【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
オレドを再訪し、リゼットさんとあの少しむず痒いような『デート』をしてから、数日が過ぎた頃。
明日にはいよいよ、姉さんの理不尽極まりないシゴキが待つ帝国北方の廃棄砦へ向かう、その前日のことだ。
俺は結社が用意してくれた拠点の自室で、机の上に広げた機材と向き合っていた。
マルドゥック社から支給されている専用の情報端末。
そこに、愛用している《パルスストライカー》と《パルスグリーブ》の接続ケーブルを繋ぎ、蓄積された戦闘ログと生体データを送信する。
淡い導力光がケーブルを伝い、プログレスバーがゆっくりと満たされていく。
やがて、画面の中央に『データ同期完了』の表示が浮かぶのとほぼ同時に、ヘッドホンのインカムから、澄んだ落ち着きのある声が届いた。
『――通信確認いたしました。これで、パルスギアのファームウェアアップデートは完了となります、アル様』
「お疲れ様、リゼットさん。いつも助かるよ」
自然と口元が緩む。
先日オレドのテストエリアで伝えた、グリーブの出力ベクトル――つま先や足裏への力場の指向性制御に関する改善案や、実戦で得られた反動データの蓄積。それらを反映させて内部システムの効率化を行いたいと、リゼットさんから連絡をもらい、こうして回線を繋いでいたのだ。劇的に何かが変わるほどの大改修ではないらしいが、思考と反応のわずかなラグを削るための微調整は、明日からの鉄火場を考えれば願ってもないことだった。
始まりこそ、あの食えないソーンダイクGMの蜘蛛の巣にまんまと引っかかったような形ではあったが……テスターとしてこの武装を預かって以来、俺はこのパルスギアの力場に、幾度となく命を救われてきた。
接続を解除し、軽く指先を開閉しながら、ふと思い立った疑問をインカムへ投げかける。
「そういえばさ、リゼットさん。一応は『社外テスター』って名目でこれを預かってるわけだけど……ひとつ、気になってたことがあって」
『はい、何でしょうか?』
「俺個人としては、めちゃくちゃ頼らせてもらってるし、手放せないくらい助かってるんだけどさ。……これ、俺以外の誰かが扱える『製品』としての目処って、立ってたりするの?」
雑談交じりの、至極真っ当な疑問だった。
使い始めてから、すでに一年近くが経つ。
日々の調整やアップデートで反動の緩和こそ進んでいるものの、高出力で負荷を跳ね上げれば骨格をへし折りかねない、という身も蓋もない欠陥は据え置きのままだ。
人間離れした強度を誇るこのシミュラクラの身体ですら、先日『負荷8』を放っただけで、右腕の装甲とフレームが悲鳴を上げて動作不能に陥った。
生身の人間が使えば、どう見ても自爆兵装にしかならない。
素人考えでも、これが真っ当に軍やPMCへ納品される製品になるとは、到底思えなかった。
インカムの向こうで、リゼットさんが「あ」と少しだけ意表を突かれたように息を呑む気配がした。
数秒の沈黙の後、申し訳なさと苦笑が混ざったような、控えめな声が返ってくる。
『……ふふ。やはり、アル様にも疑問に思われてしまいますよね。社外秘に関わる部分もございますので詳細までは明かせないのですが……はい。現状のそのままの形で一般向けに量産・配備することは、やはり極めて困難である、という見解になっております』
「はは……そりゃそうだよなぁ」
乾いた笑いが漏れた。知っていた、としか言いようがない。
『ですが――アル様に運用していただいている戦闘データは、開発部にとっても極めて貴重なものなのです。力場の指向性制御やシャード展開の基礎理論など、別の形……たとえば、次世代の戦術オーブメント規格や新型装甲へのフィードバックとして、十二分以上に役立てられておりますので』
そこまで言って、リゼットさんは少しだけ姿勢を正すように声を澄ませた。
