『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
視界の先には、まだソードブレイカーの柄を固く握りしめたままの、僕の右手首から先が泥の上に転がっている。
「あ、あぁぁぁ……ッ!」
左手で、無くなってしまった右腕の先を必死に押さえる。とめどなく溢れ出す生温かい血と、脳を直接焼かれるような狂おしい熱と激痛で、今にも意識が吹き飛びそうだった。
その時。
「だめぇっ!!」
背後からキーアが飛び出し、僕の前に立ち塞がった。
細い両手を大きく広げ、自分よりずっと大きくて恐ろしい大人の男から、僕を庇うようにして。
その目の前では、マフィアの男が僕たちを確実に殺そうと、血に濡れた刃を再び大きく振りかぶっていた。
「もういい……もう、なんでもいい……全部、全部このクソガキのせいだ……ッ」
男の目は完全に焦点が合っておらず、恐怖と怒りで完全に壊れてしまっていた。
「あのクソッタレな秘書が……あの気味の悪い教団の連中が……俺たちを全部、ぐちゃぐちゃにしやがってぇッ!」
支離滅裂な呪詛を怒りのままに吐き出しながら、男はゆっくりと刃を上段に構える。
「キーア、だめだ……離れてッ!」
血を吐くような思いで叫ぶけれど、キーアは激しく首を横に振った。
「嫌だっ! どかない! アルシュが死んじゃうっ!!」
大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、それでも絶対に僕の前から退こうとしない。
(いやだ……どうしたらいい……ッ)
激痛で真っ白になりかける、回らない頭を必死に叩き起こして考える。
このままじゃ、キーアちゃんまで一緒に殺されてしまう。
嫌だ。それだけは、絶対に嫌だ。
約束したんだ、『僕が守る』って。
あの優しい特務支援課の人たちに、託されたんだ。『守ってくれ』って。
そのために、あんなに怖くて苦しい特訓を……ずっと、ずっと、ずっと頑張ってきたんだから……!
その時。
赤く染まった視界の隅で、ふと冷たい金属の光が反射した。
僕が先ほど首にナイフを突き立てた、足元に倒れているマフィアの死体。その懐のホルスターに、黒光りする『拳銃』が収まっているのが見えた。
目の前では、狂乱した最後の男が、今まさに両手で山刀を高く振りかぶり、僕を庇って立ち塞がるキーアちゃんに向かって振り下ろそうとしていた。
(――ッ)
もう、何も考えなかった。
あれほど発狂しそうだった右腕と右足の激痛が、何故か嘘のようにスッと消え去り、何も感じなくなった。
極限のショック状態か、それとも命の最後の残り火が燃え上がったのか。自分でも分からない。ただ、撃たれた右足を引きずるようにして、僕は無理やり立ち上がった。
そして、死体の懐から残された左手で拳銃を乱暴に引き抜き――キーアちゃんと、刃を振り下ろそうとする男の間に、全速力で身体ごと割って入った。
「死ねえええッ!!」
「アルシュっ!!」
――ザグンッ!!
凄まじい衝撃。
振り下ろされた分厚い山刀が、僕の右の肩口に深く、骨を断ち割るほどの勢いで食い込んだ。
肉を斬り裂く強烈な『熱』が全身を駆け巡る。でも、倒れるわけにはいかない。
男の顔が、目と鼻の先にある。
僕の左手には、重たい拳銃。
子供の細い片腕だけじゃ、銃の反動を殺して真っ直ぐに撃つことなんて絶対にできない。ガレスさんから教わったから、そんなことは痛いほど分かっている。
でも、銃口を相手の腹に直接押し当てる『接射』なら。これだけ近ければ、絶対に外さない。
左手には、あの日ガレスさんが「戦士の証だ」と言って贈ってくれた、黒いタクティカルグローブがはめられている。
銃の反動を殺し、衝撃を逃がしてくれる特別な手袋。そのおかげで、片手でも、子供の力でも、重い引き金に指をかけ、力を込めることに何の苦労もしなかった。
「……あ?」
男が、腹に押し当てられた銃口に気づいて間の抜けた声を漏らす。
(守るんだ……!!)
――ズドンッ!!!!
鼓膜を突き破るような轟音と共に、左手から強烈な反動が跳ね上がった。グローブ越しでも腕の骨が軋むほどの衝撃。
しかし、接射で放たれたその鉛玉は、間違いなく男の胴体を致命的に貫き、内臓を破壊した。
「が、は……ッ、あ……?」
男は信じられないものを見るように目を見開き、口から大量の血を吐き出しながら、そのままゆっくりと……糸が切れたように、僕の目の前で崩れ落ちた。
「……ぁ……」
その男の巨体が地面に倒れるのを見届けた瞬間。
僕の身体を支えていた見えない糸も、プツリと音を立てて切れた。
右肩に山刀が深々と突き刺さったまま、僕は血溜まりの中へと力なく仰向けに倒れ込んだ。
視界が、急速に暗く、ぼやけていく。
空を覆う分厚い雲が、ぐるぐると回って見えた。
「アルシュ!! アルシュぅっ!!」
ボロボロと大粒の涙をこぼし、悲鳴のような泣き声を上げながら、キーアちゃんが僕の血まみれの胸の上に縋り付いてくるのが見えた。
ああ……。
かすむ視界の中で、彼女の無傷な姿を捉えて、僕は心底ホッと息を吐き出した。
(よかった……キーアちゃんが、無事で……)
仰向けに倒れた僕の体から、急速に熱と命が抜け落ちていくのがわかった。
手首から先を理不尽に奪われた右腕の断面から。そして、骨を断ち割って深々と食い込んだ右の肩口から。
どくどくと絶え間なく、僕の中にある真っ赤な血が溢れ出し、背中の下の冷たい土をどす黒く染め上げていくのが、自分でもはっきりと理解できた。
子供の小さな体に入っている血の量なんて、たかが知れている。これだけ大量の血が流れ出れば、もう絶対に助からない。
それでも。
僕の胸にすがりつき、大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら名前を呼び続けるキーアちゃんの温かさだけは、不思議なほど鮮明に感じられていた。