『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
二人は繋いだ手をそのままに、賑わうクロスベルの街へと歩き出した。
向かったのは、中央広場にある巨大な百貨店《タイムズ》。
いつもなら支援課のみんなとワイワイ来る場所だが、今日はアルシュと二人きりだ。
「わあ……っ! アルシュ、見て見て! この髪飾り、すっごく可愛い!」
「本当だ。緑色の石がついてて、キーアの髪色にすごく似合いそう」
ショーウィンドウに張り付いて目を輝かせるキーアの隣で、アルシュは優しく微笑んで頷いた。
以前のアルシュなら「そうだね」と一緒に覗き込んでハシャいでいたかもしれない。
けれど今の彼は、周囲の人の流れを自然と読み取り、キーアが他の客とぶつからないようにそっと肩を抱き寄せ、さりげなく通路の安全な側へと彼女をエスコートしていた。
(……あれ?)
ふと、キーアは不思議そうに瞬きをして、隣を歩くアルシュを見上げた。
背丈は自分とそこまで変わらないはずなのに。
ずっと繋いでいる彼の手は、マメだらけでゴツゴツしていて、だけどとっても温かくて、絶対に自分を離さないという強い安心感があった。
それに、ショーウィンドウの光に照らされたアルシュの横顔は、なんだか以前よりもずっと凛々しくて、「かっこいいお兄さん」みたいに見えたのだ。
「……どうしたの、キーア? 疲れた?」
視線に気づいたアルシュが、心配そうに覗き込んでくる。
「ううんっ、なんでもない!」
キーアはえへへ、と笑って誤魔化し、繋いだアルシュの手をぎゅっと握り返した。
よくわからないけれど、胸の奥がぽかぽかして、ちょっとだけドキドキする。これがフランの言っていた「でーと」の魔法なのだろうか。
百貨店を見て回った後、二人は港湾区へと足を伸ばした。
穏やかな風が吹く湖畔のベンチ。アルシュが買ってきてくれた、甘いイチゴと生クリームがたっぷりのクレープを二人で並んで食べる。
「ん〜っ! あまくておいしー!」
「ふふ、よかった。……あ、またクリームついてるよ」
今度はアルシュが、持っていたハンカチでそっとキーアの口元のクリームを拭ってあげた。
とても自然で、けれどひどく丁寧なその扱いに、キーアはくすぐったそうに目を細める。
「えへへ、ありがとうアルシュ。」
やがて、街をすっぽりと茜色が包み込む夕暮れ時。
港湾区のベンチに二人で隣り合って座り、エルム湖の向こうへと静かに日が落ちていく様を眺めていた。
夕暮れの湖畔を吹き抜ける風は少し肌寒く、二人は自然とお互いの体温を確かめ合うように、肩をぴったりとすり寄せていた。
「……今日は楽しかった。付き合ってくれて、ありがとう、キーア」
「ううん、キーアもすっごく楽しかったよ!」
アルシュが感謝を伝えると、キーアはお日様のような満面の笑顔を向けてくれた。
いつも自分に向けてくれるその屈託のない笑顔。何度見ても、やっぱり少しだけドギマギしてしまうのは変わらなかった。
(……初めて図書館で出会ったあの時から、ずっと)
アルシュは、繋いだままの彼女の小さな手を見つめる。
僕は、キーアちゃんのこの笑顔が大好きで。ずっと隣で、この笑顔を守っていたいって思ったんだ。
だから、柄にもなく背伸びをして、最初は父さんにお願いして剣を教えてもらった。
ランディさんを介してもっと特務支援課のみんなと仲良くなって――そして、あの教団事件の夜。
大切なキーアちゃんが、あんな恐ろしい目に遭っているのを見て、心の底から『もっと強くなりたい』と痛感した。
怖いものや、理不尽な暴力から、彼女のこの笑顔を絶対に守れるようになりたいって。
