『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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ご褒美

ひんやりとした空気が漂う地下室。

激しい特訓が終わり、アルシュはシャツを脱いだ状態で、シャーリィから手際よく何重にも包帯を巻かれていた。

 

「よしっ、と。……どう、大丈夫っしょ?」

 

「あ……うん」

 

ぐるぐると上半身を固定されたアルシュは、恐る恐る腕や体を動かしてみる。

先ほどまで呼吸をするだけでズキンと走っていた胸の痛みが、不思議と和らいでいた。

もちろん完全に消えたわけではないが、ガレスのアーツとこの包帯による固定のおかげで、普通に動く分には何ともなさそうだ。

 

「すごい……痛くない……」

 

「あははっ、猟兵(アタシら)やってるとさ、それくらいの傷は日常茶飯事だからねー。まあ、今回は加減したとはいえ、完全にポッキリ折れなくてよかったよ」

 

シャーリィはケラケラと笑いながら、アルシュの肩をポンと叩いた。

 

「いてっ」

 

「あ、ごめんごめん」

 

アルシュは服を着直し、ホッと息を吐いた。

 

恐怖を乗り越え、彼女の剣を根本から押さえ込んだあの瞬間の感触。

自分の力で、最後までこの理不尽な試験をやり遂げたという確かな実感が、じわじわと胸の奥に広がっていく。

 

アルシュは姿勢を正し、シャーリィと、後ろで腕を組んでいるガレスに向かって深く頭を下げた。

 

「シャーリィさん、ガレスさん。……今まで、本当にありがとうございました!」

 

「ふふん、どういたしまして」

 

シャーリィは心底機嫌良さそうに笑い、ガレスも短く鼻を鳴らして頷いた。

 

「勘違いするなよ、小僧。俺たちは手加減こそしたが、容赦は一切しなかった。

 ……その理不尽を思考で乗り越えたのは、紛れもなく貴様自身の力だ」

 

「ガレスさん……っ」

 

「ま、そういうこと! よく頑張ったね、アルシュ」

 

シャーリィが近づいてきて、アルシュの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に、けれどどこか優しく撫で回した。

 

「わわっ……!」

 

二人の猟兵からの初めての真っ直ぐな称賛とスキンシップに、アルシュは照れくさくて、耳の先まで真っ赤にして俯いてしまう。

 

「……ふふっ、そういう所はまだまだ可愛い子供なんだけどねー」

 

その初々しい反応を見て、シャーリィはさらにクスクスと笑った。

 

「そ・れ・と」

 

不意に、シャーリィが自分のポケットから小さな黒い箱を取り出した。

 

「ほい。これは、アタシの地獄の訓練を最後までやり遂げた『ご褒美』」

 

「えっ……?」

 

アルシュが戸惑いながら箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開ける。

中に入っていたのは、黒光りする頑丈そうな革のホルダーと――一本の無骨な軍用ナイフだった。

 

しかし、そのナイフはただの真っ直ぐな刃ではない。

刃の背の部分に、奇妙な『ノコギリの歯』のような深いギザギザの切れ込みがいくつも刻まれている、特殊な形状をしていた。

 

「こ、こんな立派なもの……! 僕、もらえませんっ」

 

「いいから受け取りなさいって。アタシがアンタにあげたいだけだからさ」

 

遠慮して突き返そうとするアルシュに、シャーリィは強引に箱を押し付けた。

 

「……ありがとうございます」

 

押し切られる形で受け取り、アルシュはそのナイフを不思議そうにまじまじと見つめた。

 

「あの、シャーリィさん。このナイフ、背中の部分がすごくギザギザしてますけど……普通のナイフじゃないんですか?」

 

「お、気づいた? それね、『ソードブレイカー』って呼ばれてる特殊なナイフなんだよ」

 

シャーリィは得意げに人差し指を立てた。

「そのギザギザの溝で、相手の剣を受け止めて刃を噛み合わせるの。

 で、そのまま捻り上げて相手の武器をへし折ったり、手から弾き飛ばしたりするための武器。

 ……ま、相手の武器を『壊す』ためのナイフってわけ」

 

「武器を、壊す……!」

 

今日、自分がシャーリィの剣を根本から『潰しにいった』あの動きを、さらに攻撃的に特化させたような武器。

しかし、アルシュは動揺して顔を引きつらせた。

 

「で、でも……っ、こんなの、相手の剣とぴったり噛み合わせるなんて……素人の僕が、実戦でそんなことできるわけ……っ」

 

「うん、今のアンタじゃ絶対無理だね!」

 

シャーリィはあっけらかんと即答した。

 

「でもさ」

 

彼女は、アルシュの目を真っ直ぐに見据えて、力強く告げた。

 

「これからもアンタが一人で考えながら訓練を続けていけば……いつか絶対に、こいつを自分の手足みたいに使えるようになるよ。

 ……アタシのシゴキを最後まで乗り越えたんだからさ、これくらい生意気な武器、扱えるようになりな!」

 

「……っ」

 

アルシュは、箱の中のソードブレイカーを見つめた。

冷たくて重い、人を殺すための道具。しかし、自分にとっては、このクロスベルで大切な人たちを守るために必要な、猟兵からの『期待』と『信頼』の証。

 

