【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
西クロスベル街道を走る導力バス。
その窓から、アルシュは流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
(強くなりたいな……)
胸に浮かぶのは、父さんから教わった剣の型。
それから、さっき広場で笑いながら手を振ってくれたキーアの姿だ。
あの無邪気な笑顔を守れるくらい、強くて、頼りがいのある男になりたい。
子供っぽい願いかもしれない。でもアルシュにとっては、これ以上ないくらい真剣な、たった一つの願いだった。
やがてバスが速度を落とす。窓の向こうに、どっしりと構えた防壁が見えてきた。ベルガード門だ。
バスを降りてゲートへ向かうと、見慣れたシルエットがこちらに気づいて、軽く手を振ってくれた。
「あら、アルシュくんじゃない。いらっしゃい」
「ノエル曹長。こんにちは!」
警備隊の制服をきっちり着こなした、ノエル・シーカー曹長だった。
年の離れた姉のように真っ直ぐで、面倒見のいい人。
アルシュにとっては、ここでの親しい顔なじみの一人だ。
「今日はお父さんに届け物? 相変わらず偉いなぁ、アルシュくんは」
「うん、忘れ物しちゃったみたいで。ノエル曹長も、これからパトロールですか?」
「ええ、装甲車の整備がやっと終わったからね。……お父さん、さっき執務室で書類の山と格闘してたわよ。早く届けてあげて」
軽く言葉を交わして、アルシュは基地の奥へ足を踏み入れた。
幼い頃から何度も出入りしているから、すれ違う隊員たちも慣れたものだ。
「おお、アルシュか」「親父さんに届け物か、ご苦労なこったな」と、あちこちから気さくな声が飛んでくる。
それがなんだか誇らしくて、アルシュは少しだけ胸を張って歩いた。
執務室のドアをノックして中に入ると――案の定だった。
父さんは、机に積み上がった書類の山にすっかり埋もれていた。
「父さん、頼まれてた書類、持ってきたよ」
「おお、アルシュ! 助かったよ、ありがとうな」
細身の肩の力を抜いて、少し疲れの滲んだ目元をやわらげる。父がほっと息をついた。
前線で重火器を振り回すような、屈強な体つきではない。
ミレイユ准尉の補佐として、部隊の兵站や山のような事務仕事を、一つひとつ正確にさばいていく。それが父さんの役目だった。
それでも、非番の日にはアルシュに剣の基礎を教えてくれる。
自分が実戦向きじゃないと誰より分かっているからこそ、父は「本物の強さ」を知る人間に、息子の稽古を頼み込んでくれていた。
「悪いな、わざわざ来てもらって。……ランディなら、今は食堂にいるはずだ。お前が真剣に素振りしてること、あいつも『見込みがある』って喜んでたからな。時間があれば、また少し見てもらうといい」
「うん! ありがとう、父さん。お仕事、頑張ってね」
自分の「強くなりたい」という気持ちを、子供の遊びだと笑い飛ばさずに応援してくれる。
そんな父に胸の内で感謝しながら、アルシュは執務室を後にした。
教わったとおり食堂へ向かうと、まだ入り口の手前だというのに、聞き慣れた軽い声が耳に飛び込んできた。
「いやー、相変わらずミレイユ准尉は堅いっスねえ。たまには俺とクロスベル市内で、パーッと甘いものでもどうスか? 話題のケーキ屋があるんスよ」
「だーっ、誰があなたと行くもんですか! 大体ね、リハビリと後輩の指導を手伝ってくれてるのは感謝してるけど、その前にもう少し真面目に報告書を……!」
そっと中を覗いてみる。腰に手を当てて呆れ顔のミレイユ准尉と、どこ吹く風で笑っているランディ。
いつもの、じゃれ合いみたいな言い合いだ。
(うーん……今は入っていかない方が、いいかな……)
入り口で身を縮こまらせて、アルシュがタイミングをうかがっていた、そのときだった。
ふと、ミレイユの視線がこちらを向いた。
「……あら? そこにいるの、アルシュくんじゃない?」
「えっ、あ、はい! こ、こんにちは、ミレイユ准尉!」
見つかってしまった。
慌てて背筋を伸ばし、見よう見まねで敬礼らしきものをしてみせる。
そのぎこちない仕草に、ランディがニカッと人懐っこい笑みを浮かべて振り返った。
「おっ、なんだなんだ。アル坊じゃねえか!」
大きな手が伸びてきて、遠慮なくガシガシと頭を撫でてくる。
「ひゃっ、ちょ、ちょっとランディさん、髪がぐしゃぐしゃに……!」
「ははは、相変わらず元気そうだな! 親父さんのとこにお使いか? それとも、また俺に剣の稽古つけてほしいってか?」
「こら、ランディ。アルシュくんをあんまりからかわないの。せっかくお父さんのお手伝いに来てくれてるのに」
ミレイユがため息まじりにたしなめる。
けれどその口元は、隠しきれないくらい優しくほどけていた。
「えへへ……。あの、もしランディさんの時間が空いてたら、こないだ教えてもらった構えの続き、少しだけ見てほしくて……」
アルシュが上目遣いにおずおずと切り出すと、ランディはたちまち頼れる兄貴分の顔になって、ポンと自分の胸を叩いた。
「おう、任せとけ! ちょうどミレイユ准尉の、ありがた〜いお説教も一段落したとこだしな!」
「ちょっと、まだ終わってないわよ!」
わいわいと賑やかな二人の輪に加わりながら、アルシュの顔には、いつの間にか嬉しそうな笑みがこぼれていた。
ここへ来ると、いつもこうだ。ちょっと騒がしくて、あったかい。