『従いまして、上層部からも「テスター契約は今後とも最優先で継続すべし」との通達が出ております。アル様さえよろしければ、どうか今後ともお力添えをいただければと』
「もちろん、こっちに異存はないよ。むしろありがたいくらいだ」
素直に頷く。
近いうちにイーディスへ渡り、情報屋としての裏取り調査や、表でも裏でもない境界線での生活を始める身だ。
マルドゥック社から支払われているテスターの報酬は、こちらの働きを考えても「ちょっと過剰じゃないか」と引いてしまうほど破格の額だった。
路銀にも活動資金にも困らない、という点において、あのタヌキ親父の意図がどうあれ、契約の継続は喉から手が出るほどありがたい話だった。
業務的な報告とデータの同期を滞りなく終え、回線を切る直前。
「あのさ、リゼットさん。もし時間に余裕があるなら……少しだけ、雑談に付き合ってくれない?」
そう声をかけると、インカムの向こうから、どこか嬉しそうな気配が伝わってきた。
『はい、喜んで。業務の合間ではございますが、少しの間でしたら』
完璧なコンシェルジュのトーンから、ふっと肩の力が抜けたような、等身大の彼女の声。画面は見えなくとも、あの涼やかな目元が柔らかく細められたのが目に浮かぶようだった。
話題は自然と、オレドの街でプレゼントした、あの本のことに移っていった。
「そういえば、あの日渡した『少女探偵』……少しは読めた?」
『ええ、アル様からいただいた大切な本ですから。……日々の業務や歩行訓練の合間に、少しずつですが読み進めさせていただいております』
リゼットさんの声には、まだどこか初々しい熱が籠もっていた。
『なんと言いますか……いわゆる冒険活劇というものになるのでしょうか。主人公の少女が、様々な謎や困難に直面しながらも、持ち前の機転と勇気で道を切り拓いていく姿に……その、読んでいると、自然と胸の奥がワクワクとしてまいりますね』
「わかるよ。俺も、あんなふうに夢中になって本を読んだのなんて、本当にいつ振りか分からないくらいだけど……やっぱり、ああいう物語って心が躍るよな」
椅子に深く背を預け、天井を見上げながら微笑む。
かつて、クロスベルの図書館の片隅で、夢中になってページをめくっていたあの頃のように。
あるいは、喪われた二十年の記憶の中で、誰かを守るための強さを求めながらも、ふとした休日に開いていた物語のように。
どれだけ泥臭い戦場に身を投じていようと――物語の世界に心を躍らせる少年の根っこは、ちっとも変わっていない。
ティーン向けの冒険小説の魅力を、少し早口になりながら熱っぽく語る俺に、ヘッドホンの向こうのリゼットさんは呆れるどころか、ふふっ、と鈴を転がすような優しい笑い声を響かせていた。
「たださ。シェリアさんが言ってた『実体験を元に書いた』って話を踏まえて読み返すと……ちょっと、背筋が寒くなるところもあるんだけどね」
苦笑交じりにそう零すと、インカムの向こうから、リゼットさんの困ったような息遣いが返ってきた。
手元に置いた『少女探偵』の文庫本。改めてパラパラとめくってみると、物語の後半、主人公たちを影から脅かす正体不明の秘密組織――その手口や暗躍の気配に、どう考えても俺のよく知る《身喰らう蛇》を連想させる描写が、しれっと紛れ込んでいるのだ。
あの奔放な小説家先生は、一体どんな修羅場を潜り抜けてこの原稿を書き上げたのか。考えれば考えるほど、底知れない怪人に見えてくる。
「まあ、当のシェリアさんも、かなり脚色してるって笑ってたしね。深く考えすぎないのが一番かな」
『ふふ……そうですね。どこまでが真実で、どこからが物語なのかを想像するのも、読書の醍醐味の一つなのかもしれません』
少しだけからかうような、柔らかな声。
