『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
ホテルを後にして、すっかり夜の帳が下りたクロスベルの街を走り抜け、
アルシュは息を切らして自宅のドアを開けた。
「アルシュ! 今までどこをほっつき歩いてたんだい! こんなに暗くなるまで……!」
玄関先で待ち構えていた母親の雷が落ちる。
警備隊員としてベルガード門に詰めている父・アデルは今日は不在で、家には母が一人で帰りを待っていたのだ。
アルシュはビクッと肩をすくめ、「ご、ごめんなさい……」と消え入りそうな声で謝った。
しかし、アルシュの顔をまじまじと見下ろした母は、怒るのをふっとやめて、
ほうっと安堵の息を吐き出した。
「……まったく。ここ数日、今にも死にそうな顔してふさぎ込んでたくせに」
嵐の夜から昨日まで、アルシュはまるで魂が抜けたように暗く沈み込んでいた。
それが今、泥だらけで遅く帰ってきたとはいえ、その瞳には確かに生きる活力のような光が戻っていたからだ。
「あんまり、母さんたちを心配させるんじゃないよ」
ギュッ、と。
少しふくよかで温かい母親の腕が、アルシュの小さな身体を力強く抱きしめた。
猟兵であるシャーリィの、あの鉄のようにしなやかで血の匂いがした抱擁とは全く違う。石鹸の匂いがする、無条件の愛情と安心感に満ちた、絶対的な『陽の当たる場所』の温もり。
「……うん」
アルシュは母親の背中に腕を回すことができず、ただ力なく、小さな声で言葉を返した。
自分は今日、大切な家族やランディさんに内緒で、決して踏み入ってはいけない裏の世界の扉を開けてしまった。
あのどうしようもなく惹かれた『姉さん』の手を取ってしまった。
その取り返しのつかない後ろめたさが、チクチクとアルシュの胸を刺す。
それでも、この温かい場所を絶対に守り抜くために、自分は地獄へ行くのだと心を奮い立たせた。
「ほら、お腹空いてるんだろ?
父さんの分はないけど、シチュー温め直してあるから、さっさと手洗ってきなさい」
「……うんっ。ありがとう、母さん」
促されるままに食卓につき、母の作った温かいシチューをかき込む。
胃袋からじんわりと広がる温かさに、張り詰めていた緊張が少しだけ解けていくのを感じた。
「ごちそうさま! 僕、ちょっとだけ表で素振りしてくる!」
食べ終わるや否や、アルシュは部屋から木剣を引っ張り出し、再び玄関へと駆け出した。
「こらっ! せっかく帰ってきたのに、また夜に出歩い――」
叱り飛ばそうと声を上げた母だったが、
木剣を握りしめて外へ飛び出していく息子の背中を見て、ふっと目尻を下げた。
あんなに落ち込んでいた子が、また自分から剣を握る気になってくれた。
(……まあ、今日くらいは大目に見てあげるかね)
母は小さく苦笑しながら、パタンと閉まった玄関のドアを優しく見つめるのだった。