『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
その日、クロスベル市は朝から分厚い雲に覆われ、どんよりとした空模様だった。
遠くカルバード共和国のアルタイル市では、
特務支援課のロイドやノエル、捜査一課のエースであるダドリー、
そして遊撃士の『風の剣聖』アリオスら精鋭たちが、極秘の合同作戦に動いていた。
教団事件の重要参考人であり、前市長を誘拐して逃亡した『元秘書』の男――アーネストを捕らえるための、危険な大捕物が今まさに決行されようとしているのだ。
そんな、街の主力とも呼べる者たちが不在のクロスベル市。
歓楽街や裏通りなどでは、空の淀みとはまた別の、ひどく重苦しい空気が漂い始めていた。
「……おい、あいつら……」
「ああ……カタギじゃねえ。ヤバい匂いがする……」
マフィアや不良たちなど、日常的に裏社会に接している裏通りの住人たちは、
街を歩く見慣れない者たちの姿に肌を粟立たせ、困惑していた。
すれ違うだけで首筋に刃を突き立てられたかのような、圧倒的な暴力の気配。
明らかに気質ではない、血と硝煙の匂いを纏った人間たちが、街のそこここに姿を見せ始めていたのだ。
本来であれば、こうした不審な輩を真っ先に警戒し、取り締まるべき警察組織や遊撃士協会は、
この日、アルタイル市へと出向いた精鋭たちの穴を埋めるため、街全体で特殊な警戒シフトを組んでいた。
まるで示し合わせたかのように、クロスベルの防衛網にほんのわずかな『空白』が生まれる絶妙なタイミング。
最強の猟兵団《赤い星座》の部隊が、静かに、しかし確かな重圧をもってこの街へと入り込んできたのだった。
その圧倒的なプレッシャーを、もっとも敏感に感じ取っていた者たちがいる。
クロスベルの地下に広がる巨大な施設――ジオフロント区画の暗がりである。
教団事件によって組織が壊滅した後、警察の大規模な掃討作戦から逃れ、地下へと潜伏し続けていたルバーチェ商会の残党たち。
彼らは、マフィアが完全に失脚して以降、ただ「捕まりたくない」という一心でこの薄暗い地下道でネズミのように息を潜めていた。
あの恐ろしい教団と深く関わりすぎてしまった以上、もはや彼らが再び『マフィア組織』としてクロスベルの裏社会で息を吹き返すことなど、到底不可能な状況だった。
それに加え、地上からジワジワと浸透してくる新たな同業者たちの気配。
今回クロスベルに流入してきた者たちが放つ、桁違いの威圧感と暴力の匂いは、地下に隠れ住むマフィアたちに「このままでは殺される」という決定的な焦燥を与えていた。
「……おい。このままここに隠れてても、いずれ俺たちは消されるぞ」
カビ臭い地下の片隅で、四人のマフィアが身を寄せ合い、震える声で言葉を交わしていた。
彼らの脳裏に浮かぶのは、あの元秘書の男がクロスベルを逃げ出す直前、自分たちに下した『指示』だった。
薬と、得体の知れない恐怖で自分たちを脅しつけ、ある命令を強制してきたあの男。
『――特務支援課にいる、緑の髪の少女を攫え。そして、アルタイル市へと送れ』と。
当時は支援課や遊撃士の目もあり、何より教団の末路を見た恐怖と怯えから、その指示を実行に移すことなどできなかった。
しかし、今は違う。
「……動かなきゃ、どうせ狩られるんだ」
「ああ……もう、俺たちにこの街の裏社会に居場所はねえ。地上にはヤバい連中がうろついてる」
「なら……どんな危険な手段を使ってでも、あのガキを攫うしかねえ……!」
もしあの少女が、元秘書の男がそこまでして欲しがるほど『重要なもの』であるのなら。
最悪、共和国へ逃げるための資金源か、自分たちが生き延びるための強力な交渉材料(カード)くらいにはなるだろう。
「行くぞ……!」
男たちは、暗闇の中で濁った目を血走らせた。
恐怖と、怯えと、そして後戻りできない焦燥感。それらに背中を押されるようにして、四人のマフィアはクロスベルの地下から、這いずるようにして地上へと足を踏み出した。
――彼らに指示を下した当の男が、今まさにアルタイル市で追い詰められ、自分たちのことなどとうの昔に忘却し去っているということなど、知る由もなかった。