「……っ」
その思いが込み上げ、アルシュは無意識のうちに、重ねるように握っていたキーアの手を、ぎゅっと強く握り返していた。
「ねえ、キーア」
「ん?」
夕日を反射してキラキラと輝く緑色の瞳を見つめ、アルシュは、ぽろりと零れ落ちるように、その思いを口にしていた。
「僕、キーアちゃんのこと……大好きだよ」
それは、ただの親愛の情を超えた、真っ直ぐで不器用な告白。
キーアは一瞬、少しだけ不思議そうな顔をして瞬きをした。けれど、すぐにまたいつもの花が咲いたような笑顔を向けてくれた。
「えへへ。キーアも、アルシュのこと大好きだよ!」
その元気な返事を聞いて、アルシュは少しだけ胸の奥がくすぐったくなった。
(……キーアちゃんの『好き』と、僕の『好き』は、多分ちょっと違うのかな)
ここ数ヶ月、猟兵の過酷な特訓に耐え抜き、誰かを守るための力を身につけようと必死にもがく中で、アルシュは自分が少しだけ『大人』になった気がしていた。
その、ちょっとだけ大人になった心が、彼女を「女の子」として好きだと言っている。
対してキーアの『好き』は、きっと特務支援課のロイドたち『家族』に向けるものと、まだあんまり変わらないのだろう。
そう思いながらも、大好きな子から返ってきた「大好き」という言葉がどうしようもなく嬉しくて。
アルシュは少しだけ照れくさそうに、キーアの言うところの『へにゃっ』とした、底抜けに優しい笑顔を浮かべて笑った。
(……そろそろ、帰ろうかな)
沈みゆく夕日を正面に見据え、日が完全に落ちる前に支援課ビルへ戻ろうと、アルシュが腰を浮かせようとした、その時だった。
「――」
黙って夕日を見ていたキーアが、不意にアルシュの服の袖をちょっとだけ引っ張った。
「えっ?」
アルシュが振り返った瞬間。
キーアがベンチから少し身を乗り出すようにして――アルシュの頬に、チュッ、と柔らかな口づけをした。
「……えっ?」
「えへへ……」
パチクリと目を白黒させるアルシュの至近距離で、キーアは少しだけ頬を赤らめ、照れたような、けれどいつもの可愛い笑顔を向けていた。
「キ、キーア……!?」
驚きのあまり声が裏返ったアルシュに、キーアは少しだけ上目遣いになって答える。
「あのね、アルシュのさっきの言葉が、すっごく嬉しかったから。……だから、なにかキーア、してあげたくなっちゃって……」
そして、ほんの少しだけ不安そうに眉を下げた。
「……アルシュ、嫌だった?」
「うっ、ううんっ!!」
アルシュは顔をボンッと限界まで赤く染めながら、千切れるほどの勢いで首をブンブンと横に振った。
「そ、そんなこと、ないよっ! すっ、すごく、嬉しい……っ」
顔から火が出そうなほど照れながらそう返すと、キーアは「よかったぁ」とホッと胸を撫で下ろし、再びとびきりの笑顔を咲かせた。
アルシュは、真っ赤になった頬を片手で押さえながら、静かに心の中で降参した。
自分はここ数ヶ月で大人になったつもりでいたけれど。
キーアちゃんは、僕が思っていた以上にずっと『大人』だったみたいだ。
こんな風に自然に好意を伝えて、僕をドギマギさせてしまうのだから。実は、僕のほうがよっぽど子供だったのかもしれない。
「アルシュ、帰ろっ!」
キーアはベンチから立ち上がると、アルシュに向かって小さな手を差し伸べた。
「うん……っ」
アルシュはその温かい手を取り、しっかりと握りしめる。
すっかり日の落ちたクロスベルの街。冷たい夜風が吹き始めたけれど、二人の間にある繋いだ手だけは、これ以上ないほどに熱を持っていた。
アルシュとキーアは、寄り添うように並んで歩きながら、温かい夕飯の待つ家へと帰っていった。