【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
夕闇が西クロスベル街道をゆっくりと包み込む頃。
市内へ向かう導力バスの車内は、等間隔に灯る導力灯の、オレンジ色の淡い光に照らされていた。
ガタゴトと心地よく揺れる車内で、アルシュは隣に座る父・アデルを見上げ、今日の特訓の成果を夢中になって語っていた。
「それでね、父さん! ランディさんが『踵から地面を掴むように踏み込め』って教えてくれて。そうしたら、素振りの音が全然違ったんだ!」
「ああ、うんうん。そうか、ランディ君の言う通りにしたら、上手くいったんだな」
アデルは少し度の強い眼鏡を押し上げ、目尻を下げて優しく頷いた。
四十代を迎えた彼は、警備隊員としての訓練を欠かさないぶん、細身ながらもそれなりに引き締まった体つきをしている。
とはいえ、日々の膨大なデスクワークと、上官であるミレイユ准尉の無茶振りに応え続ける生真面目さのせいか、その身にはいつも、どことなくくたびれた気配がまとわりついていた。根が優しくて押しに弱い。
今日も今日とて、残業確定の書類の山をまるごと押し付けられてきたばかりだ。
それでも――こうして楽しそうに話す息子の顔を見ていると、アデルの疲れも不思議と溶けていく。
(『アデルさん。あのアル坊は、筋がいいっスよ。ひたむきで、いい目をしてる。俺が保証します』)
いつだったか、ランディがこっそり耳打ちしてくれた言葉を思い出す。
そのたびにアデルは、内心でそっと誇らしくなるのだ。自分は前線で戦えるような器じゃない。
けれど、息子が自分の意志で強くなろうとしているのなら、父親として、できる限り応援してやりたかった。
「ランディ君は、すごい人だからなあ。教わったことを忘れないように、毎日少しずつでも続けるんだぞ」
「うんっ! 僕、絶対に強くなるよ」
力強く頷くアルシュの頭を、アデルは少し不器用な手つきで撫でた。
やがてバスはクロスベル市へ到着する。二人は中央広場を抜け、並んで家路についた。
暮らしているのは、特務支援課のビルからほど近い場所に建つ、少し古いけれど手入れの行き届いたアパートだ。かつては支援課の面々が足しげく出入りするのを、アルシュもよく窓辺から眺めていたものだった。
「ただいまー」
「……ただいま、帰ったよ」
扉を開けた途端、温かい夕飯の匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。
「お帰り! まったく、二人とも遅いじゃないさ! もう少しでご飯が冷めちゃうところだったよ!」
パタパタと足音を鳴らして玄関に現れたのは、エプロン姿の母親だ。恰幅がよくて、チャキチャキと歯切れのいい気性。絵に描いたような「肝っ玉母ちゃん」である。
「す、すまない母さん。ミレイユ准尉に、どうしても今日中の決裁が必要な書類を頼まれてしまって……」
「またアンタはそうやって押し切られて! 少しは『ノー』って言うことを覚えなさいな! ……ほら、アルシュもアルシュだよ、また服を土埃だらけにして! さっさと手と顔を洗っておいで!」
「はーい!」
腰に手を当てて小言を並べる母の迫力に、アデルはすっかりタジタジで、ただ苦笑いを浮かべるばかり。
そんないつもの両親のやり取りに、アルシュは思わずクスッと笑って、洗面所へ駆け出していった。
食卓には、湯気の立つシチューが並ぶ。賑やかで温かな会話が、夜の部屋をゆっくりと満たしていった。
窓の外には、静かなクロスベルの夜景が広がっている。
すぐ近くに建つ支援課のビルは、今はひっそりと灯りを落として静まり返っていた。
それでも――あそこにはきっと、いつか必ず、みんなが帰ってくる。キーアの「おかえり」を、笑顔で迎えてやるために。
(キーアちゃん、今日も元気にやってるかな……)
温かいシチューを頬張りながら、アルシュは胸の内で、そっと決意を新たにする。
彼女が安心して帰ってこられる、この街を。そして、その笑顔を。守れるだけの男になるんだ、と。
頼りないけれど優しい父と、明るくて力強い母。
二人に見守られながら、少年の一日がまた一つ、静かに、穏やかに暮れていった。