「でも、リゼットさんがそうやって読書を楽しんでくれてるのは、純粋に嬉しいよ。押し付けちゃったんじゃないかって、少しだけ気にしてたからさ」
『滅相もございません。とても素晴らしいきっかけをいただきました。……あの、アル様』
ふと、リゼットさんがどこか気恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
『今度、業務の合間に時間ができましたら、街の図書館へも足を運んでみようと考えておりまして。もしよろしければ……アル様のおすすめの作品を、いくつか教えていただけないでしょうか?』
「俺のおすすめ?」
思いがけないおねだりに、天井を見上げて目を細める。
かつてクロスベルの市立図書館で、棚の端から端まで読み耽っていた頃の記憶。
『闇医者グレン』のようなハードボイルドから、名作と呼ばれる古典文学、さらには子ども向けの絵本や冒険譚まで。
脳裏に浮かんだ懐かしい書名をいくつかピックアップして伝えていくと、リゼットさんはインカムの向こうで、熱心に端末へメモを取っているようだった。
そうして他愛のない雑談を交わすうち、話題は自然と、オレドで出会ったあの二人――準遊撃士の少年少女のことへと移っていった。
『そういえば、アル様。ライル様とリオ様ですが、あれからも元気にオレドの支部で依頼をこなされているそうですよ。シェリア様の護衛任務をやり遂げたことで、ギルド内での評価も一段上がったとか』
「へぇ、それはよかった。あいつら、真面目でいい顔してたもんな」
『ええ。……それで、ふと思い出したのですが』
リゼットさんが、クスリと楽しげに喉を鳴らす。
『アル様、今度オレドにいらした際には、お二人に戦い方の訓練をつけて差し上げるというお約束をされていましたよね?』
「あー……うん。成り行きで、一応そういう話になっちゃったね」
深々と頭を下げて食い下がってきた二人の真っ直ぐな瞳を思い出し、頭を掻く。
半年に一回、オレドへ立ち寄ったタイミングで都合が合えば、という緩い約束ではあるものの、元遊撃士(の記憶を持つ人間)として、あんな純粋な後輩たちを無下にはできなかったのだ。
すると、リゼットさんが素朴な疑問といった口調で尋ねてきた。
『お二人はそれぞれ、剣と盾、そして槍を主武装とされていましたが……アル様は、あのような武器の扱いもご教授できるのですか?』
「……あー、いや。扱えないこともないんだけどね」
苦笑交じりに視線を彷徨わせる。
「正直に言うとさ。純粋な剣や槍の腕前……いわゆる武術の技術だけで比べるなら、俺とあの二人は、大して変わらないと思うよ」
インカムの向こうで、リゼットさんが小さく息を呑む気配がした。
通信越しでも、彼女が目を丸くしているのが手に取るようにわかる。
あの日、巨大な手配魔獣を単身でねじ伏せてみせた俺を見ていただけに、その自己評価は意外に映ったのだろう。
だが、事実なのだ。ライルもリオも、基本の型はしっかりと叩き込まれていた。
基礎を人並み程度にこなせるだけの俺と、一つの得物を極めようと研鑽している彼らとでは、純粋な武器の練度に、そこまでの差はない。
「だからさ、俺が教えられることって、武器の綺麗な振り方とかじゃないんだよね。もっとこう……泥臭い立ち回りというか、実戦でどうやって生き残るか、みたいな話になると思う」
『武器の技術、ではなく……ですか?』
「うん。まあ、その辺は実際に手合わせする時の成り行き次第ってことでさ」
言葉を濁して笑い飛ばすと、リゼットさんも釣られたように柔らかく笑った。
『ふふ……アル様らしいですね。ですが、それを差し引いたとしても……やはりアル様は、とてもお器用でいらっしゃいますね』
「器用、ねぇ……」
その言葉に、少しだけ自嘲的な笑みが浮かぶ。
彼女が言いたいことはわかる。
オレドの地下テストエリアで見せたナイフや体術、ハルバードの扱い。
