【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
「ふん、こんなところでいいだろう」
無機質な響きを伴う老獪な声が、頭上から落ちてきた。
結社が保有する、ノバルティス博士のラボの一つ。その中央に据えられた調整ベッドの上から、俺はゆっくりと身を起こした。
床に足をつけ、立ち上がりながら手足の指先を開閉し、駆動系や神経接続の感触を一つずつ確かめていく。
自爆紛いの負荷で軋んでいた両脚も、削られた装甲も、嘘のように馴染んでいる。
「……ありがとうございます、博士」
軽く頭を下げると、コンソールの前に立つ博士は「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。
ここに戻ってきた直後、半壊した《ヘカトンケイル》と俺の身体の惨状を見るなり、さんざっぱら怒声を浴びせられ、その後もねちねちと嫌味や小言を言われ続けたのだが……ひと通り吐き出して流石に気が済んだのか、今はもうすっかり落ち着いた様子だった。
「言っておくが――」
なおも釘を刺そうと口を開きかけた博士に、俺は苦笑しながら先回りして答えた。
「わかっています。これからは結社から離れることになりますし……まあ、定期的な身体の調整もあるんで、たまには戻ってきますが、そう頻繁に博士の厄介にはならないようにしますよ」
「ふん。貴様のそれは、とても信用できたものではないがな」
博士はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、作業台の上に置かれた修理途中の《ヘカトンケイル》へと視線を走らせた。
今回の無茶苦茶な有様を突きつけられては、言い返す言葉もない。
肩をすくめ、近くにあった椅子を引き寄せて腰を下ろすと、少しだけ声を落として切り出した。
「それで、博士……MKのほうは?」
俺の問いに、博士は忌々しげに眉根を寄せた。
「ふん、忌々しいことだが、あそこのネットワークはほぼ完全にクローズドだな。外部に開かれている数少ない入口も、まるで悪質な釣り餌だ。下手に入り込めば、こちらが逆探知されて捕まりかねん」
淡々と、しかし苦々しく語る博士。
技術にかけては絶対の傲慢さを持つこの爺さんがそこまで言う以上、外部から真っ当な手段でアクセスするのは極めて難しいのだろう。
「……もっとも。貴様が直接出向けば、また話は別だがな」
博士が、どこかつまらなそうな目でこちらをジロリと見る。俺は思わず呆れ顔になって溜息をついた。
「いや、それをやったらダメだって言ったのは、他でもない博士でしょうが」
実際、やりよう自体はあるのだ。
俺自身があちらの施設に出向き、直接アクセスすれば――という条件付きではあるが。
だが今の段階でそんな強引な真似をすれば、『異常がないことそれ自体が異常』だと判断されてしまう。
そうなれば、あの恐ろしい警備主任が即座に飛んできて、その場でゲームオーバーになるのは目に見えていた。
だからこそ、短気なはずのこの博士ですら、回りくどく面倒な手順を踏んで、少しずつ慎重に事を進めているのだ。
「ま、それに関しては今後も注意しておきますよ。共和国に出向いても、マルドゥック社とのテスター契約自体は続けていきますし。向こうも今後のビジネスの主軸がカルバードに移ったって話なら、また何かやりようも出てくるかもしれませんしね」
「ふん。こちらも当面は、今のままじっくりと進めることになる。貴様が共和国でどう活動しようが勝手だが、何があってもこちらからの連絡だけは受け取れるようにしておけ」
「はいはい、わかってますよ」
軽く手を上げて応え、椅子から立ち上がる。そのまま、ラボの重い扉へと足を向けた。扉の前で一度だけ立ち止まり、背を向けたまま声をかける。
「じゃ、博士。……お世話になりました」
「ふん」
博士はモニターから視線を外さず、こちらに顔すら向けないまま、短く鼻を鳴らしただけだった。
いずれまた調整で顔を出すことになるとはいえ、一区切りの挨拶にしては、あまりにもあっさりとした――俺たちなりの幕引きだった。
