『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
アルモリカ古道をクロスベル市街へと戻る途中。
二人はバス停に併設された休憩所へと立ち寄っていた。
古戦場で血と肉が弾け飛ぶ、あのシャーリィの凄惨な『本気』を目に焼き付けたアルシュは、ベンチに腰を下ろしたまま、ぼーっとどこか遠くの空を見上げていた。
カコン、と自販機から缶の落ちる音が響く。
「ほい、あげる」
「あ……ありがとうございます」
不意に横から飛んできた冷たいジュースの缶をキャッチすると、シャーリィは自分の分のプルタブを開けながら、アルシュの隣にどっかりと腰を下ろした。
「で? どうだった、アタシの全力は」
喉を鳴らしてジュースを飲み下し、シャーリィが横目で聞いてくる。
アルシュは手の中の冷たい缶を見つめながら、素直な言葉を口にした。
「……すごかったです。正直、すごく怖かった。でも……」
そこで言葉を切り、アルシュは隣に座る赤髪の猟兵を真っ直ぐに見上げた。
「それ以上に凄くて、かっこよくて……憧れました」
その言葉を聞いたシャーリィは、一瞬目を丸くした後、ケラケラと笑いながらアルシュの頭をガシガシと乱暴に撫で回した。
「あはははっ! やっぱ君、どっか壊れてない?」
「えっ……?」
「だってさぁ、アタシのあの本気(エグい)のを見ても、ビビる以上に『かっこいい』なんて言えるのは、けっこう普通じゃないよ? ……ま、私としてはそういうところも可愛いから、別にいいんだけどね〜」
そう言って、シャーリィはアルシュの頬をつんつんと突っついて可愛がる。
(自分が、壊れてる……)
アルシュはその言葉に、少しだけ考え込んだ。
自分でも、自覚がないわけではない。あの嵐の夜、魔獣の恐怖に直面した時に、
自分の中の何かがプツリと壊れてしまったのかもしれない、と思ったことはある。
けれど。
「……もし、僕が壊れているから、お姉さんたちのあの厳しい訓練に耐えきれたんだとしたら」
アルシュはポツリと、確かな熱を込めて呟いた。
「そのおかげで、こうやってお姉さんに教えてもらえたなら……僕は、壊れていてもいいです」
「……っ」
その健気で真っ直ぐな言葉に、シャーリィは嬉しくなったのか、それとも悪戯心に火がついたのか。
「あーもう、ほんっと可愛いなぁ!」
「わわっ!?」
不意にアルシュの肩をグイッと引っ張ったかと思うと、そのまま自分の太ももの上へとゴロンと引き倒し、強引に『膝枕』の状態に持ち込んだ。
「あ、う……っ」
柔らかな太ももの感触と、薄着のシャーリィの肌の温もり。
至近距離から覗き込んでくる艶やかな顔に、アルシュの顔は一瞬で茹でダコのように真っ赤になった。
「あはは、可愛いヤツ〜。ほーら、よしよし」
されるがままのアルシュの髪を、シャーリィは楽しそうに撫で続ける。
アルシュはその体勢のまま、逃げ場のない恥ずかしさに耐えながら、ポツリと口を開いた。
「そ、その……シャーリィ、さん。……できたら、もう一つだけ、お願いがあるんですけど……」
ものすごく照れながら、言葉にするのをひどく迷っているような声。
シャーリィはひどく機嫌良く目を細め、上からアルシュの赤い顔を覗き込んだ。
「んー? なになに?」
アルシュはシャーリィの顔を直視できず、ギュッと目を瞑って、今までで一番照れた声でそれを絞り出した。
「その……これからは、『お姉ちゃん』って……呼んで、いいですか……っ?」
「…………え?」
シャーリィはポカンと呆気にとられた。
今、自分がこの弟分から何を言われたのか、一瞬理解できなかったらしい。
数秒の沈黙。言われた言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、脳内で処理が完了した瞬間。
「……っ、ぶっ、あーっはっはっはっは!!」
唐突に吹き出し、お腹を抱えて大笑いし始めた。
「わ、わっ、な、なんでもないです! 今の忘れてくださいっ!!」
恥ずかしさの限界を突破したアルシュが、涙目で慌てて起き上がろうとジタバタする。
「あはははっ! ごめんごめん、ちょっ、待って、逃げないでってば!」
シャーリィは笑い涙を拭いながら、起き上がろうとするアルシュを優しく押さえ込み、その頭をポンポンとなだめるように撫でた。
笑いが収まると、彼女はどこか「仕方ないなあ、この弟は」とでも言いたげな、深い愛着の籠もった柔らかい空気で微笑んだ。
「……いいよ。特別に許してあげる。よろしくね、アルシュ」
悪戯っぽくウインクをするシャーリィに、アルシュは限界まで顔を赤くしながらも、
嬉しそうに「……はいっ、お姉ちゃん」と小さく頷いたのだった。
「あははっ、いやー、まさかここまでアタシに懐いてくれるとは思わなかったなー」
シャーリィは心底愉快そうに笑いながら、膝枕をしているアルシュの頬をつついたり、前髪を指でくるくると弄ったりして遊び始めた。
「あ、う……っ、お姉、ちゃん……」
先ほど自ら「お姉ちゃん」と呼ぶ許可をもらった手前、されるがままになっているアルシュだが、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
そんな彼を見下ろしながら、シャーリィはふと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あのさ、アルシュが夜中に一人で素振りしてた時、初めて会ったっしょ? あの時、アタシが『特訓してやろっか?』って誘ったのはね……
実は、アンタが『赤い星座』の筋の通った素振りをしてたのを見て、ランディ兄への嫌がらせのつもりで声かけただけだったんだよねー」
「……えぇっ?」
予想外の衝撃的な事実に、アルシュは膝枕の状態のまま、ぱちくりと目を丸くして間の抜けた声を漏らした。
大好きな特務支援課のランディへの、嫌がらせ?
