『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
夜。
特務支援課ビルから少し離れたいつもの広場には、鋭い風切り音だけが静かに響いていた。
「……ふぅっ!」
アルシュは木剣を構え、一人で素振りを繰り返していた。
今日、地下の訓練場で初めてシャーリィの打ち込みを完全に捌き切ることができた。
あの時の、身体の重心、筋肉の動き、そして相手の殺気を読み取る感覚。
それを絶対に忘れないように、何度も何度も反復する。
ただ振るだけではない。ガレスやシャーリィから教わった通り『考えながら剣を振るう』のだ。
(どうすれば、あのシャーリィさんに攻撃をあてることができる……?
真正面からじゃ絶対に弾かれる。なら、目線を外して、呼吸をずらして……)
頭の中で赤い髪の猟兵を思い描き、彼女の理不尽な暴力を想定しながら、一振り一振りに極限の集中を込める。
その世界には、アルシュと、仮想の敵であるシャーリィしか存在していなかった。
「アルシュ!!」
「うわあっ!?」
突然、すぐ耳元で弾けるような大きな声が響き、アルシュはビクッと肩を跳ねさせて、カランッと手から木剣を落としてしまった。
「はぁ、はぁ……えっ?」
驚いて横を見ると、いつの間にやって来たのか、広場のベンチにキーアがちょこんと座ってこちらを見ていた。
「キ、キーア!? い、いつからそこに……?」
「んー? 30分くらいー?」
「さ、30分も!?」
アルシュは目を丸くした。
周囲の気配に敏感になる訓練も受けているはずなのに、キーアが近くにいることにまったく気づかなかったのだ。
それほどまでに、自分の内側に深く入り込んでしまっていたらしい。
「アルシュ、すっごく集中してたから、邪魔したら駄目かなーって思って見てたんだけど……汗でいっぱいだったから、声かけちゃった」
キーアに言われて自分の身体を見返すと、シャツは汗でぐっしょりと張り付き、額からもポタポタと汗の雫が落ちていた。
「ほ、ほんとだ……全然気づかなかった……」
アルシュが呆然としていると、キーアがとととっ、と駆け寄ってきて、手に持っていたタオルをアルシュの顔に押し当てた。
「はい、拭いてあげる!」
「わっ、ありがとう。でも恥ずかしいから、自分でやるよっ」
「だーめ! キーアが拭くの!」
アルシュがタオルを受け取ろうと手を伸ばすが、キーアはそれをひらりと躱し、背伸びをして一生懸命にアルシュの顔や首元の汗を拭いてくれた。
その無邪気で優しい手つきに押し切られ、アルシュは少し顔を赤くしながら「……ありがとう」と大人しく拭いてもらうことにした。
一通りの素振りを終え、アルシュはキーアと二人、ベンチに隣り合って座って休憩していた。
夜風が火照った身体に心地よく吹き抜けていく。
アルシュは、タオルを握りしめながら、昼間からずっと心の中に残っている『ある思い』を口にした。
「……ねえ、キーア」
「ん?」
「僕……将来、遊撃士(ブレイサー)になりたいって言うのは、変かな?」
ぽつりとこぼれ落ちたその言葉に、キーアは少しだけ目を瞬かせた。
遊撃士。クロスベルの街を守る英雄たち。キーアの脳裏に真っ先に浮かんだのは、特務支援課も目標としている『風の剣聖』アリオスの頼もしい背中。
そして、教団事件が終わった後にリベールへと帰ってしまった、太陽のように明るいエステルと、優しく微笑むヨシュアの姿だった。
「アルシュ、遊撃士になりたいの?」
キーアが真っ直ぐに見つめてくると、アルシュはゆっくりと頷いた。
「うん……」
アルシュの脳裏には、今朝見たあの『都合のいい未来の夢』の光景が浮かんでいた。
自分よりずっと強くて恐ろしい猟兵を相手に、冷静に立ち回り、市民の避難を指揮していた自分の姿。
あれはただの恥ずかしい妄想だったかもしれない。けれど、あんな風になれたら。
キーアを、リリちゃんを、そして他のたくさんの人たちを守れるような。
特務支援課のロイドたちや、アリオスのような、誰かを助ける力を持った大人になりたい。
「……なりたい。僕、遊撃士になりたいんだ」
噛み締めるように、けれどはっきりとした声で告げたアルシュに、キーアはパァッと顔を輝かせた。
「変じゃないよ! すっごくいいと思う!」
「ほんと?」
「うんっ! アルシュ、いつもキーアのこと守ってくれるもん。それに、いーっぱい本を読んでて頭もいいから、きっと遊撃士にぴったり合ってるよ!」
一番背中を押してほしかった女の子からの全肯定に、アルシュの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ありがとう、キーア。……でも、どうやったら遊撃士になれるんだろう? 協会に行って、試験とか受けるのかな……」
アルシュが顎に手を当てて真剣に悩み始めると、キーアはポンッと手を打って立ち上がった。
「だったら、明日一緒に遊撃士協会に行って、聞きに行こうよ!」
「えっ!?」
「ミシェルさんや受付の人に『どうやったら遊撃士になれますか!』って聞けば、きっと教えてくれるよ! ねっ、明日行こ!」
キーアのあまりにもストレートで行動力あふれる提案に、アルシュは目を白黒させた。
「ええっ!? い、いきなり!? まだ子供だし、相手にされないんじゃ……っ」
「大丈夫大丈夫! キーアも一緒にお願いしてあげるから!」
グイグイと腕を引っ張られ、及び腰になって「わわっ」と情けない声を上げるアルシュ。
そんな二人の賑やかな笑い声が、クロスベルの穏やかな夜の広場に溶けていった――。