『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

47 / 142
心の傷をうめたのは

最近、夜の素振りの時間にずっとそばで見学してくれるキーアを送るために、

アルシュは特務支援課のビルへと歩く。

 

ビルの前まで送り届けると、キーアは大きく手を振った。

 

「じゃあね、アルシュ! 明日の日曜学校、一緒に行こうね!」

 

「うん。おやすみ、キーア」

 

「おやすみなさーい!」

 

元気な笑顔を見送った後、アルシュは自宅へと戻った。

 

 

 

部屋の明かりはつけず、窓から差し込む青白い月明かりだけが、

ベッドに腰掛けたアルシュの小さな身体を照らしていた。

 

(……あと一週間で、今の訓練も終わり)

 

今日、地下の訓練場でシャーリィが口にした言葉が、静かな部屋の中で何度も反響する。

アルシュは膝の上に置いた、自分の両手をそっと見つめた。

 

月明かりに照らされたその掌は、ほんの数週間前、図書館で本をめくっていた頃の柔らかい手とはまるで違っていた。

マメが幾度も潰れ、皮が剥け、その下から分厚く硬い皮膚が形成されている。

木剣の重みと、猟兵の狂気を受け止め続けた証。醜くも誇り高い、戦士の手になりつつあった。

 

(僕は……少しでも、強くなれたんだろうか)

 

ふと、あの嵐の夜の記憶が脳裏を過る。

 

雷鳴、巨大な魔獣の咆哮、そして背中で泣きじゃくるリリの温もりと、恐怖で足がすくんでしまった自分の無様さ。

もし今、あの時と同じ状況になったら。

 

(今なら……リリちゃんに怪我をさせることもなく、しっかり守れるのかな……)

 

自問自答した直後。

不意に、アルシュの脳裏に、ニヤリと肉食獣のように笑う『お姉さん』の顔が思い浮かんだ。

 

『あははっ! なに、あの程度のちっぽけな魔獣が、アタシより怖いわけ?』

 

「……っ」

 

幻聴のようなそのからかいの声に、アルシュは思わず吹き出し、一人で苦笑を漏らした。

 

そうだ。あの嵐の夜の魔獣なんかより、薄暗い地下室で本気の殺意を向けてくるシャーリィや、ガレスの放つ威圧感の方が、何十倍、何百倍も恐ろしかった。

あの地獄のような恐怖に毎日耐え、立ち向かっているのだ。

 

「……そっか。今なら、大丈夫だ」

 

アルシュはギュッと拳を握り込み、一人静かに納得した。

あの日心を縛り付けていたトラウマは、猟兵の狂気という劇薬によって、もはや完全に上書きされ、消え去っていたのだ。

 

(これからのこと……一週間した後、先のことなんてどうなるかは分からないけど。でも)

 

あの二人には、本当に感謝している。

だからこそ、彼らに失望されないように。最終日にシャーリィが振るうという『刃を潰した本物の剣』。

あれから絶対に目を逸らさず、見事に対処してみせようと、アルシュは強く心に決めた。

 

(最後までやり切ったら……)

 

『ご褒美に、アタシがなんでも一つお願いを聞いてあげるよ! 別に、エッチな感じのお願いでもいいし?』

 

その言葉を思い出し、アルシュの顔がボッ、と熱くなった。

 

「だ、だからそういうのじゃないのに……っ」

 

ブンブンと首を横に振って顔の熱を冷ました後、アルシュは再び窓の外、クロスベルの夜空を見上げた。

 

なんでも、言うことを聞いてくれる。

もし、本当にあの気まぐれな紅い猟兵の姉貴分が、自分の願いを一つだけ叶えてくれるというのなら。

 

「……だったら」

 

月明かりを見つめる少年の瞳から、照れや戸惑いが消え去る。

静寂の中、アルシュは何か重大な決意を固めたように、真っ直ぐな瞳で夜空を睨み据えていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。