***
博士のラボを後にし、まとめておいた荷物を回収するために自室へと向かう。人気のない無機質な廊下を曲がると、俺の部屋の扉の前で、壁に背中を預けて待っている人影があった。
「セドリック」
声をかけると、彼はふっと顔を上げてこちらを見た。
「足の方は、もう大丈夫のようですね」
俺の確かな足取りを見て、セドリックが穏やかに微笑む。
「ああ、おかげさまでな。その代わり、さんざっぱら博士に嫌味を浴びせられたけどね」
肩をすくめて笑って返すと、彼も愉快そうに「はははっ」と笑った。
一息ついたところで、セドリックは少しだけ改まった表情になった。
「それで……これから、もう出るんですよね?」
「ああ。結社からは退職金代わりに、前に任務で使った車をそのまま持っていっていいって、姉さんが手配してくれたみたいでさ。のんびりドライブでも楽しみながら、イーディスまで向かうさ」
気楽な調子でそう答えると、セドリックも小さく笑みをこぼし、それから姿勢を正して、真っ直ぐに頭を下げた。
「改めてになりますが、この一年……本当に、色々と助けになりました」
階段の途中でも聞いた言葉を、もう一度、丁寧な礼と共に口にする。本当に律儀なやつだと思いながら、俺も自然と背筋を伸ばし、笑って言葉を返した。
「こっちこそ、セドリックがいてくれて助かったよ。また何かあったら、遠慮なくいくらでも呼んでくれ」
顔を上げたセドリックは、少しだけ思案するように目を細めた。
「あなたが共和国を拠点とするなら、そう簡単には難しそうですが……そうですね。調整などでこちらに戻ってくる時に教えていただけるなら、その時はまた、手合わせでもしましょうか」
執行者として、そして一人の武人としての顔を見せる相棒に、俺はニッと不敵な笑みを浮かべる。
「わかった。その時には、またこてんぱんにしてやるさ」
「ははっ。その言葉、そのままお返ししますよ」
お互いに真っ直ぐと目を合わせる。どちらからともなく一歩踏み出し、肘を曲げて上げた右手を、正面からガシッと力強く握り合わせた。
掌から伝わる、確かな熱と力強さ。一年間、共に背中を預け、泥の中を這いずり回ってきた相棒との、言葉のいらない信頼の証。
「――それじゃあな、セドリック」
「ええ、アル。――あなたに武運を」
短く声を掛け合い、握った手にぐっと力を込めてから、パッと離す。
最後の最後まで湿っぽさとは無縁な別れに、どちらからともなく、また朗らかな笑いがこぼれた。
***
自室に入り、ベッドの上に置いてあったバッグを肩にかける。
必要な荷物は、先日のうちにすべて詰めておいた。もっとも、荷物といっても大した量ではない。
そもそも俺は記録の上では何も持たない身分だし、秘密結社の拠点のど真ん中で、日用品や私物をあれこれ買い揃えるような機会もなかったからだ。
ただ、結社での仕事の手伝いや、マルドゥック社とのテスター契約のおかげで、口座にはかなりの額の給金が振り込まれている。
イーディスに着いたら、向こうでの生活に合わせて色々と買い揃えるのも悪くないな――そんなことを考えながら、俺は拠点の出口へと歩いていった。
やがて、外へと通じる出入口が見えてきたところで、思わず足を止める。
出口付近の壁に背中を預け、誰かを待つように暇そうに足をブラブラと揺らしている、見慣れた赤髪があったからだ。
「……姉さん、なにしてんの?」
声をかけると、姉さんは「お、きたきた」といった表情でこちらへ振り返り、カラッとした明るい笑顔を向けてきた。
「ま、一応しばらくはお別れだって言うからね。出る前に、もう一回顔くらい合わせておこうかと思ってさ」
軽い足取りで、こちらへと歩み寄ってくる。
「だったら、俺の部屋で待っててくれたらよかったのに」
俺が苦笑交じりにこぼしても、姉さんはまるで気にした風もなく、目の前までやってきて立ち止まった。
「アルはこれから、本格的に共和国で活動するんでしょ? さすがに、あっちの国に堂々と入るのはアタシも難しいしね」
「……そりゃ、そうだろうな」
それこそ、こないだのオレドでの潜入の比ではない。
