『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
夜の特務支援課ビル、一階のミーティングスペース。
そこには、普段の支援課とは異なる、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
集まっているのは、特務支援課のセルゲイ課長とロイド、警備隊の制服に身を包んだノエル。
そして、捜査一課のエースであるダドリーと、遊撃士協会の『風の剣聖』アリオス・マクレインの姿があった。
「――作戦日時の最終確認だ」
ダドリーが、手元の資料から鋭い視線を上げて口を開いた。
「二日後に、我々は共和国のアルタイル市へと入る。そしてその翌日、目標に対する作戦行動を開始する。……予定通りだな」
「ああ。当日のクロスベル市内のフォローについては、遊撃士協会の他のメンバーと連携が取れている」
アリオスが静かに、しかし絶対的な安心感を伴う声で頷いた。
「私が不在にする間も、市内の警戒態勢に問題はない」
「警備隊の部隊も準備は完了しています。……いつでも動けます」
ノエルが真剣な表情で頷き、それに続いてロイドも真っ直ぐにダドリーを見据えた。
「俺も、問題ありません」
その力強い返答を聞き、ダドリーはふんと鼻を鳴らして眼鏡の位置を直した。
「いいか、ロイド。今回の合同作戦は、お前の捜査一課での研修の『総仕上げ』となる。……くれぐれも、無様は晒すなよ」
「はいっ! 全力で当たらせていただきます!」
気合の入ったロイドの返事に、カウンター席でコーヒーを飲んでいたセルゲイが、やれやれと肩をすくめた。
「ま、当日は俺も本署に詰めて、こっちから上手くフォローに回らせてもらうさ。……お前ら、せいぜい気張ってくるんだな」
その時だった。
ガチャリ、とビルの玄関の重い扉が開く音が響いた。
「ただいまーっ!」
元気な声と共に、昼間のデートを終えたキーアとアルシュが帰ってきた。
そして、ミーティングスペースにいる見慣れた青年の姿を捉えた瞬間、キーアの顔がパァッと輝いた。
「あっ……ロイドだーっ!!」
「うおっと!?」
弾かれたように突撃してきたキーアを、ロイドは慌てて、しかししっかりと両腕で受け止めた。
「ははっ、ただいまキーア! 久しぶりだな、元気にしてたか?」
「うんっ! ロイド、ずっと一課でお仕事だったから、すっごく寂しかったんだよ!」
「ごめんな。……よしよし、いい子にしてたみたいだな」
久しぶりの再会に、ロイドは目尻を下げてキーアの頭をぐりぐりと撫でて甘やかす。
その微笑ましい光景に、張り詰めていた室内の空気がふっと緩んだ。
「こんばんは、ロイドさん。お久しぶりです」
「ああ、アルシュも久しぶり! 最近もよくここに顔を出してくれてたみたいだな」
後ろから近づいてきたアルシュに、ロイドは気さくな笑顔で挨拶を返した。
特務支援課のビルにしょっちゅう入り浸っていたアルシュにとって、
ロイドたちは年の離れた兄のような存在であり、その距離感はとても近い。
「ふふっ、二人とも、お昼ぶりね」
ノエルも、昼間の東通りでの一件を思い出して優しく微笑みかけた。
「あ、ノエルさん。お疲れ様です」とアルシュが照れくさそうに頭を下げる。
「……やれやれ。見事に話の腰を折られたな」
ダドリーが大仰にため息を吐きながら立ち上がった。
「だが、丁度いいタイミングだ。作戦会議はこれで終了とする。……俺は本署に戻るぞ」
「あ、ダドリー帰っちゃうの? ばいばーい!」
キーアが大きく手を振ると、ダドリーは「……ああ」とだけ短く返し、足早にビルを後にしていった。
その後ろ姿を見送った後、キーアは隣に立つ長身の剣士を見上げた。
「アリオスのおじさんも、こんばんは!」
「ああ、こんばんは。キーア君も相変わらず元気そうで何よりだ」
アリオスが柔和な笑みを浮かべて応える。
その圧倒的な存在感を前にして、アルシュは全身をガチガチに強張らせていた。
(ほ、本物の……『風の剣聖』、アリオス・マクレイン……っ!)