一つのスタイルに縛られず、状況に応じて武器を使い分ける立ち回りは、傍から見れば確かに器用に映るのだろう。
「どうかな。使えることは使えるけど……技術的な面だけで見たら、本当に大したことないんだよ。『器用貧乏』って言葉の方が、よっぽどしっくりくるくらいでさ」
ライルやリオだって、次に会う半年後には、純粋な武器の腕前なら俺をあっさり追い抜いているかもしれないのだ。
「でも、まあ……リゼットさんの言う通り、色々と扱えるように必死で努力してきたのは確かかな。俺、一つの武器を極めるような才能って、昔からこれっぽっちもなくてさ」
脳裏をよぎるのは、遠い過去――中央広場で一人、がむしゃらに木剣を振るっていた子どもの頃の記憶。
そして、あの地下廃倉庫で、赤髪の姉さんに理不尽に叩きのめされながら叩き込まれた、冷徹な実戦の哲学。
ランディさんのようにはなれない、と悩んでいたあの頃、姉さんは笑い飛ばしながら言ったのだ。
――手段を選ばないなら、達人とだってやり合える。
――やりたい選択肢があるなら、手当たり次第に全部取り入れろ、と。
「だから、剣も、槍も、銃も、体術も……使えるものは手当たり次第に手を出して、全部を人並みに動かせるように泥臭く練習したんだ。……はは、これ内緒だけどさ。今でも夜になると、一人で剣を振ったりハルバードを構えたりして、身体が使い方を忘れないように、ちゃんと地道に素振りしてるんだよ?」
おどけた調子で打ち明ける。
セドリックやデュバリィさんとの派手な立ち合いだけではない。
頭の中で無数の戦況をシミュレートしながら、武器の重みと軌道を身体に馴染ませていく、地道な反復練習。
この身体になってからというもの、俺はほぼ一日も欠かさず、部屋の明かりを落とした深夜にそれを繰り返していた。
天才ではないからこそ、頭を回し、泥を啜るようにして手札を増やす。
それが、俺という人間の戦い方なのだから。
俺の打ち明け話を静かに受け止めていたリゼットさんは、どこか深く感じ入ったように、温かな声で問いかけてきた。
『たゆまぬ研鑽の賜物、なのですね。……それではアル様にとって、数ある武装の中で、特別にお得意なもの……最もご自身に馴染む得物というのは、何になるのでしょうか?』
「特別に得意な武器、か……」
少しだけ首を捻り、考える。
「得意」と胸を張れるほど極めた得物など、やはり一つもない。
だが――最も自然に身体が動き、思考のノイズが少なく、手に馴染むもの、と問われれば。
「……やっぱり、ナイフと導力銃かな」
迷いのない答えが、自然と口をついて出た。
「大剣やハルバードの威力も頼りにはなるけど、いざ極限の死線に放り込まれた時……一番自分の手足のように動いてくれるのは、この二つだよ。これが一番、しっくりくる」
子ども時代、ガレスさんから授けられた知識と、あの血塗られた初陣の記憶。
そして二十歳までの歴史の中で、幾度となく命を預けてきた最小限の手札。
どれほど強力な新兵器を手にしようと、最後の一歩で俺を支えてくれるのは、いつだってその二つだった。
すると、インカムの向こうで、リゼットさんがふっと嬉しそうに微笑む気配がした。
『――ナイフと、導力銃、ですね。ふふ……ありがとうございます。大変、参考になりました』
「……参考?」
思わず眉をひそめる。ただの他愛のない雑談のつもりだったのだが、彼女の声には、何やら明確な意図を孕んだような、どこか悪戯っぽい響きが含まれていた。
『はい。コンシェルジュとして、顧客であるアル様の特性を把握しておくのは当然の務めですから』
はぐらかすようにそう告げる彼女に、俺は「そういうものかなぁ」と苦笑するしかなかった。
――この時のリゼットさんの微笑みと、「参考になった」という言葉の本当の意味を。
俺が知ることになるのは、ここからさらに半年ほど先――動乱の足音が近づく、カルバードの地でのことだった。