【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
少年時代。
強くなりたい。あの娘を守れるようになりたい。恐怖に負けない自分になりたい。
そう願っていたあの頃、俺はボロボロになりながら、戦い方を身につけようと必死だった。
闘うための思考は、姉さんから教わった。
けれど――実際の武器の扱い、実戦での取り回し。そういったものは、すべてガレスさんから叩き込まれたものだ。
やり遂げたことを認め、男として、戦士として扱ってくれた、あの時。
子供だった俺にとって、それがどれほど大きなものだったか。
あの小さな勲章は、今もなお俺の心の最も深いところで、消えることのない根幹となっている。
***
「――これでもナンバー持ちの執行者ですよ。……壊れかけの人形兵器相手に遅れを取るなど、許されるはずがないでしょう」
白煙の向こうから響いてきた相棒の声に、思わず苦笑が漏れた。
半壊した鋼鉄が、ギギギと軋んだ音を立てながら、それでも駆動しようと身を起こす。
俺はそれを見届けることなく、後方へと大きく飛び退いた。そこまで豪語するというのなら、こいつらの後始末は、信頼できる相棒に任せておこう。
視線を、広間の奥へと向ける。
中心部に渦巻いていた白煙が、微かに晴れていく。その向こう――ライフルを構え、真っ直ぐこちらへ銃口を据える男の姿が見えた瞬間、銃口に火が走った。
「っ――!」
ほぼ条件反射だった。負荷の蓄積が少ない左腕を突き出し、『負荷3』を展開する。
ギリギリのタイミング。ほとんど手元と言っていい至近距離で、衝撃波とライフル弾が激突し、激しい火花を散らした。
(……あと少し遅れていたら、致命傷だったぞ)
背筋を冷たいものが伝う。
「セドリック、そっちは任せた!」
短く背後へ投げかけ、俺は腰を低く落とした姿勢のまま、一気に白煙の先へと駆け出した。
視線の先で、ガレスさんが再びこちらへ銃口を向ける。
――だが、先ほどのパルスによる防壁を警戒したのだろう。狙いは、俺の胴でも頭でもない。足元。
おそらくは腕部から放たれる衝撃波の、射程の外側。脚部を狙い澄ました、冷徹な一撃。
ズダァンッ!
床が弾け、破片が跳ねる。
(――だが、十分だ)
狙撃のタイミングは測れている。俺は走りながら射線を外すべく、意図的に斜めへ斜めへと軌道を振った。
そして、その時だった。
カチ、と。足元で、ひどく嫌な音が鳴った。
(トラップ……!? まず――い……!)
考えるより先に、身体が限界を超えて反応していた。
前傾姿勢でトップスピードに乗りきっていたにもかかわらず、地を踏み抜いた右脚の膝を無理やりに折り曲げる。
間髪を容れず、脚部の《パルスグリーブ》へと意識を直結させた。
(――『負荷4』ッ!!)
足裏から叩き込まれる、強烈な力場衝撃波。
その直後、石畳の下に埋め込まれていた指向性地雷が、轟音と共に炸裂した。
至近距離での爆発と、展開がほんの一瞬だけ間に合わなかったグリーブの反動。
その二つの圧力を同時に浴びる形となり、俺の身体は木の葉のように宙へと跳ね上げられ、受け身も取れないまま無様に地面を転がっていく。
「がっ、ぐ……!」
全身を苛む猛烈な衝撃と、焼けつくような熱量。
だが、咄嗟に放った力場の相殺のおかげで、装甲とフレームが砕け散るような致命傷には至っていない。転がりながら、それだけを瞬時に確認する。
(くそっ……トラップ……! 完全に頭から抜けてた……!)
喰らって初めて、己の浅はかさを痛感した。
相手は大陸最強と謳われる《赤い星座》だ。
陣地防衛においてトラップや地雷を仕込むことなど、彼らにとっては息をするのと同じくらい当たり前の戦術に決まっている。
ここまでの道中で一度も踏まされなかったという、根拠のない油断。
そして何より――周囲からどれだけ「猟兵のような手管を使う」と評されようと、
俺自身は、本物の猟兵団に腰を落ち着けたことも、国家規模の泥沼の戦場へ兵として身を投じたこともないのだ。
トラップという選択肢が、そもそも自分の持ち札にない。だからこそ、完全に思考の死角から撃ち抜かれた。
無様に地面を舐めながら、必死に顔を上げてガレスさんへと視線を向ける。
その瞬間、背筋に冷水を浴びせられたような感覚が走った。
彼はいつの間にか、身の丈ほどもあるライフルを背へと流し、サイドアームの大型導力銃へと持ち替えていた。
そしてその銃口は、地を転がる俺の頭部へと、正確に照準を合わせようとしている。
(まずい――ッ!!)
