【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
「…………オルランド?」
通信端末のスピーカーから、明らかに眉をひそめて目を丸くしているのが目に浮かぶような、困惑と驚愕の入り混じった声が響いてきた。
導力車を走らせ、カルバードの首都イーディスへと向かう旅路の途中。
国境を越える長距離の移動になるため、道中の静かな宿場町で一泊することになった、その夜のことだ。
部屋の明かりを落とし、ベッド脇のサイドテーブルに端末を置いて通話していた相手は、アラミス高等学校に通う紫髪の少女――レンさんだった。
事前に色々とお願いしていた件の確認と、明日にはいよいよイーディスへ入るという予定の報告。
そのついでに、つい先日決まった『新しい名前』について何気なく口にしたところ、案の定、予想通りの特大のリアクションが返ってきたというわけだった。
「ええ、まあ……色々とありまして。以前の『グレイウッド』を名乗り続けるのも、自分の中でどこか引っかかる部分がありましたし……姉さんから、そう名乗ってもいいと言われたものでして」
頭を掻きながら苦笑交じりに返すと、通信の向こうでレンさんが「はぁ……」と、呆れたような、けれど面白がるような吐息を漏らした。
『あのシャーリィ・オルランドがねぇ……』
顎に指を当てて天井を仰いでいる姿が、声のトーンだけでありありと目に浮かぶ。
彼女には以前、十歳の頃に赤髪の猟兵から死線の訓練をつけてもらったのだと、掻い摘んで話したことがある。
その後、ノバルティス博士の手引きで記憶を取り戻した姉さんと再会し、先日の廃棄砦での死闘を経て家名を許されるに至った経緯を改めて補足すると、レンさんは心底面白そうに耳を傾けていた。
レンさん自身、結社に身を置いていた時期と姉さんが執行者として加入した時期は、まったく重なっていない。
クロスベルの独立国騒動の最終盤や、その後のエレボニアでの大戦に至る道筋の中で、敵味方として同じ戦場に居合わせたことが何度かあった程度で、直接深い関わりを持ったことはないはずだ。
それでも――裏の世界でその名を知らぬ者はいない、大陸最強の猟兵団の大隊長。
あの苛烈極まりない《紅の戦鬼》が、自らの家名を他人に分け与えたという事実は、かの天才少女にとっても、少なからぬ衝撃だったらしい。
「まあ、家族になったと言っても、今さら俺が《赤い星座》に入団するとか、そういう物騒な話じゃありませんよ。身内として迎え入れてくれたっていう……形式上の許可、みたいなものですから。実質的に何かが変わるわけでもないですしね」
『なるほどね。……でも、彼女らしいと言えばらしいのかしら。理屈や法を飛び越えて、己の意志と情愛だけで世界を押し通してしまうあたりは』
納得したように頷くレンさんの声には、どこか温かい響きが混じっていた。
彼女もまた、かつて結社の闇を経験し、そこから抜け出して新しい居場所を掴み取った一人だからこそ、居場所のない者に差し伸べられた手の温もりを、誰よりも理解してくれているのかもしれない。
『わかったわ、事情は把握したわよ。……それにしても、アルシュ・オルランド? それとも、アル・オルランドかしら? これから私は、貴方のことをどう呼べばいいのかしらね?』
スピーカーの向こうで、悪戯っぽく微笑む気配がした。
少しだけからかうようなその問いかけに、俺は肩をすくめて笑い返す。
「呼び方は、今まで通りで構いませんよ。呼びやすいなら『アル』でもいいですし。オルランドと合わせると、ちょっと語呂が悪いですけどね。……別に、アルシュという名前そのものを捨てる気はありませんから。カルバードでは『アルシュ・オルランド』ってことで、やっていこうと思ってます」
迷いのない答えに、レンさんは「ふふっ」と、どこか嬉しそうに微笑んだ。
『それじゃあ、これからは「アル」と呼ばせてもらうわね。ベルモッティさんのところで聞いたけれど、彼らにも「アル」と名乗ったのでしょう? あちらで私がアルシュと呼び続けてもいいのだけれど、その方が周りにも通りがいいでしょうし』
落ち着いた、それでいて姉のような面倒見の良さを滲ませた声。
「あはは……そうですね。そっちの方が助かります」
頭を掻きながら苦笑すると、レンさんはふふっと喉を鳴らし、少しだけ意地悪な声音に切り替えてきた。
『それにしても貴方――アルシュ、グレイ、そしてアル……今度はオルランドかしら。たった一年と少しの間に、ずいぶんとまあ、よく名前が変わるものね?』
「うっ……言われてみれば、まったくその通りですね……」
思わず天を仰いだ。
自分から好んで名を変えようとしていたわけではない。
バベルの演算から目覚めた当初は、過去への負い目から『グレイ』という偽名を名乗り。
