『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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強さへの理由

薄暗い地下の訓練場。

本格的な特訓が始まる前、アルシュは床に座って入念なストレッチを行っていた。

 

「いっち、にー、さん……っ、と」

 

「ほいっと。もっと深く曲げなー」

 

「ぐえっ!?」

 

アルシュが前屈をしていると、背中から急にドスンと重みがかかった。

 

見上げなくてもわかる。シャーリィが暇つぶしか、あるいはじゃれているのか、

アルシュの背中に自分の体重をべったりと預けて負荷をかけてきているのだ。

 

「しゃ、シャーリィさん、重い……っ」

 

「あははっ、これも修行修行! ――そういやさ、今までちゃんと聞いてなかったんだけど」

 

背中に乗っかったまま、シャーリィがふとトーンを変えて尋ねてきた。

 

「アンタさ、なんでそこまでして『強く』なりたいわけ?」

 

「え……」

 

突然の問いに、アルシュは少しだけ動きを止めた。

 

「……あの嵐の夜の、トラウマを乗り越えたいから。

 もう二度と逃げ出さずに、ちゃんとみんなを守れるようになりたい……から」

 

それは嘘ではない。最初にこの場所を訪れた時の、アルシュの切実な願いだった。

しかし、シャーリィはアルシュの背中にさらに体を押し付け、耳元で悪戯っぽく、しかしすべてを見透かしたような声で囁いた。

 

「へえ? でもさ……アンタにとっちゃ、あの夜の魔獣のトラウマなんて、もう『なんてことない』っしょ?」

 

「……っ」

 

図星を突かれ、アルシュは息を呑んだ。

確かにその通りだった。自室で月を見上げながら気づいた通り、猟兵の狂気に当てられ続けた今のアルシュにとって、あの夜のトラウマはすっかり色褪せていた。

 

では、改めて「なぜ強くなりたいのか」と問われれば。

アルシュの脳裏に真っ先に浮かんだのは、昨日の夕食の時、自分を信じて無邪気に笑ってくれたキーアの向日葵のような笑顔だった。

 

(誰かを守りたい。……でも、一番強いのは、あの笑顔を……)

 

ドキン、と。

 

自分の本当の気持ちの輪郭に触れてしまい、アルシュの胸が大きく跳ねた。

途端に顔にカァッと熱が集まり、耳の先まで真っ赤に染まっていくのが自分でもわかる。

 

「そ、それは……その……っ」

 

必死に追及を躱そうと身をよじるアルシュ。

しかし、その耳まで真っ赤になった初々しい反応から、シャーリィが『何か面白いもの』を嗅ぎ取らないはずがなかった。

 

「おやぁ~? なにその顔。図星? それとも別の理由があるわけ~?」

 

「な、ないですっ! 何も――ひゃあっ!?」

 

シャーリィの手が、アルシュの脇腹から背中にかけて、容赦なく這い回った。

 

「あはははっ! 吐け吐けー! アタシに隠し事なんて100年早いんだよ!」

 

「あはははっ! ちょ、やめっ、くすぐったいっ! やめてぇっ!」

 

体を捻って逃げ出そうとするが、猟兵の膂力とマウントポジションから逃れられるはずもない。

涙目で笑い転げながら、ついにアルシュは耐えきれずに叫んだ。

 

「わ、わかった! 言います、言いますからっ!!」

 

「よし! じゃあお姉さんに正直に言ってみなさい!」

 

ピタリとくすぐる手を止めたシャーリィに対し、アルシュは荒い息を整えながら……これ以上ないほど顔を真っ赤にして、ギュッと目を瞑って白状した。

 

「……す、好きな子を……っ。一番に、守りたいから、です……っ」

 

地下室に、数秒の静寂が落ちた。

そして。

 

「…………ぷっ。あーっはっはっはっは!!」

 

シャーリィは堰を切ったように腹を抱え、床をバンバンと叩きながら爆笑し始めた。

 

「だ、だから言いたくなかったのに……っ!」

 

羞恥心で爆発しそうになったアルシュが涙目で抗議すると、シャーリィは目尻の涙を拭いながら「ごめんごめん!」と笑い転げた。

 

「いや、だってアンタがあんまりにも顔真っ赤にして言うからさー!……でも」

 

シャーリィはポンッとアルシュの頭を撫でた。

 

「アルシュらしくて、いいんじゃない?」

 

「え……いいの?」

 

「そりゃそうっしょ。アタシたち猟兵の『金と闘争本能のため』なんかより、よっぽど真っ当で可愛い理由じゃん。……ねえ、ガレスのオッサン?」

 

話を振られたガレスは、壁際で腕を組んだまま、やれやれと苦笑して短く頷いた。

 

「……違いないな」

 

「でしょ? それにさ」

 

シャーリィはスッと表情を引き締め、今度は真剣な、戦士としての目をアルシュに向けた。

 

「アタシたちの特訓は、そんな生半可な気持ちでやり通せるほどやわに作ってない。

 ……アンタのその『守りたい』って気持ちは、間違いなく本物だよ」

 

「シャーリィさん……」

 

大好きな人を守りたいという純粋な下心を、狂気に生きる猟兵の姉と兄が、誰よりも強く『戦士の覚悟』として肯定してくれた。

 

アルシュの胸の奥に、恥ずかしさを上回る確かな熱が灯る。

 

「よしっ! それじゃ、休憩と身の上話はおしまい!」

 

シャーリィは軽やかな動作で立ち上がり、足元に転がっていた木剣を無造作に蹴り上げた。

パシッ、と空中でそれを受け取った彼女は、獰猛で楽しげな笑みを浮かべる。

 

「さあ、今日も死ぬ気でやりなよ、アルシュ!」

「はいっ!!」

 

アルシュも力強く立ち上がり、迷いのない目で木剣を真っ直ぐに構えたのだった。

 

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