立ち上がる隙など、どこにもない。
俺はみっともなさなど一切かなぐり捨て、地面を転がり続けながら、追撃の銃弾を必死に躱していった。
ドッ、ドォンッ!
転がる身体の数センチ横で、石畳が激しく弾け飛ぶ。かすり傷の一つが致命傷になりかねない、大口径の連射。
それでも泥に塗れながら、死に物狂いで転がり続けた――その時。
激しく回転する視界の端に、先ほどのトラップの爆発で砕け散った、手頃な大きさの瓦礫が転がっているのが映った。
(――しめたッ!)
転がる勢いを殺さず、右の掌を地面へと力任せに叩きつける。それを支点とし、倒れたままの体勢から全身をグルンと大きく旋回させた。
遠心力のすべてを乗せた右足の甲で――その鋭利な瓦礫を、ガレスさんの顔面めがけて思い切り蹴り飛ばす。
弾丸のように空を切り裂いて迫る岩塊。
だが、ガレスさんは眉一つ動かさなかった。最小限の跳躍でフッと後方へ身を引き、何事もなかったかのようにそれをやり過ごす。
――その、ほんの一瞬の隙。
俺はその場から弾かれたように立ち上がり、迷うことなく腰のホルダーからコンバットナイフを引き抜いた。距離は、すでに銃の間合いではない。
それを見たガレスさんもまた、こちらの意図を正確に汲み取ったのだろう。
手にしていた大型導力銃を滑らかな手つきでホルスターへと納め、逆の手で、自身の腰から無骨で長大な大型ナイフを、静かに引き抜いた。
お互いにナイフを構え、刃先を向け合って対峙する。
先ほどまでの硝煙と爆発の喧騒が嘘のように、広間の空気が凪いでいた。
研ぎ澄まされた静けさすら感じられる、張り詰めた間。
ふう、と小さく一呼吸。肺の空気を吐き出し――次の息を吸い込む、そのわずかな合間。
相手の拍子より半テンポ早く、俺は石畳を強く蹴り抜いた。
一気に間合いをゼロへと潰し、ガレスさんの懐へと踏み込む。
閃く刃。鋭く繰り出す刺突と薙ぎ払い。その合間にねじ込む肘と掌打。
矢継ぎ早に叩き込む連続の応酬に対し、ガレスさんは恐ろしいほどに冷静だった。
無駄のない最小限の角度で刃を合わせ、こちらの切っ先を逸らし、的確に太刀筋を殺して捌き切ってくる。
それだけではない。攻勢にほんの僅かでも乱れが生じれば、その隙を見逃さず――俺の頸動脈へ、心臓へと、容赦のないカウンターの切っ先が閃く。
肌と肌が触れ合うほどの至近距離での、命のやり取り。
筋力、反応速度、動作の精密性。
そうしたハードスペックの比較であれば、この身体を持つ俺が、生身の彼に劣る要素など何一つないはずだった。
それなのに――圧倒的な経験の厚みと、研ぎ澄まされた技術の差によって、こちらの動きは完全に手玉に取られている。
一瞬でも意識を抜けば、その瞬間に首を刈り取られる。
単なるナイフ術の巧拙にとどまらない。刃の届かない死角から肘を押し込み、体軸を崩し、こちらの重心を巧みに殺してくる。
その白兵戦の立ち回りは、まさに大陸最強の猟兵団で修羅場を潜り抜けてきた玄人のそれだった。
ギィンッ、ガキンッ!
幾度となく激突し、火花を散らす刃と刃。本気で急所を狙い、隙を突こうと振るい続ける。
だが、そのことごとくが軌道を狂わされ、いなされ続けていた。
(このまま押し引きを続けても……先に隙を晒すのは、俺の方か)
思考の奥底で、冷徹に現状を見極める。退路を断つように、心の中で決心を固めた。
――ひとつ、賭けに出る。
ガレスさんの鋭利な払いを、身を引いて躱した、その直後。
俺は握りしめていた愛用のコンバットナイフを――躊躇なく、目の前で手放した。
無防備に宙へと投げ出され、床へと落ちていく刃。
眼前で武器を放棄するという常軌を逸した行動に、いかに百戦錬磨のガレスさんといえども、一瞬だけ判断の迷いが生じたのだろう。
その動きが、ピタリと止まった。
その刹那。俺は空いた右の掌を、彼の目前でパッと大きく開いて突き出した。
(――そうだ)
ここまでの戦闘で、幾度となく銃弾を弾き飛ばし、至近距離で爆風すら受け止めてみせた手甲の衝撃波。
その威力を目の当たりにしてきたからこそ、このゼロ距離での掌の開放が何を意味するのか――強烈な力場によるゼロ距離射撃が来ると、あの人の研ぎ澄まされた戦術眼は、瞬時に察知したはずだ。
ガレスさんの意識が、眼前で開かれた掌へと完全に向けられる。ガードか、回避か。その選択肢の間で、コンマ数秒の迷いが生じた。
――だが。
俺はその開いていた掌を、力任せにギュッと固く握り込んだ。衝撃波など、端から放つつもりはない。
迷いによって足が止まった、その刹那の隙へ。純粋な義体の出力だけを乗せた右の拳を、ガレスさんの顔面めがけて思い切り叩き込んだ。
ドガァンッ!