《赤い星座》としても、《執行者》としても、姉さんがカルバードの国境を跨いだ瞬間、CIDに目をつけられるどころの騒ぎでは済まないはずだ。
というか姉さんの場合、猟兵としてあまりにも名前が売れすぎている。もちろん、極めて物騒な方向に。
「ま、そういうわけでさ、アル。――これ、あげるよ」
姉さんはそう言って、無造作な手つきで一つの包みを差し出してきた。受け取ってみると、それは重厚な造りのナイフホルダーに収められた、一振りのナイフだった。
「姉さん、これ……」
グリップの形状や全体のシルエットに、強烈な既視感を覚える。
戸惑いながら言葉を継ごうとすると、姉さんは、いいからさっさと抜いて見なよ、とでも言うように、目で促してきた。
ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐るホルダーの留め具を外して、その刃をゆっくりと引き抜く。
「――っ」
息が、止まった。
現れたのは、俺にとってあまりにも見知った形――片側に深い櫛状の溝が刻まれた、無骨な『ソードブレイカー』だった。
ただの鋼鉄ではない。おそらくは特殊な鉱物を用いて鍛え上げられたであろうその刀身は、照明の光を吸い込むように黒く、それでいて鋭い輝きを放っている。
ソードブレイカー。
それは、喪われたあの歴史の中で、俺がまだガキだった頃、姉さんから『訓練の卒業の証』として手渡された、初めての自分の武器だった。
けれど当時の未熟な俺は、ろくに扱う術も覚えぬまま――マフィアとの戦いで、自分の片腕ごと斬り落とされて失ってしまった。苦く、重い記憶の象徴でもある。
固まったまま刀身を見つめる俺を、姉さんがじっと見つめながら言った。
「あの頃とは違って……今のあんたなら、もうしっかり扱えるでしょ?」
静かで、けれど確信に満ちた声。俺は、黒く輝く刃から目を離せないまま、小さく頷いた。
「……うん」
あの頃の、無力だったガキの俺とは違う。
片腕と共にそれを失ったあの日とは違って、二十年の歴史の中で、ちゃんと使いこなせるようにと、俺はひたすらに訓練を重ねてきたのだから。
胸の奥から熱いものが一気にせり上がり、視界がじんわりと滲みそうになる。それを悟られまいと、大きく、深く息を吸い込んで、必死に涙をこらえた。
ホルダーへと黒い刃を戻し、それを胸に抱くように強く握りしめて、顔を上げる。ありったけの思いを込めて、ただ一言を伝えた。
「――ありがとう、姉さん」
姉さんは「にししっ」と悪戯っぽく笑った。
「それとさ、アル。――あと、こっちもあげる」
そう言って、もう一つ、別の包みを無造作に手渡してくる。
中身を確かめた瞬間、俺はギョッとして息を呑み、思わず姉さんの目を凝視した。
そこにあったのは、手に馴染むように作られた無骨なタクティカルグローブ。
俺がまだ子供だった頃、ガレスさんからもらったものと、同じ型の品だった。
「姉さん、これ……っ」
驚きを隠せないまま問いかける俺を見て、姉さんは愉快そうな笑みを隠しきれぬまま、わざとらしく肩をすくめた。
「さあ? アタシはただ、ガレスから『これを渡してくれ』って伝えられただけだから」
絶対に何か知っているくせに、何一つタネ明かしをする気はないのだろう。
そんな意地の悪い笑みを浮かべたまま、あっけらかんと言ってのける。
俺は口の端を引きつらせたが――やがて、「ははっ」と軽く笑って息を吐き出した。
理由はどうあれ、あの厳格で不器用な師匠がこれを用意してくれた。それだけで十分だった。
グローブを大事に握りしめ、笑顔で頼む。
「姉さん。いつかまた、時間ができたらでいいんだけど……ガレスさんに、『今度お酒でも飲みに行きませんか』って、伝えてくれないかな」
姉さんは嬉しそうに目を細め、頷いてくれた。
「いいよ、伝えとく」
贈られた二つの品をしっかりと収め、少しだけ呼吸を整えてから、改めて姉さんと真っ直ぐに向き合う。
「――それじゃ、そろそろ行ってきます」
さようなら、ではなく、いつかまた顔を出す場所への挨拶。姉さんもまた、気負いのない自然な声で応えてくれた。
「ん、行ってらっしゃい」
後ろを向き、出口へ向かって歩き出す。その背中に、不意に姉さんの声が追いかけてきた。
