『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
そして、あの日から数日が過ぎた。
アルシュの日常は、表と裏の境界線でより色濃く、そして確かな足取りと共に進んでいく――。
休日の朝。クロスベル大聖堂の日曜学校。
「……そうですか。本当に、本当によかった……」
礼拝堂の静かな空気の中、シスター・マーブルは安堵の涙を浮かべていた。
あの嵐の夜のトラウマと、
自分を責め続ける強迫観念から解放されたことを真っ直ぐな目で報告したアルシュを見て、
彼女は胸の前で深く手を組み、エイドスへの感謝の祈りを捧げた。アルシュが自分自身の足で立ち直ってくれたことを、彼女は自分のこと以上に喜んでくれた。
そして同日、日曜学校の帰り道。
アルシュは、あの日背中で庇った少女――リリと向き合っていた。
「リリちゃん。……僕、もっとしっかり、君やみんなを守れるように強くなるから」
「アルシュくん……?」
「だから……これからも、君を守らせてくれないかな」
逃げ出そうとした自分を許し、受け入れた上での、新しい誓い。
アルシュの迷いのない声に、リリは少しだけ目を丸くした後、花が咲いたような満面の笑顔で「うんっ!」と力強く頷いてくれた。
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そして午後。
特務支援課の大人たちや、キーア、リリから受け取った『表の世界の温かさ』を胸に秘め、アルシュは再び『裏の世界』の扉を叩く。
「おやぁ? なんか随分と『いい顔』になったじゃん、アルシュ」
地下空間に現れたアルシュの顔を見るなり、シャーリィが面白そうに目を細めた。
「なんかいいことでもあったわけ?」
「……うん。あったよ。だから、今日もよろしくお願いします」
真っ直ぐに頭を下げるアルシュの瞳には、もう悲壮感はない。
純粋な『戦士の渇望』だけが宿っている。その変化を敏捷に嗅ぎ取ったシャーリィは、ひどく嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべた。
「あはっ、いいじゃんいいじゃん! でも今日は、アタシの前にガレスのオッサンから先に手ほどきしてもらいな」
「……こちらへ来い、小僧」
重々しい足音と共に進み出たガレスが、無造作に数丁の銃器を床に並べた。
「今日から貴様には、銃器の扱い、構造、そして『どう対処するか』を叩き込む。頭で考えるな、身体の髄まで染み込ませろ。……今日から訓練の日は毎日繰り返すぞ」
「はいっ!」
ガレスの冷徹で実戦的な指導に、アルシュは必死に食らいついていった。
銃器訓練を終え、息も絶え絶えになったところで、いよいよシャーリィとの特訓が始まる。
「ほいっ、と!」
「くっ……!」
ガァンッ! と、アルシュが両腕を交差させてシャーリィの拳を弾き返す。
動体視力と恐怖への耐性がついたことで、アルシュはかなりの頻度で彼女の拳の軌道を見切り、対処できるようになっていた。
「へえ、やるじゃん。素手ならもうビビらないってわけね。……なら、次は『これ』だ」
シャーリィがニヤリと笑い、どこから持ち出したのか、一本の木剣を構えた。
「次の段階(レベル)に行くよ。死ぬ気で躱しな!」
ヒュンッ!
空気を裂く音と共に、木剣の切っ先がアルシュの視界を掠めた。
拳とは根本的に違う。リーチが長く、剣先が圧倒的に速い。そして何より、直線的だった拳の軌道から一転し、手首の返しで予測不能な角度から襲いかかってくる。
「がはっ……!?」
脇腹に突き入れられた一撃。
拳の鈍い衝撃とは違う、内臓を鋭く『抉られる』ような激痛に、アルシュはたまらず床に転がり、胃液を吐き戻した。
「げほっ、ごほっ……ぁ、ああっ……」
「あははっ! 痛いっしょ? 剣ってのは『点』で急所を狙えるからね。ほらほら、休んでる暇ないよ?」
悶絶し、涙と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながらも。
アルシュは決して目を逸らさず、震える足で再び立ち上がり、木剣を構え直す。
何度叩きのめされても折れないその強靭な意志を見て、シャーリィは心の底から気分が良さそうに、爛々と目を輝かせて打ち込みを続けた。
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「あいたたたたっ!? しゃ、シャーリィさん、そこ痛いっ!」
「あはははっ! ほーら、ここ凝ってるねー! えいっ!」
「にゃああああ!?」
地獄の特訓を終えた後。
高級ホテルのシャーリィの部屋では、ベッドにうつ伏せにされたアルシュの悲鳴が響いていた。
今日は気絶せずに最後まで意識を保っていたため、シャーリィの容赦のない(しかし絶妙に筋肉の疲労をほぐす)マッサージの餌食になっていた。
ケラケラと悪ふざけ全開でアルシュの身体を弄り回すシャーリィは、すっかり「オモチャを可愛がる姉貴分」の顔になっている。
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そして、夜。
痛む身体と泥のような疲労感の中、アルシュはふかふかの温かい毛布に包まれていた。
いや、毛布ではない。
「……すー……すー……」
特務支援課への帰り道。ツァイトの広くて頼もしい背中の上で、アルシュはすやすやと深い眠りに落ちていた。
『表』での温かい誓いと、『裏』での血を吐くような特訓。
その両方を懸命に抱え込んで生きようとする小さな少年を背負いながら、ツァイトは優しく「ふんっ」と鼻を鳴らし、夜のクロスベルの街を静かに駆け抜けていく。
そうして、過酷で充実した一日が、また静かに過ぎていった――。