『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
昼前。
遊撃士協会を出た二人は、そのまま東通りをのんびりと歩いていた。
クロスベル市街の中でも、この東通りは独特の空気を放っている。
赤や金で彩られた東方様式の建物が軒を連ね、カルバード共和国からの移民や商人たちが多く行き交う、活気に満ちた区画だ。
「ん〜……アルシュ、なんだかすっごくいい匂いがするね!」
「うん。……あ、あそこの露店からだ」
キーアが鼻をひくひくと動かして指差した先には、湯気をもうもうと立てている東方料理の屋台があった。
蒸籠(せいろ)の中で、ふっくらとした大きな『東方風の肉饅頭』が美味しそうに蒸し上がっている。
ちょうどお昼前で、少しお腹が空いてきたタイミングだった。
「そういえばキーア、今日のお昼ご飯はどうするの?」
「えっとね、今日は課長もお出かけしてるみたいで、キーアご飯どうしよっかなって」
「そっか。……なら、ちょっとここで待ってて」
アルシュはキーアに待つように言い残すと、小走りで露店へ向かい、ホカホカの肉饅頭を一つ買ってきた。
そしてキーアのそばに戻ると、熱々のそれを両手で「えいっ」と綺麗に半分に割り、湯気と肉汁の香りが広がる片方をキーアに差し出した。
「はいっ、キーア」
「えっ、でもこれ、アルシュが自分のお小遣いで買ったんでしょ? キーアはいいよ」
キーアは遠慮して首を振ろうとしたが、アルシュは優しく微笑んだ。
「遊撃士協会まで案内してくれたお礼だよ。それに……美味しいものは、一人で食べるよりも、二人で食べた方がずっと美味しいからさ」
「アルシュ……。うんっ、ありがとう!」
キーアはパァッと顔を輝かせ、嬉しそうに半分こした肉饅頭を受け取った。
二人で通りのベンチに並んで座り、「あむっ」と頬張る。
「ん〜っ! おいしーね!」
「うん、あつあつで美味しい」
もぐもぐと幸せそうに食べていると、不意にキーアがアルシュの顔を覗き込んできた。
「あ、アルシュ。ほっぺにお肉のタレ、ついてるよ」
「えっ?」
「じっとしててね。……えいっ」
キーアは自分の指で、アルシュの口元についた食べかすをちょいんと拭き取ってくれた。
「あ……あ、ありがとう……っ」
昨日からキーアに拭いてもらってばかりだ。
女の子に世話を焼かれる恥ずかしさに、アルシュはまたしても顔を真っ赤にしてしまう。
「今日はお昼ご飯の準備もないし……この後、午後からどうしよっかー」
「そうだね、久しぶりにゆっくり遊ぼうか」
そんな風に和やかに話していると。
「あっ! キーアちゃんだー!」
不意に、弾むような明るい女性の声が聞こえ、二人の元へ駆け寄ってくる人影があった。
「あ、フラン!」
キーアが手を振って応える。近づいてきたのは、私服姿の二人の若い女性だった。
「えへへ、やっぱりキーアちゃんだ! こんにちはー!」
先にやってきたのは、ツインテールの髪を揺らす愛らしい女性――クロスベル警察の受付とオペレーターを務める、フラン・シーカーだった。
フランはキーアに挨拶をした後、隣に座っている見慣れない少年を見て目を瞬かせる。
遅れて、もう一人の女性が歩み寄ってきた。
「フラン、あまり走ると危ないよ。……あら? アルシュ君じゃない」
「あ、ノエルさん。こんにちは!」
ショートヘアの凛とした女性――クロスベル警備隊に所属するノエル・シーカーが、驚いたように微笑んだ。
アルシュにとってノエルは、警備隊と関係の深い父繋がりで昔から顔見知りで、たまに相手をしてくれる頼もしいお姉さんのような存在だった。
「お姉ちゃん、この子のお知り合い?」
「ええ。父の仕事の関係でね。彼はアルシュ君。
……アルシュ君、こちらは私の妹のフラン。警察でオペレーターをしてるの」
「初めまして! フラン・シーカーです。よろしくね、アルシュ君!」
「は、初めまして。アルシュ・グレイウッドです」
アルシュが立ち上がってペコリと頭を下げると、フランはニコニコとアルシュとキーアを交互に見比べた。
「それにしても、アルシュ君とキーアちゃん、二人でベンチに座って肉饅頭を半分こなんて……ふふっ、ひょっとしてデートなのかな?」
「でーと?」
フランの冷やかしの意図などまったくない、純粋に楽しそうな言葉に、キーアがきょとんと首を傾げる。
「デートっていうのはね、大好きな人と一緒に、楽しくお出かけして遊ぶことだよ!
実はね、今日も私、お姉ちゃんと一緒にお買い物デートなんだー!」
フランが嬉しそうにノエルの腕に抱きつきながら説明すると、キーアは「あ、そっか!」とポンと手を打った。
「じゃあ、キーアもデートかも! だって、大好きなアルシュと一緒に遊んでるもん!」
「ふふっ、やっぱり! 二人とも可愛いなぁ」
「き、キーア……っ!?」
あまりにもストレートな好意を向けられ、アルシュは先ほどの肉饅頭の時以上に顔を爆発させそうになっていた。
「もう……ちょっとフラン、子供たちに何を吹き込んでるの」
ノエルはやれやれと呆れたような表情で、妹の頭を軽く小突いた。
「アルシュ君、気にしないでね。この子、本当にこういう話が好きだから」
「い、いえ……! あの、ノエルさんは今日はお休みなんですか?」
真っ赤な顔を必死に誤魔化しながらアルシュが尋ねると、ノエルは優しく微笑んだ。
「ええ。夕方まで非番だから、久しぶりにフランと一緒に遊びに出かけていたのよ。
それじゃ、私たちはそろそろ行くわね。二人とも、気をつけて遊ぶのよ」
「うんっ! ばいばーい!」
「じゃあね、キーアちゃん、アルシュ君! デート、楽しんでねー!」
ひらひらと手を振りながら、シーカー姉妹は仲良く東通りを去っていった。
二人の背中が見えなくなると、アルシュはベンチの横に立ったまま、自分の胸の鼓動がドクドクと早くなっているのを感じていた。
(……デート)
フランの言葉が、そしてキーアの無邪気な「大好きなアルシュと一緒に遊んでるから」という言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
この四ヶ月、血の滲むような特訓ばかりで、まともに彼女と一緒に遊んであげることもできていなかった。もし、今日が本当にそんな特別な日になるのなら。
アルシュはギュッと拳を握って覚悟を決めると、キーアの前に立ち、ゆっくりとその小さな手を差し出した。
「……あの、さ。キーア」
「ん?」
「もし、よかったら。……午後から、僕と……『デート』、しよう?」
恥ずかしくて声が少し震えたけれど、アルシュは逃げずに、真っ直ぐにキーアの目を見て誘った。
その言葉に、キーアは一瞬だけ「んー?」とちょっとだけ考え込むような、可愛らしい仕草を見せた。
けれど次の瞬間には、差し出されたアルシュの手を両手でぎゅっと握りしめ――。
「うんっ! いいよ、アルシュ!」
お日様のような、世界で一番眩しい満面の笑みで、力強く応えてくれたのだった。