アルシュが少しショックを受けたような顔をすると、シャーリィは楽しそうにアルシュの鼻の頭を指でピンッと弾いた。
「いたっ」
「あはは、そんな顔すんなって。……けど、それもほんの『最初だけ』の話」
シャーリィは指先をアルシュの額へと移し、今度は優しく、愛着を込めて撫でた。
「アンタが思いのほか面白くてさ。それだけじゃなくて、アタシらの理不尽なシゴキにも絶対に折れない『根性』を見せたから。……だから、ちゃんと最後まで特訓をつけてやったの。
そこにランディ兄は関係ないよ。アルシュが『アルシュ』だから、アタシは目をかけてやったんだからね」
その真っ直ぐな言葉に、アルシュは小さく「……はい」と頷き、素直に納得した。
今でこそ、こうして膝枕をしてくれる大好きな「お姉ちゃん」だけれど、
初めて会ったあの夜、一瞬で喉笛を食いちぎられそうになった圧倒的な恐怖は、今も鮮明に覚えている。
それに、あの時に彼女が口にした「ランディ兄」という言葉には、どこか昏い、侮蔑を含んだような棘があった。
(……本当は、どういう関係なんだろう)
気になったことは何度もある。裏の世界の猟兵である彼女と、特務支援課のランディがどう繋がっているのか。
アルシュが考え込んでいる様子を見て、シャーリィは面白そうに目を細めた。
「んー? なになに、聞かないの?」
暗に『アタシとランディ兄のこと、聞きたいんでしょ?』と促してくる。
しかし、アルシュは少しだけ考えた後、ゆっくりと首を横に振った。
「……聞きません」
「へえ?」
「だって、僕にとっては……お姉ちゃんは、僕に強さを教えてくれた大好きな『お姉ちゃん』で。
ランディさんは、僕に剣の基礎を教えてくれた、大好きな憧れの人ですから」
特務支援課の兄貴分に対する純粋な憧れと、目の前の猟兵の姉に対する真っ直ぐな親愛。
その嘘偽りのない言葉を聞いて、シャーリィは少しだけ目を丸くした。
そして――どこか遠い昔の、血と硝煙の匂いがする過去を思い返すような、ひどく大人びた、複雑な顔をした。
彼女はアルシュの言葉を否定も肯定もせず、ただ優しく、その赤い髪と同じ温もりを持つ手で頭を撫でて。
「……そっか」
とだけ、静かに呟いた。
それから少しの間、風の音だけが聞こえる、穏やかで優しい時間が過ぎていった。
やがて、シャーリィがふと空を見上げて口を開いた。
「……前から言ってたけどさ。アタシら、明日から仕事でメチャクチャ忙しくなるから。今日みたいに、こうして遊んであげることもできなくなるけどね」
「……うん」
「でも、しっかり一人で訓練は続けなよ? 暇ができたら、たまには様子見に行ってシゴいてあげるし。
……もしクロスベルから出ることがあっても、たまには寄って遊んであげるからさ」
飄々とした、猟兵らしい別れの言葉。
アルシュはその姉の言葉に静かに頷いたが、どうしても隠しきれない寂しさが、その表情に滲み出てしまっていた。
無理もない。この数週間、恐怖と痛みに耐えながらも、彼女たちと過ごした時間はアルシュにとってかけがえのないものになっていたのだから。
「あーあ。ほんっと、寂しがりやな弟分だなー」
シャーリィはやれやれと笑うと。
ふいに身を屈め、アルシュの額に、チュッ、と軽やかなキスを落とした。
「――っ!?」
不意打ちの柔らかな感触に、アルシュの顔が今日一番の赤さに染まり、ボンッと湯気を立てんばかりに跳ね上がった。
「お、お姉ちゃん!?」
「あはははっ! 元気、出たでしょ?」
パニックになって身をよじるアルシュを見て、シャーリィはケラケラと愉快そうに笑い、底抜けに悪戯っぽく微笑んでみせた。
(……敵わないや)
真っ赤になった頬を押さえながら、アルシュは心の中で小さく降参した。
恐ろしくて、理不尽で、悪戯好きで。でも、誰よりも優しくて不器用な、大好きな裏の世界の姉。
この数週間、彼女から叩き込まれた圧倒的な強さと、この温かい手の感触を絶対に忘れないようにと、深く心に刻み込んで。
アルシュとシャーリィの、長く過酷だった猟兵たちとの最後の日は、穏やかな夕暮れと共に過ぎていったのだった。
この作品はキーアとシャーリィのダブルヒロインです。
知り合いからは正気か?みたいな反応されたんだよね