今朝、自分もあんな風になりたいと夢見た、クロスベルの守護神。
アルシュは極度の緊張で裏返りそうになる声を必死に抑え込み、姿勢を正した。
「あ、あのっ……! こ、こんばんは……っ! アルシュ・グレイウッドと申します!」
カチコチになって挨拶をする少年に、アリオスは少しだけ目を丸くした後、ひどく穏やかな、父親のような優しい目を向けた。
「初めまして……いや。君のことは、娘のシズクからよく聞いているよ」
「えっ……?」
予想外の言葉に、アルシュがポカンと口を開ける。
「以前、キーア君と一緒にウルスラ病院へ見舞いに来てくれたそうだね。
シズクの相手をしてくれて、本当に感謝しているよ。……ありがとう、アルシュ君」
「っ……!」
憧れの英雄が、自分の名前を知ってくれていた。
そして、正面からしっかりと目を見て、感謝の言葉と名前を呼んでくれたのだ。
アルシュは胸の奥から込み上げてくる強烈な感激に、顔を真っ赤にしながら「い、いえっ! とんでもないです!」と、今日一番の勢いで深く頭を下げたのだった。
「ねえねえ、ロイド!」
キーアは期待に満ちた瞳でロイドを見上げ、その服の裾をきゅっと掴んだ。
「もう一課のお仕事終わって、帰ってきたの!?」
その無邪気な問いかけに、ロイドは少しだけ申し訳なさそうに苦笑し、キーアの頭を優しく撫でた。
「ごめんな、キーア。今日は明後日の作戦の準備のために、一旦戻ってきただけなんだ。完全に帰ってくるまでは、もう少しだけかかるよ」
「ええーっ……そっかぁ……。キーア、またお留守番なんだね……」
期待が外れてしまい、キーアは分かりやすく口を尖らせて、しゅんと肩を落とした。
そんな寂しそうな彼女を見て、ロイドはキーアの目線に合わせてしゃがみ込み、力強く微笑みかけた。
「あはは、そんな顔するなよ。……作戦が順調に進めば、早ければあと4日ほどでこっちに帰ってこれるはずだからさ。な?」
「ほんと!? うんっ、わかった! いい子で待ってる!」
具体的な日数を教えてもらい、キーアはパァッといつもの明るい笑顔を取り戻した。
「ああ、約束だ」
ロイドは頷きながら立ち上がると、今度は少し真剣な面持ちでアルシュの方へと向き直った。
「アルシュ。……あと数日だけだけど、俺たちがいない間、キーアのことをよろしく頼むな」
「えっ……?」
突然自分に向けられた言葉に、アルシュは目を丸くした。
特務支援課のリーダーであり、街の英雄でもあるロイドからの、あまりにも真っ直ぐな依頼。
戸惑うアルシュに対し、ロイドは温かい感謝の念を込めて言葉を続けた。
「ランディから聞いてるよ。アルシュ君がいつも、キーアを守るために頑張ってくれてるってな。……本当にありがとう」
「あ……っ」
その言葉を聞いた瞬間、アルシュの顔はみるみるうちに真っ赤に染まった。
自分では、まだ何かを成し遂げられたわけでも、キーアを完璧に守れるほどの確かな力を得たわけでもないと思っている。
昨日もシャーリィの木剣をようやく捌き切れたばかりで、実戦になればどうなるか分からない。
けれど。自分がずっと憧れてきた特務支援課のロイドが、自分の努力を知っていてくれて、真正面から『頼む』と信じてくれた。
その事実が、たまらなく嬉しかった。胸の奥から、熱いものがグワッと込み上げてくる。
「そ、そんな……僕なんて、まだ全然……っ。でも!」
アルシュはギュッと拳を握り締め、夕暮れのベンチで交わした誓いを胸に、ロイドの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「僕、絶対にキーアちゃんを守ります……!」
少し裏返りそうになるのを必死に堪えた、少年なりの全力の宣言。
そのひたむきで真剣な姿を見て、その場にいた大人たちは皆、ひどく微笑ましいものを見るような、温かい表情を浮かべた。
「ふふっ、本当に頼もしい騎士様ですね」
ノエルが優しく目を細めて微笑む。
「ああ。……立派な覚悟だ」
アリオスもまた、静かに、しかし確かな敬意を込めて深く頷いた。
ロイドは、アルシュの瞳の奥にある『戦士としての強い意志』を感じ取り、感心したように息を吐いた。
「……ああ。しばらく見ない間に、すっかり『男の顔』になったな」
ロイドはアルシュの肩にポン、と手を置き、
その頼もしい少年の目を見据えて、改めて言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、改めてキーアの事を任せるよ。アルシュ」
「はいっ!」
力強く頷いたアルシュは、気合を入れるように姿勢を正した。
「あの……ロイドさんも、ノエルさんも、アリオスさんも! 明後日の作戦のお仕事、頑張ってください!」
少年の純粋なエールに、三人はそれぞれ頼もしい笑みを浮かべて応えた。
「ああ、任せておけ!」
「ええ、ありがとうアルシュ君。私たちも全力を尽くすわ!」
「君の応援、確かに受け取った。……我々も、クロスベルの平和のために最善を尽くそう」
大人たちが再び作戦の準備へと戻っていく背中を見送りながら。
アルシュは自分の隣でニコニコと笑っているキーアの手を、そっと握りしめた。
尊敬する特務支援課のロイドに、直接キーアを任せると言われた。
あと数日。彼らが無事にこのビルに帰ってくるまでの、たった数日の間だけだ。
(僕が、しっかりとキーアちゃんを守り抜かないと……!)
アルシュは、温かく柔らかな彼女の手の感触を確かめながら、その決意を改めて、深く、強く心に誓ったのだった。