち上げ、指先を握ったり開いたりして見せる。
彼女は「よかったです……」と、心底ほっとしたように大きく息を吐き出した。
どこか責任を感じていたのだろう。
やはり昨日からずっと、密かに気を揉ませてしまっていたらしい。
「それじゃあ、仕切り直して。……デート、始めようか」
「――はいっ」
弾んだ声で彼女が頷く。
並んで歩き出そうとした、まさにその時だった。
ピピピ、とリゼットさんの携帯端末が、涼やかな電子音を鳴らした。
「あ……アル様、申し訳ありません」
俺に軽く頭を下げ、彼女は慌てて通信に出る。
「ミラベル? ……ええ。はい。……はい、わかりました」
数度の短いやり取りの後、通話を切ったリゼットさんが、どこか申し訳なさそうな顔でこちらを振り返った。
「あの、アル様。誠に申し訳ありません。社の方に、昨日の準遊撃士のお二人と、依頼人の方がいらっしゃったそうでして……」
「ライル君たちが?」
「はい。昨日の件について、改めてきちんとお礼をお伝えしたいとのことらしく……」
せっかくのデートの出鼻を挫いてしまったことに、リゼットさんが眉を下げてシュンと肩を落としてしまう。
俺は小さく笑って、気にするなとばかりにひらひらと手を振った。
「わかった。今日は時間はたっぷりあるんだし、まずはそっちへ行って、話を聞いてからにしようか」
「……ありがとうございます、アル様」
ほっとしたように微笑む彼女を確認して、俺たちは予定を少しだけ変更し、揃ってマルドゥックの社屋へと足を向けるのだった。
***
マルドゥック社屋の一階にある、応接スペース。
そこに、昨日の準遊撃士の二人と、今日も風変わりな旅装を纏った女性の姿があった。
変わった旅装。ただ、昨日も少し思ったことだが、その出で立ちにどうしてもどこかで見覚えがあるような気がしてならない。
喉の奥に小骨が引っかかったような、そんな据わりの悪い感覚。
三人に近づき、軽く声をかけようとした、その時。
「アル兄さん! おはようございます!」
槍使いの少女――リオが、満面の笑みでぶんぶんと手を振りながら、元気に挨拶をしてきた。
『アル兄さん』という、あまりにも自然な呼び方。
その人懐っこい距離の詰め方に少し面食らいつつも、「ああ、おはよう。リオ……さんだっけ」と返す。
それを見た相棒のライル君が、慌てて「アルさん、すみません! いきなりこいつが馴れ馴れしく……」とフォローに入ると、横でリオが「なんだよぅ」と、分かりやすくふくれっ面を見せた。
そんな微笑ましい二人のやり取りを見て、依頼主の女性がクスッと上品に微笑む。
「アル様、先日はどうもありがとうございました。改めてお礼をさせていただくお時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
彼女はそう言って、昨日と同じように、見事な一礼を見せた。
やはり、どこかの良家のお嬢様だと言われても全く違和感のない、洗練された所作だ。
それだけに、この風変わりな衣服とのチグハグさにどうにも首を傾げそうになるが、
俺はひとまず「気にしないでいいよ。皆、無事で良かった」とだけ返しておいた。
その後、応接スペースのソファに皆で腰を下ろし、軽い歓談の場となる。
「それで、今日はどうしたの?」
ただお礼を言うためだけに、わざわざマルドゥックの社屋まで足を運んだのなら、それはそれで律儀なことだ。
だが、向かいに座る準遊撃士の二人が、先ほどからどこか所在なさげにモジモジしているのが気になって、俺はそう尋ねてみた。
「ああ、それは……」
ライル君が言い淀みながら説明しようとすると、隣のシェリアさんがすっと姿勢を正して口を開いた。
「わたくしが、依頼として彼らにお願いしたのです。どうしても、アル様に一度お話しできる機会を用意できないでしょうか、と」
彼女の言葉に、ライル君とリオが「そういうことです」とばかりに頷く。
正直、昨日の一件以外に面識のない俺が、唐突にそんな指名を受ける理由が分からない。
頭に疑問符を浮かべていると。
「わたくし、こういう者です」
シェリアさんが、一枚の豪奢な名刺を、スッとテーブルの上へ差し出してきた。
そこには、こう記されていた。
『小説家 シェリア・リーフィールド』――と。
その瞬間。
俺の脳内で、バラバラに散らばっていたすべての情報が、カチリと音を立てて一つに繋がった。
彼女の風変わりな旅装。その見た目。そして、シェリアという名前。
かつて、本の虫だった十歳までの子供時代。
図書館に一日中引きこもって、擦り切れるほど何度も繰り返し読んで楽しんでいた、あの本。
大人気小説『少女探偵』シリーズ。
目の前の彼女の装いは、その物語の主人公と、寸分違わず全く同じものだったのだ。
俺は、ばっと顔を上げ、真正面から彼女を見つめた。
「もしかして……あの、『少女探偵』シリーズの……!?」
自分でも驚くほど素っ頓狂で大きな声が、応接スペースに響き渡る。
その勢い余った声に、シェリアさんも完全に予想外だったのだろう。
目を大きく見開いて、驚いた顔を見せた。
「ええ、そうですが……。もしかして、読者様でいらっしゃったのですか?」
どこか信じられないといった風に、こちらへ問いかけてくる。
「え、ええ。まあ……」
かつて大好きだった小説シリーズの作者本人が、今まさに目の前にいる。
その事実に、俺は内心でひどくドギマギとしながら頷いた。
隣に座るリゼットさんが、不思議そうに小首を傾げて聞いてくる。
「アル様。『少女探偵』シリーズとは……」
「ああ、リゼットさんは知らないか。結構人気のある長編の小説シリーズでさ。昔、俺もよく読ませてもらってたんだ」
俺の説明に合わせるように、シェリアさんがクスッと上品な笑みをこぼした。
「ええ。嬉しいことに、各国の読者様から、それなりにご評価をいただいております。ただ、本来はティーン向けの冒険小説として執筆したものですので……アル様のような大人の男性に読んでいただいているとは、少し驚きましたけれど」
そう言いながらも、彼女の声に嫌味の色は全くなく、純粋な喜びを帯びた柔らかな雰囲気が漂っていた。
(まあ、俺としても『子供の頃の記憶』なんだけどな……)
ややこしいことに、俺がその小説を読んでいたのは、エリュシオンによって『演算された歴史の記憶』の中での出来事だ。
現在の正しい歴史の時系列で計算すれば、俺が読んだ巻が発刊されたのはここ数年の話になるはず。
だが、俺の主観的な記憶の中では「五、六年前の子供の頃の思い出」という、なんとも説明しづらい状態になっている。
だが、そんな複雑な事情は、今はどうでもいい。
このシミュラクラの身体に移ってからは、腰を据えて本を読む機会もすっかり少なくなってしまっていた。
それでも、かつての記憶の中で夢中になってページをめくった、あの物語の作者に、こうして直接会えたのだ。
俺の中で、かつてないほどテンションが上がっているのが、自分でもよく分かった。
「こほん」
少し浮つきそうになる自分を抑え、仕切り直すように一つ咳払いをする。
「……それで。俺に一度お話を、ということでしたが」
本題について伺おうとすると。
シェリアさんはスッと居住まいを正し、その静かな、けれど強い光を宿した瞳で、真っ直ぐに俺の目を見据えた。
「アル様。……わたくしに、取材をさせていただけませんか?」
「――は?」
全く予想だにしていなかった突拍子もない言葉に、俺は思わず、間の抜けた声を漏らしそうになってしまった。