『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
ベルガード門の屋上。冷たい吹きさらしの風が頬を刺す中、小気味よい木剣の風切り音が響いていた。
「っ、ふう……! やぁっ!」
「ストップ。そこ、踏み込みが甘いぜ。もっと重心を低く、踵から地面を掴むように意識してみな」
真剣な表情で素振りを繰り返すアルシュの横で、壁に背を預けたランディが的確な指示を飛ばす。
アルシュがその通りに姿勢を修正して木剣を振り下ろすと、先ほどよりも鋭く、重みのある軌道を描いた。
「おおっ、いい音鳴らすようになったじゃねえか、アル坊」
「はぁ、はぁ……ありがとうございます、ランディさん!」
息を切らしながらも、アルシュの瞳は達成感に輝いている。
しかし、ランディの内心には僅かな複雑さがよぎっていた。
彼がアルシュに教えているのは、警備隊で正式に採用されている標準的な剣術ではない。
無駄を徹底的に削ぎ落とし、最短距離で相手の急所を穿つ、あるいは武器を無力化するための実践的な動き。
かつて大陸最強と謳われた猟兵団『赤い星座』の流儀の片鱗が、無意識のうちに混ざってしまっているのだ。
(……ま、親父さんの剣だけじゃ実戦じゃ身を守れねえしな。いざって時の護身用なら、こっちの方が確実か)
血生臭い世界から足を洗った身として思うところはあるものの、
目の前の少年がひたむきに努力する姿を無下にすることは、今のランディにはできなかった。
一息ついたアルシュが、ふと木剣を下ろし、真っ直ぐにランディを見上げた。
その瞳は、十歳という年齢に似合わないほど、静かで熱い真剣さを帯びていた。
「ランディさん。僕……これからも必死に頑張れば、ランディさんみたいに強くなれますか?」
その問いに、ランディは持ち前の軽い笑みをスッと消し、少し考え込むように頭を掻いた。
「……なぁ、アル坊。お前さん、なんでそこまで強くなりてぇんだ?」
遊びや子供の憧れだけではない、切実な響きがその声にあったからこその問いだった。
アルシュは少しだけ口ごもった後、木剣の柄を強く握り直して口を開いた。
「……二ヶ月前の、あの日のことです」
「教団事件の時のことか」
「はい。父さんたち警備隊の人や、マフィアの人たちがおかしくなっちゃって、
街中がパニックになって……。
僕、あの時、屋上から見てたんです。
ランディさんたち特務支援課が、キーアちゃんを抱えて一生懸命逃げ回って、戦ってる姿を」
アルシュの脳裏に、あの日の焦燥感が蘇る。
大好きな父が正気を失いかけていた恐怖。
そして、いつも無邪気に笑いかけてくれる友達が、危険のど真ん中にいるのを見ていることしかできなかった、自分の圧倒的な無力感。
「僕、あの時……すごく悔しかったんです。何もできない自分が。ただ見てるだけで、助けに行けないのが。だから……」
アルシュは少しだけ頬を赤く染め、照れ隠しのように視線を落とした。
「強くなって、何か力になりたいって思ったんです。……キーアちゃんを、助けてあげられるくらいに」
その言葉を聞いた瞬間、ランディは目を丸くし、やがて「ぷっ」と吹き出したかと思うと、腹を抱えて笑い始めた。
「あっはっは! なんだなんだ、そういうことかよ!
おやおや〜? アル坊、お前さんさてはキーアにほの字ってやつだな?」
「ほ、ほの字!? ち、違います!
そういうのじゃなくて、ただ、守ってあげたいっていうか……っ!」
耳まで真っ赤にして慌てて否定するアルシュの頭を、
ランディは大きな手で乱暴に、けれどとても優しく撫で回した。
「ははは、からかって悪かった悪かった。
……でもな、アル坊。誰かを『守りたい』ってのは、男が強くなるための最高の理由だ。
今のその目を見る限り、お前さんは絶対に見込みがあるぜ」
ランディの温かい言葉に、アルシュはパッと顔を輝かせた。
しかし、頼れる兄貴分はすぐにニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「だがなぁ、キーアを守るナイトになるには、
あの嬢ちゃんの『保護者たち』のチェックはすげぇ厳しいぜ?
石頭のリーダーとか、おっかない顔したお嬢様に、氷みたいに冷たい視線を向けてくる小娘とか。俺を含めて、全員を納得させなきゃならねえからな!」
「うっ……そ、それは……すごく大変そうです……」
「だろ? だから、今のうちからしっかりしごいてやるよ。さあ、素振りの続きだ!」
「はいっ!」
初恋にも似た淡い感情。
けれどそれ以上に、あの笑顔を理不尽な暴力から守り抜ける強さを手に入れたい。
純粋な庇護欲と決意を胸に、
アルシュは再び、冷たい風の中で熱を帯びた木剣を振り下ろした。