『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
「今日は、天気が悪いなぁ…」
今日から、訓練は基本一人で行わなければならない。
その心細さと、戦士としての決意を確かめるように、アルシュは朝からどんよりとした曇り空の下で、一人黙々と剣の素振りをしていた。
「アーールシューー!」
不意に、背後から弾むような明るい声が響き。
ぽふんっ、と。柔らかな温もりがアルシュの背中に勢いよく抱きついてきた。
「わっ。……キーア、どうしたの?」
素振りの手を止め、振り返って尋ねると、キーアはえへへと嬉しそうに笑ってアルシュを見上げた。
「あのね、今日、一緒にシズクのお見舞いに行かない? 課長に聞いてみたらね、『俺はついて行ってやれないが、アルシュと二人なら行ってきていいぞ』って言ってくれたの!」
「シズクちゃんのお見舞い……」
その言葉を聞いて、アルシュの脳裏に先日の夜の出来事が蘇った。
特務支援課のビルでロイドさんたちといたときに出会った、『風の剣聖』アリオス・マクレインの姿。
クロスベルの英雄である彼が、以前自分たちがシズクのお見舞いに行ったことを知っていて、真っ直ぐに目を見てお礼を言ってくれたこと。
(……そっか)
アルシュは、背中に抱きつくキーアに向かって優しく微笑み返し、頷いた。
「うん、行こうキーア。
アリオスさんも、今日はロイドさんたちと一緒に遠くでお仕事だって言ってたし
……きっと、シズクちゃんも一人で寂しい思いをしてるかもしれないから」
「うんっ! シズク、きっと喜ぶよ!」
キーアはパァッと顔を輝かせ、準備をするために足取り軽くビルの中へと戻っていった。
その後、身支度を整えた二人は、連れ立って特務支援課のビルを出発した。
目指すのは、クロスベル市の南側にある出入り口。
ウルスラ間道へと繋がる、ウルスラ病院行きの導力バスの停留所だ。
厚い雲に覆われ、どこか薄暗く、いつもとは違う重苦しい空気が漂うクロスベルの街並み。
この時。もしもほんの少しだけ注意深く周囲に気を配り、不自然な気配に目を向けていたならば。
きっと、何もかもが変わっていたのかもしれない。
取り返しのつかない凄惨な悲劇へと向かう運命の歯車は、少年と少女が手を繋いで歩き出したこの瞬間、すでに静かに、そして確実に回り始めていたのだ。
二人で南口の停留所へと向かい、時間通りにやってきたウルスラ病院行きの導力バスに乗り込んだ。
車内には、病院へ向かうと思われる乗客が数人乗っているだけだった。
アルシュとキーアは隣り合って座り、窓の外を流れるウルスラ間道の景色を眺めながら、他愛のないおしゃべりをして過ごしていた。
しかし、その穏やかな時間は唐突に破られた。
背後から、異常な速度で接近してくる大型トラックの気配。
それは減速することなくバスに追いつくと、横に並走しながら強引に車体をぶつけてきたのだ。
「きゃあっ!?」
「うわっ!」
ガツン、という鈍い衝撃と金属の軋む音が響き、バスは急ブレーキをかけて強引に停車させられた。
「な、何のつもりだあんたたち!」
怒りに顔を赤くしたバスの運転手が、抗議のために勢いよく運転席から飛び出していく。しかし――。
パーーンッ!!
「ヒッ……!?」
外から、鼓膜を劈くような乾いた銃声が鳴り響いた。
悲鳴を上げて尻餅をつく運転手。トラックの中から降りてきたのは、
明らかに気質ではない、血走った目をした数人の男たちだった。
「死にたくなきゃ、そこで大人しくしてろ」
低い、殺気を帯びたドス黒い声で運転手を脅しつける。
そのまま、男たちは乱暴な足取りでバスの車内へと踏み込んできた。
ギョロギョロと獲物を探すように車内を見回し――そして、座席で身を寄せ合うアルシュと、緑色の髪の少女の姿を捉えた。
「……いたぞ。こっちへ来い」
男の一人が一直線にこちらへ近づいてくると、キーアの細い腕を強引に掴み、乱暴に引っ張り上げた。
「痛っ……!? いやっ、離してっ!」
「キーアッ!!」
アルシュは反射的に立ち上がり、男の腕からキーアを庇おうと間に割って入った。
しかし。
「邪魔だ、ガキがッ!!」
「が、はっ……!?」
男の容赦のない重い蹴りが、アルシュの腹を思い切り打ち据えた。
訓練で受けた木剣とは違う、明確な悪意を持った大人の暴力。
アルシュは蹴りの衝撃で座席の間に無様に吹き飛ばされ、激しい痛みに顔を歪め、鋭く睨みつけられた。
「アルシュ!! アルシュっ!!」
自分が連れ去られる恐怖よりも、蹴り倒されたアルシュを心配して、キーアが何度も何度も彼の名前を叫ぶ。
男たちはその悲痛な叫びを意に介すことなく、キーアをズルズルと引きずりながらバスの入り口へと向かった。
そして、バスから降りる直前――男の一人が運転席のコンソールパネルに向け、躊躇いなく拳銃を数発撃ち込んだ。
火花が散り、通信機と駆動系が完全に破壊される。これで、このバスは外部に助けを呼ぶことも、逃げることもできなくなった。
「う、ぅぅ……っ」
腹を蹴られた痛みに耐え、アルシュが顔を上げると、窓の向こうの光景が見えた。
トラックの助手席側で、激しく抵抗するキーアが無理やり車内へと押し込まれようとしている。
(キーアを……助けないと!)
恐怖も、痛みも、その思考の前では消し飛んでいた。
アルシュはふらつく足に無理やり力を込め、自然とバスの入り口へと駆け出していた。
「ま、待ちなさい坊や! 外に出たら撃たれるわ!」
「行っちゃ駄目だ!」
背後から、青ざめた他の乗客たちがアルシュを引き止めようと叫ぶ声が聞こえた。
しかし、アルシュはそれに意に介すこともなく、弾かれたようにバスの外へと飛び出した。
前方を見ると、キーアが必死に暴れて抵抗しているのか、男の一人がイラついたように彼女を車内に蹴り込むような残酷な動きが見えた。
だが、そのキーアの必死の抵抗のおかげで、トラックの発進がほんの数秒だけ遅れていた。
(今なら……っ!)
アルシュは、銃を持った男たちに気づかれないよう、トラックの死角を突いて全力で駆け抜けた。
そして、発進しようとエンジンを唸らせたトラックの後方――幌のついた荷台へと、音を立てずに素早く飛び込んだ。
次の瞬間。
激しい排気音と共に、トラックはタイヤを軋ませて爆速で走り出した。
行き先は、ウルスラ病院とは真逆――分厚い雲に覆われた、クロスベル市内へ向けて。