「――アル。元気でやりなよ」
足を止めて振り返ると、そこには、少しだけ寂しげな色を滲ませながらも、ひどく優しい笑みを浮かべる姉さんの姿があった。
その言葉を胸の奥で深く噛み締めてから、笑顔で伝える。
「うん。――姉さんも、元気で」
そう言い残して、踵を返した。
子供の頃の、あの不意に訪れた一方的な別れとは違う。
今は自分の意思で、前を向いて、さらに先へと進むために、姉さんに別れを告げたのだ。
どこにもなかった俺の『居場所』と『名前』をくれた姉さんに、心の底から感謝を込めながら――俺は、その場を離れた。
***
アルの姿が出口の向こうへと消え、拠点に再び静寂が戻った直後のことだった。
カツ、カツ、と硬質なヒールの音を規則正しく響かせながら、拠点の奥から一人の女性が歩み寄ってくる。
常人とは異なる重いオーラを纏ったその女性は、出入口の壁にもたれかかって機嫌良さそうに足をぶらぶらさせているシャーリィを見つけると、静かに足を止めた。
気配に気づいたシャーリィが、ひょいと首を巡らせる。
「なんだ、ベルじゃん。来てたの?」
「ええ、つい先程ね。……それで、今出ていった彼が?」
女性――マリアベルは、アルが去っていった扉の方へと視線を流し、興味深そうに細めた目をシャーリィへと戻した。
「そ、うちの弟分。ま、もう、ほんとにアタシの弟になっちゃったんだけどね」
どこか誇らしげに、くつくつと喉を鳴らして笑うシャーリィ。
そのあまりにも柔和な表情を見て、マリアベルは呆れたように小さく肩をすくめた。
「あなたから『当面はこっちに来ないように』と釘を刺されていた間に……ずいぶんと、知らない顔をするようになりましたわね」
「はは、まぁね」
シャーリィはあっさりと認めつつ、不意にその瞳に獰猛な光を宿して、悪戯っぽく口角を吊り上げた。
「それにさ、もしベルがこの期間にこっちへ顔を出してたら……多分、アルに殺されてたよ?」
物騒極まりない冗談のような言葉。だが、そこに冗談の響きはない。
マリアベルは、扇子でも広げるような優雅な仕草で首を傾げた。
「あら、心外ですわね。わたくし、彼と直接関わりを持った覚えはありませんけれど。……あなたの言う、その『二十年のあり得ない歴史』の中であっても、ね」
「ま、それは多分そうだけどさ。……ベルがあの娘にやったことを考えるとね」
シャーリィの言葉に、マリアベルの目がわずかに細められる。
マリアベル・クロイス。かつてクロスベルの地で引き起こされた、独立国騒動の元凶の一人。
アルシュという一人の青年にとって――たとえ直接の面識や因縁がなかろうとも、大切な家族や仲間たち、そして何よりあの幼い少女を弄んだ彼女の存在は、決して許すことのできない明確な『敵』であることに、間違いはなかった。
シャーリィが彼とマリアベルの接触を徹底して避けさせていた理由を察し、マリアベルは何事か考えるように、ふーっと長く息を吐き出した。
「……まあ、それは構いませんわ。過ぎたことですもの」
すぐにいつもの傲岸で優雅な微笑みを取り戻すと、マリアベルは踵を返し、シャーリィへと視線を投げる。
「それより……シャーリィ。しばらく彼にかまけてサボっていた分、ここからはしっかり働いてもらいますわよ? わたくしたちはカルバードへ直接乗り込んで動けないとはいえ、次の段階へ進むために、やるべきことは山積みですから」
「あーあ、人使いが荒いねぇ。……はいはい、わかってるって」
シャーリィは大げさにため息をつきながらも、壁から背中を離し、マリアベルの隣へと並んで歩き出した。
一人は、過去を乗り越え、新たな名前と共に表舞台の共和国へ。そしてもう一人は、弟を見送り、再び深淵なる結社の闇の中へ。
二つの道が分かたれたことを示すように、遠ざかっていく二人の足音は、やがて冷たい拠点の奥深くへと溶けて消えていった。
***
結社の拠点の地下に設けられた駐車場。
俺はそこに停められていたヴェルヌ社製の導力車へと歩み寄り、運転席に乗り込んだ。
バッグを後部座席へ放り込み、イグニッションを回して車を起動する。