鈍い破砕音が響き渡り、ガレスさんの頑強な巨躯がぐらりと大きく揺らぐ。
「――ぐっ……!」
崩れ落ちそうになる彼を見据えながら、俺は足元へと視線を落とした。
ちょうど石畳の上に転がっている、自分のコンバットナイフ。つま先を引き、それを思い切り前方へと蹴り飛ばす。
足先で弾かれた鋭利な刃は、ぐらつくガレスさんの右のふくらはぎへと、深く、正確に突き刺さった。
「……ッ!」
体勢を崩したところへの、脚部への深い刺創。いかに屈強な戦士であろうと、脚の自由を奪われれば踏ん張りは利かない。
その頑強な巨躯から、明らかに反応の精彩が削ぎ落とされたのが見て取れた。
今度こそ、と踏み込みながら、彼の厚い胸元へと右の掌を強く押し当てる。
残されたわずかな導力リソースを、パルスストライカーの基部へとすべて注ぎ込んだ。
(――『負荷2』ッ!!)
放たれる、力場の衝撃波。
万全の状態のガレスさんであれば、筋肉の締めと重心移動だけで十分に耐え切れる程度の、ごく軽微な出力。
だが――完全にバランスを失い、足の踏ん張りを奪われた今の状態では、その微かな衝撃すら受け流す術はなかった。
ドッ、と。
胸を突かれたガレスさんの身体は支えを失い、背後の石畳へと、大きく音を立てて倒れ込んだ。
俺はホルスターから導力銃を引き抜くと、大きく肩で息をしながら、仰向けに倒れたガレスさんへとその銃口を向けた。
「俺の……いや、俺たちの勝ちです」
荒い呼吸を必死に整えながら、そう告げる。
「――ああ。見事だった」
ガレスさんは倒れ込んだまま、どこか満足そうに低く呟いた。
敗北を喫したにもかかわらず、その厳格な顔つきは憑き物が落ちたかのように、清々しささえ帯びている。
やがて、背後から重い足音が近づいてきた。
二機の人形兵器を完全に沈め終えたセドリックが、疲労を滲ませた足取りでこちらへと歩み寄ってくる。
「……こちらも、片付きましたよ」
「ああ。お疲れ、セドリック」
短く言葉を交わし、二人で顔を見合わせる。
そして、互いの意図を確かめ合うようにコクリと深く頷き合うと、俺たちは、地に倒れ伏したままの彼へ向けて、深く腰を折って頭を下げた。
かつて生きる術を叩き込んでくれた『師匠』に対する、ありったけの感謝と敬意を込めて。
顔を上げ、踵を返す。
この長かった試練の締めくくりとなるであろう、姉さんとの決着をつけるために。
俺たちは広間の最奥にそびえる重厚な扉を押し開き、その先へと迷いなく駆け出していった。
***
二人の足音が完全に遠ざかり、広間に再び静寂が降りてから、しばらくの後。
ガレスはゆっくりと身を起こすと、部屋の壁に重い背中を預けながら、一本の煙草をくわえて火を点けた。
細く紫煙を吐き出し、静かに目を閉じる。
脳裏に浮かんでくるのは、先ほどまで刃を交えていたあの男が、まだ幼い少年だった頃の光景。
自身がまだシャーリィ様のことを『お嬢』と呼び、お目付け役として行動を共にしていた時期のこと。
お嬢の気まぐれから始まった、あの地下での苛烈な訓練の日々。
そして――激闘の末に散っていった、あの重く、血生臭い結末。
本来ならば、この世界にありもしないはずの『喪われた歴史』の記憶。
いつだったか、シャーリィから渡された得体の知れない薬によって、無理やり脳髄へと焼き付けられたその記憶を、静かに反芻する。
ガレスは煙草の煙と共に、もう一度、深く息を吐き出した。
冷徹な猟兵は、その口元に、確かに満足げな笑みを浮かべていた。
誰に聞かせるでもなく。ただ一人の教え子の背中へ向けて、静かに独りごちる。
「――強くなったな、アルシュ」