消滅から勝手にサルベージされた後は、クロスベルで平穏に生きる本物の自分への遠慮から『アル』とお茶を濁し。
そして先日の廃棄砦での死闘を経て、あの姉さんから押し付けられるようにして『オルランド』という家名を授かった。
歴史の波に翻弄され、自分の立ち位置に迷っていた証拠のようなものだ。
けれど、と俺はベッドの上で居住まいを正した。
「まあ、足元の軸をカルバードに置いて、これからはここで生きていくって決めましたから。これ以上、ややこしい名前の使い分けをする気はありませんよ。……『アルシュ・オルランド』って自分から名乗るのは、その、まだだいぶ気恥ずかしいところもありますけどね。この名前を背負って、これからは地に足をつけてやっていこうと思ってます」
迷いを振り払い、真っ直ぐに紡いだ覚悟。
通信の向こうで、レンさんは一瞬だけ息を呑み、それから、どこか我が事のように誇らしげな、ひどく柔らかな気配を漂わせた。
『…………そう』
その澄んだ肯定に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
名前の件がひと段落したところで、俺は姿勢を改め、今回の通信の一番の本題――彼女が裏で動いてくれた特大の便宜について、ありったけの感謝を口にした。
「それと、レンさん。部屋の手配の件……本当に、ありがとうございました。何から何まで甘えっぱなしで、頭が上がりません」
『大したことはしていないわよ。ベルモッティさんと話して、あの店から歩いて行ける近隣で、それなりの部屋を用意しただけだもの。端末に送った情報、もう確認したかしら? 賃料や間取り、立地なんかに不満はない?』
「不満なんてとんでもないです。文句のつけようがなさすぎて、むしろ恐縮してるくらいですよ」
端末の画面に表示された賃貸情報をスクロールしながら、思わず溜息を漏らす。
紹介されたのは、リバーサイド区の運河沿いに建つ、築数年という小綺麗なアパートメントの一室だった。
広さも設備も一人暮らしには十分すぎるほど整っていて、ベルモッティさんの店への通勤にも、今後の情報屋としての実地調査にも、これ以上ない好立地だ。
『これくらい、気にする必要はないわ。形はどうあれ、貴方の背中を蹴っ飛ばしてカルバードへ引っ張り込んだのは私みたいなものだしね。それに、実際の物件の選定やオーナーへの掛け合いは、ベルモッティさんが知り合いの筋に話を振ってくれたおかげよ』
あっけらかんとそう言うレンさんだったが、彼女の顔の広さと手際の良さがなければ、こんな好条件で、しかも身元の怪しいはずの俺が、イーディスへ到着したその日から入居できる手はずなど整うはずがない。
保証人の手配から煩雑な手続きまで、彼女がどれほど裏で手腕を振るってくれたのか、察するに余りある。
「レンさんはそう言いますけど、本当に助かりました。……前にも言いましたけど、もしそちらで手伝えることや困ったことがあったら、なんでも遠慮なく言ってくださいね。裏の汚れ仕事だろうと何だろうと、喜んで駆けつけますから」
『そうね。ふふ、今のところアラミスで優雅な学生生活を満喫する予定だから、あまり表立った騒ぎに首を突っ込む気はないのだけれど……。どうしても私の手だけでは足りなくなったら、その時はこき使わせてもらおうかしら』
悪戯っぽく笑うレンさんに、俺も「ええ、喜んで」と笑みを返した。
そして、ふっと息を吸い込み、少しだけ言葉を整えてから続ける。
「それと……イーディスに着いて生活が落ち着いて、お互いに余裕ができたらでいいんですが。……前に話していた『デート』、改めて誘わせてください」
以前、通信越しにからかわれた時のように、動揺して視線を泳がせたり、気後れして口籠もったりするのではない。
過去のしがらみや迷いを脱ぎ捨て、一人の青年として、約束を果たしたいという意志を込めたまっすぐな誘い。
画面の向こうのレンさんが、息を呑む気配がした。
数秒の静寂。やがてスピーカーから返ってきたのは――手のかかる弟分の成長を眩しそうに見つめるような、そして一人の少女として素直に喜ぶような、心底嬉しそうな声だった。
『――ええ、いいわよ。楽しみに待っているわね、アルシュ』
その響きに、俺たちの間にあった最後のぎこちなさが溶けていくのを感じながら。
明日から始まる新しい街での日々へ、確かな足取りで一歩を踏み出す勇気をもらっていた。
ここまでで結社編の補足に当たるおまけは終わりになります。
名前は別に意図してなかったけど、なんかコロコロ変わる羽目になったんでレンにつっこませてみた。
次回から後4回にわけておまけのおまけを投稿していきます。
その後はイーディス編…実は黎1編の縦軸だけちゃんと決まってないんだよなあ、
まあ、書きながら決めていきましょう。
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