低く心地よい導力エンジンの駆動音が地下空間に反響する中、ゆっくりとアクセルを踏み込み、地上へと続くスロープを登っていく。
暗いトンネルを抜け、外の空気へと躍り出た瞬間――フロントガラスの向こうに広がったのは、目が眩むほどに突き抜けるような青空だった。
七耀暦一二〇八年、六月の終わり。
季節はすでに初夏へと足を踏み入れていて、窓越しに差し込む陽射しには、確かな夏の気配が混じり始めている。
ハンドルを切り、偽装された地下の出入口から少し離れた、深い木々の緑が落とす涼しげな木陰へと車を滑らせる。
ブレーキを踏んで車を停め、助手席側の窓を開けると、そこで一人待たせていた人物へと声をかけた。
「ごめんなさい、遅くなりました」
「いえ、さして待っておりませんわ。……それより、そちらこそ別れの挨拶などはもうよろしかったのですか?」
気遣うようにこちらを確かめながら、彼女は後部座席に荷物を押し込み、助手席へと乗り込んでくる。
結社の拠点にいる間、常に身に纏っていたあの凛々しい白銀の騎士装束ではない。
今日の彼女が着ているのは、装飾の少ない、どこか素朴で清楚な旅装だった。
手には大きな旅行鞄を抱えていて、その佇まいは恐るべき結社の武人というより、これから初めて都会へ出ていく田舎の少女のような、あどけない雰囲気を醸し出している。
――《鉄機隊》筆頭にして、《神速》のデュバリィさん、その人だった。
シートベルトを締めようと苦戦している彼女の横顔を眺めながら、自然と口元が緩むのを感じて、素直な感想を口にする。
「しかし、そういう普通の服を着ていると、なんだかすごく新鮮ですね。すごく似合ってて、可愛らしいですよ」
他意のない、純粋な賞賛の言葉。だが、それを聞いた瞬間、デュバリィさんの動きがピタリと凍りついた。
「…………っ!?」
みるみるうちに、彼女の白い頬から耳の先までが、熟れたトマトのように真っ赤に染まっていく。
「なっ、な、な……何を突然、戯言を抜かしていますの!? わ、わたくしを誰だと思って……っ!」
怒っているのか、恥ずかしがっているのか。
おそらくその両方なのだろうが、デュバリィさんは目を白黒させながら、瞳を潤ませて猛烈にまくし立ててきた。
「こ、これはただの潜入用のカモフラージュですわ! いくらなんでも、あの騎士装束のまま共和国の首都に乗り込むわけにはいかないでしょう!? 別にお洒落や気まぐれでこんな格好をしているわけでは……っ!」
「ははっ、わかってますって。でも、本当に似合ってると思ったから」
「う、うぐぐ……っ! 人がせっかく殊勝に待っていてあげたというのに、開口一番にからかうなんて……あなたという人は、本当に油断も隙もありませんわね!」
顔を真っ赤にしたまま、ギリギリと歯噛みしてこちらを睨みつけてくるデュバリィさん。
先ほどまでの、姉さんやセドリックとの別れのしんみりとした余韻など、彼女のこの見事なまでの変わらなさのおかげで、あっという間に吹き飛んでしまった。
やがて彼女は大きく咳払いをして強引に居住まいを正すと、真っ赤な顔を窓の外へと背けながら、ビシッと前方の道を指さした。
「と、とにかく! 準備ができたのなら、さっさと車を出してくださる!? 日の高いうちに少しでも距離を稼いでおきたいのですから!」
「はいはい、了解ですよ」
くつくつと喉の奥で笑いながら、シフトレバーを入れ、ハンドルを握り直す。
アクセルを踏み込むと、ヴェルヌ社製の導力車は静かに、けれど力強く木陰から滑り出し、街道へと合流していく。
バックミラーの向こうへ、これまで過ごした場所が少しずつ遠ざかっていくのを一瞥し、すぐに視線を前へと戻した。
目指すは、カルバード共和国の首都・イーディス。
初夏の眩しい日差しと、隣でまだぶつぶつと文句を言っている騒がしい同行者を乗せて。俺の新しい旅路が、幕を開けた。
以上で幕間完結となります。
ご愛読ありがとうございました。
ちょっとしたおまけを数回投稿したら、今度こそ黎軸のイーディス編です。
ここまでのネタだしとかしてみたいけど、需要あるのかどうか。
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