「……はいっ」

 

アルシュは、その無骨なナイフの柄を力強く握り込み、真っ直ぐな瞳で力強く頷いて見せたのだった。

 

ソードブレイカーの鈍い重みをその手に感じているアルシュの前に、今度はガレスが静かに進み出た。

 

「……俺からも、これを受け取っておけ」

 

「ガレスさん……?」

 

差し出された無骨な包みを開けると、中には一対の黒いグローブが入っていた。

指先から手首にかけてしっかりと補強された、特殊な素材のタクティカルグローブ。

銃器を使用した際の強烈な反動や衝撃を軽減するための本格的な軍用品だが、

同時に、普段から身につけていても違和感がないような、洗練された凝ったデザインになっていた。

 

「わあ……っ」

 

アルシュが感嘆の声を漏らし、感謝と尊敬の入り混じった瞳で見上げると、ガレスは厳格な顔つきのまま静かに口を開いた。

 

「この数週間で、銃の扱い方と撃たれた時の対処法は一通り教えた。

 だが……お前のその身体は、まだ本格的な反動に耐えられるほど出来上がってはいない。

 無理に実銃を撃とうとすれば、それだけで肩や腕の骨を砕きかねないことは、常に頭に入れておけ」

 

「はい……」

 

「……こんなもの、使う機会がないに越したことはないがな」

 

ガレスはそこで言葉を切ると、アルシュの小さな肩に、その大きく分厚い手をポンと置いた。

 

「先ほども言ったが、俺たちは手加減こそすれ、容赦はしなかった。

 ……その理不尽な死線を、頭と心で乗り越えたんだ。

 お前は間違いなく、一人の『戦士』だ。……自信を持て」

 

不器用な男からの、これ以上ないほどの最大級の賛辞。

アルシュは胸が熱くなるのを感じながら、コクリと力強く頷いた。

 

そして、猟兵の姉と兄の顔を真っ直ぐに見据え、確かな声で宣言した。

 

「……僕、この間話していた事。将来は遊撃士(ブレイサー)になりたいと思います。ギルドにも、昨日お話を聞きに行ってきました」

 

「へえ……!」

 

「そしていつか。……大きくなって一人前になったら、二人の前に、遊撃士として立ってみせます!」

 

一切の迷いがない、真っ直ぐな少年の誓い。

それを聞いたシャーリィとガレスは、心底楽しそうな、そしてどこか誇らしげな笑みを浮かべた。

 

「あははっ! 言ったね? じゃあ、その時が来るのを首を長ーくして楽しみにしてるよ!」

 

「ああ。せいぜい腕を磨いておくことだ」

 

そんな温かいやり取りから、少しの間を置いた後。

シャーリィがふと何かを思い出したように、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべてアルシュに顔を近づけてきた。

 

「そういやさー、アルシュ。……『お願い』、決まった?」

 

「えっ……あ」

 

アルシュは肩をビクッと跳ねさせた。

それは以前、特訓のご褒美としてシャーリィが約束してくれた『何でも一つ言うことを聞いてあげる』という権利のことだ。

彼女のそのからかうような流し目と甘い声色は、明らかに「お年頃の男の子らしい、エッチなお願いでもいいんだよ?」と暗に唆しているのが丸わかりだった。

 

一瞬、顔に熱が集まりそうになるアルシュだったが。

 

「――っ」

 

ブルブルッと首を激しく振ってその誘惑と羞恥を振り払い、姿勢を正した。

 

そして、極めて真面目な、澄んだ瞳で彼女を正面から見据えて告げた。

 

「なら……『シャーリィさんの全力の戦い』を、見てみたいです」

 

「…………へ?」

 

てっきり顔を真っ赤にして慌てふためくか、可愛いお願いをしてくると思っていたシャーリィは、完全に呆気にとられた顔をした。

 

「アタシの……全力?」

 

「はい。……手加減なしの、シャーリィさんの本当の強さを、僕の目に焼き付けておきたいんです」

 

それは、ここまで教えてくれたシャーリィに対するアルシュの、純粋な渇望だった。

シャーリィは困惑したように頬を掻き、壁際に立つガレスへと視線を向けた。

ガレスはやれやれと肩をすくめ、「お嬢の好きにすればいい」とでも言いたげな顔で顎をしゃくった。

 

それを確認したシャーリィは、少しだけ苦笑して息を吐き出すと。

 

スッ……と、それまでの「気のいい姉貴分」の顔から、血の匂いが立ち込める『赤い星座の部隊長』の顔へと表情を切り替えた。

 

「……いいよ」

 

ゾクリ、と。

地下室の温度が急激に下がったかのような錯覚。

彼女の全身から、先ほどの特訓とは比べ物にならない、純度100パーセントの重く濃密な『殺気』が立ち昇る。

 

「ただし……あまりの恐ろしさにチビっちゃっても、知らないよ?」

 

悪戯心と、本物の死の気配を入り混じらせた凄絶な笑みでの脅し。

アルシュは、本能が警鐘を鳴らし、背筋を駆け上がる悪寒に少しだけ身震いしながらも……決して目を逸らすことなく、真面目な顔で答えた。

 

「は、はい……!」

 

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