『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
翌朝。
爽やかな朝の空気に包まれたクロスベル市街。
アルシュは、元気いっぱいのキーアに手を引かれ、
行政区にある遊撃士協会クロスベル支部の扉の前に立っていた。
「さ、行くよアルシュ!」
「う、うん……っ」
勢いよく扉を開けるキーアに対し、アルシュの歩みはガチガチに硬かった。
これから街の平和を守るプロフェッショナルたちに「自分もなりたい」と宣言しに行くのだ。緊張で心臓が口から飛び出そうだった。
カランカラーン、と軽やかなベルの音が響く。
「あら、いらっしゃい。……って、キーアちゃんじゃないの。今日はどうしたの?」
カウンターの奥から、恰幅の良いオネエ言葉の受付嬢――いや、受付の男性であるミシェルが、目を丸くして声をかけてきた。
「ミシェルさん、おはよう! えへへ、今日はね、アルシュのお願いで来たの!」
キーアに背中をグイッと押され、アルシュはカチコチに固まった姿勢のまま、カウンターの前に進み出た。
「あ、あのっ! は、初めまして! アルシュ・グレイウッドです!
ぼ、僕……遊撃士になりたくて、どうすればなれるのか、お話を聞きに来ましたっ!」
直立不動で深々と頭を下げるアルシュ。
その初々しくも微笑ましい様子を見て、ミシェルはふふっと優しく目を細めた。
「ご丁寧にどうも。アタシはここの受付のミシェルよ。……そう、坊や、遊撃士になりたいのね?」
「はい!」
アルシュは顔を上げ、真っ直ぐにミシェルを見つめ返した。
ここクロスベル自治州において、特務支援課が設立されるまでの間、警察は長らく「政治のしがらみで動けない役立たず」として市民から失望されていた。
その分、しがらみにとらわれず市民を助ける遊撃士たちは、街の子供たちにとって絶対的な『ヒーロー』だったのだ。
「僕も……ここの遊撃士の人たちや、特務支援課のみんなみたいに、誰かを守れるようになりたいんです」
その言葉を紡ぐアルシュの視線には、もう微塵の迷いもなかった。
かつての強迫観念から完全に解放された、澄んだ瞳。
もともと彼が持っている気弱で優しいオーラと、裏の世界の猟兵たちに極限まで鍛え上げられたことによる『戦士としての鋭い光』が、絶妙なバランスで相殺し合っている。
結果として、今のアルシュは年の割にひどく落ち着いた、不思議な『大人の雰囲気』を漂わせていた。
(……あら。随分と、いい顔をする男の子ね)
数多くの志願者を見てきたミシェルだが、アルシュの瞳に宿る確かな覚悟の色に、内心で少しだけ驚き、そして感心した。
「ふふっ、いい心意気ね。……でも坊や、遊撃士になるにはルールがあるのよ」
この都市の事情柄、遊撃士に憧れて協会を訪ねてくる少年少女は後を絶たない。
ミシェルはいつものように、慣れた口調で優しく、そして現実的な説明を始めた。
「遊撃士の資格試験を受けられるのは、原則として『16歳』から。
試験に合格して『準遊撃士』になって、そこから色んな実績を積んで、やっと一人前の『正遊撃士』になれるの。
だから、坊やがなるにはもう少しだけ待たなきゃいけないわね」
「16歳……試験……」
アルシュがその言葉を真剣に反芻し、ギュッと拳を握りしめた、その時だった。
ミシェルの鋭い目が、カウンターに乗せられたアルシュの『手』にピタリと止まった。
(……この手。ただの子供の手じゃないわね……)
それは、幾度もマメが潰れ、皮が剥け、分厚く硬く変質した『武を修める者』の掌だった。とてもではないが、平和に暮らしているだけの少年の手ではない。
「……ねえ、坊や。あなた、何か武術をやっているの?」
「えっ? あ、はい。父と……それに、支援課のランディさんに、剣を教わっていて」
誤魔化すように照れ笑いを浮かべるアルシュだったが、隣にいたキーアが自慢げに身を乗り出した。
「アルシュね、毎日すっごく素振りして頑張ってるんだよ! 手にいっぱいマメ作って!
それにね、この間の嵐の夜も、おっきな魔獣から女の子を立派に守ったんだから!」
「き、キーア! それは別に、大したことじゃ……っ」
「ううん、大したことだもん! アルシュ、かっこよかったよ!」
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして縮こまるアルシュだが、自分の大好きなアルシュが褒められるのが嬉しくてたまらないキーアは、ニコニコと自慢話を止めない。
(毎日剣を振り、魔獣から人を守る覚悟……なるほどね。将来有望じゃないの)
ミシェルは心の中で深く頷き、ふっと真面目な顔つきになった。
「坊や。遊撃士にとって一番大切な心構えが何か、知ってるかしら?」
「……民間人の、保護、ですか」
「その通り」
ミシェルはにっこりと、花が咲いたような優しい笑顔を向けた。
「誰かを守りたいって想い。それをちゃんと行動に移せるあなたなら、きっと素晴らしい遊撃士になれるわ。
今はまだ資格は取れないけれど……剣の腕と、その優しい心をしっかり磨いておきなさいな」
「ミシェルさん……」
「うちの協会は、いつでも慢性的な人手不足なのよぉ。……あなたが16歳になって、ここに来てくれる日を、アタシたちはずっと待ってるわ」
その温かくて力強いエールに。
アルシュは顔の赤みをスッと引き、瞳にパァッと明るい光を宿して、この日一番の元気な声で返事をした。
「はいっ!!」
その温かくて力強いエールに。
アルシュは顔の赤みをスッと引き、瞳にパァッと明るい光を宿して、この日一番の元気な声で返事をした。
「はいっ!!」
曇りのない真っ直ぐな少年の声に、ミシェルもまた、心底嬉しそうな笑顔で応えた。
「ええ、楽しみに待ってるわよぉ。それまで怪我しないように、しっかり頑張りなさいな」
「はい! ……ありがとうございましたっ!」
アルシュは直立不動の姿勢のまま、カウンター越しのミシェルに向かって深く、丁寧なお辞儀をした。
隣で「またねー、ミシェルさん!」と元気よく手を振るキーアに、「ええ、また遊びにいらっしゃい」とミシェルがウインクを返す。
「行こう、キーア」
「うんっ!」
アルシュはキーアの小さな手をしっかりと握り直すと、二人揃って足取りも軽く、遊撃士協会の扉を押し開けて外へと出て行った。
カランカラーン、と軽快なベルの音が鳴り、扉の向こうの明るい陽射しの中へ、仲睦まじい少年と少女の背中が溶けていく。
(ふふっ……本当に、将来有望な騎士(ナイト)様ね)
完全に閉まった扉を見つめながら、ミシェルは頬に手を当て、頼もしい『未来の遊撃士』の卵を見送るように、いつまでも微笑ましく目を細めていたのだった。