『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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くっつき虫

キーアが買ってきた焼きたてのパンのいい香りが漂う中、

午前中の特務支援課のロビーはのんびりとした空気に包まれていた。

 

「えへへー、アルシュ」

 

「ち、近いよキーア……」

 

ツァイトのふかふかした背中にもたれかかりながら遊んでいる間も、

キーアはずっとアルシュの腕や背中にピタリとくっついたまま離れようとしなかった。

 

女の子特有の柔らかい感触と甘い匂いに、アルシュの顔はずっと赤いままだった。

あの夜に泣かれて以来、少し距離感が近くなったような気はしていたが、

それにしても今日のキーアは輪をかけて甘えん坊というか、ひっつき虫だ。

 

(どうしたんだろう……)とドギマギしながらも、無下に引き剥がすこともできず、

アルシュはその温もりを受け入れたまま午前中を過ごした。

 

やがてお昼時。

 

「じゃじゃーん! キーア特製、とろとろオムライスだよ!」

 

エプロン姿のキーアが、湯気を立てるお皿をテーブルに並べた。

 

「おっ、いい匂いだな。いただきます」

 

「いただきます! ……うわぁ、すごく美味しい! キーア、料理こんなに上手だったの!?」

 

卵はふわふわで、中のチキンライスは絶妙な味付け。

一流のレストランにも引けを取らないほどの美味しさにアルシュが目を丸くして褒める

と、キーアは「えへへー、もっと褒めていいよー!」と両手を広げて大喜びした。

 

セルゲイ課長も「相変わらず大した腕だ」と満足げに頷きながら、ふと二人に視線を向けた。

 

「そういえば、二人とも昼からはどうするつもりだ?」

 

「あ、僕は昼からバスに乗って、ベルガード門に行く予定です。ランディさんに剣を見てもらう約束をしてて……」

 

「ああっ! ベルガード門! ランディ!」

 

アルシュの言葉を聞いた途端、キーアがぴょんと身を乗り出した。

 

「キーアも行きたい! キーアもランディに会うー!」

 

「おっと。だが俺は昼から少し出なきゃならん。

 ……アルシュ、お前は夕方までランディのところにいるんだろ?

 今日はキーアも特に予定はないから、よかったら連れて行ってやってくれないか」

 

「えっ、僕がですか?」

 

「ああ。ランディもキーアの顔を見れば喜ぶだろうしな」

 

セルゲイにそう頼まれ、アルシュは隣で期待に目をキラキラさせているキーアを振り返った。

 

「キーア、一緒に行く?」

 

「うんっ! 行く行くー!」

 

キーアは今日一番の満面の笑顔で、元気いっぱいに頷いた。

 

 

ーーー

 

 

そして、ベルガード門へと向かう導力バスの車内。

 

ガタゴトと心地よい揺れを感じる座席で、キーアは当然のようにアルシュの隣に座り、やっぱりアルシュの左腕に両腕を回してピタリとくっついていた。

 

車窓を流れる景色を見ながら、アルシュはついに我慢しきれず口を開いた。

 

「ねえ、キーア。……どうして今日は、ずっとくっついてるの?」

 

嫌なわけじゃない。けれど、あまりにも様子がおかしい。

 

アルシュの問いかけに、キーアは少しだけ身をよじり、アルシュの腕に顔を埋めたまま、ぽつりと言った。

 

「だって……アルシュが、どっか行っちゃいそうだから」

 

「えっ……? そ、そんなことないよ。僕はずっとクロスベルにいるし……」

 

「そんなことあるもん!」

 

キーアはバッと顔を上げ、アルシュの目を真っ直ぐに見つめ返した。

その純粋な緑色の瞳が、アルシュの心の奥底を見透かすように揺れている。

 

「アルシュの目、前はもっと『へにゃーん』ってしてて優しかったのに

 ……今は『びりーっ!』てしてる! なんか、遠くの方を見てるみたいな、怖い目になってるもん!」

 

「へにゃーん……? びりー……?」

 

独特すぎる擬音にアルシュは一瞬戸惑ったが、すぐにハッとした。

 

今朝、洗面所の鏡で自分自身でも感じた、瞳に宿ってしまった『戦士(猟兵)』としての鋭い気迫。

キーアはそれを理屈ではなく、直感で正確に嗅ぎ取っていたのだ。

 

自分が裏の世界に足を踏み入れ、

この温かい日常から遠ざかってしまいそうになっていることを、

一番近くにいるこの子は無意識に察知して、不安で繋ぎ止めようとしてくれている。

 

「……ごめんね、キーア。心配かけて」

 

アルシュは痛む胸を隠し、申し訳なさそうに短く謝った。

 

どうして謝られたのか分からないキーアだったが、アルシュの謝罪のトーンに納得がいかなかったのか、「いーっだ!」と小さく舌を出して見せた。

 

そして、キーアはアルシュの腕をさらに強く抱き込み、

ベルガード門の停留所にバスが着くまで、絶対に離そうとはしなかった。

 

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