【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
特務支援課ビル、一階の共有スペース。
ティオが淹れてくれた温かいお茶が、みっしぃの顔をプリントした三つのマグカップから、ふわりと白い湯気を立ちのぼらせていた。
外の冷え込みなんて忘れてしまいそうな、甘くやさしい香り。それに包まれて、三人と一匹の、穏やかなお茶の時間が始まる。
「……それで。皆がいつ頃戻ってくるか、という話ですが」
マグカップを両手で包み込むようにして、ティオが静かに口を開いた。
「ランディ先輩の警備隊でのリハビリ支援も、エリィさんのマクダエル議長のお手伝いも、まだしばらくはかかりそうです。私の財団でのテストも、もう少し時間がかかりますし……」
「そっかぁ……。みんな、忙しいんだね」
キーアが、しゅんと猫耳でも伏せるみたいにして呟いた。
その足元では、ツァイトが慰めるように、彼女の膝へそっと鼻先を押し当てている。
そんな二人を見て、アルシュは少し前のめりになって口を開いた。
「あ、あのね! 父さんから聞いたんだけど……ロイドさんは、あと一ヶ月くらいで帰ってくるかもって!」
「えっ! ほんとに!?」
キーアの顔が、ぱあっと明るく輝く。
警備隊で事務方を務めるアデルのもとには、警察組織の動きもある程度は伝わってくるらしい。
「うん。捜査一課での研修の仕上げが、あと一ヶ月くらいで終わる予定なんだって。だから、春になる前には、ロイドさん支援課に戻ってくるんじゃないかな」
「ロイドさんなら、捜査一課のあの厳しい要求も、きっと乗り越えてみせるでしょうね。……相変わらずの、あの諦めの悪さで」
ティオはふっと小さく息をつく。
けれどその口元には、確かな信頼と、ごくかすかな笑みがのぞいていた。
「僕、ロイドさんのこと、すごく尊敬してるんだ」
アルシュは自分のマグカップに目を落としながら、熱を込めて語った。
「教団事件の時もそうだったし……どんなに高い壁があっても、絶対に諦めないあの背中が、本当にかっこよくて。だから、早くまた会いたいな」
「うんっ! 早くみんな揃ったらいいね!」
キーアの無邪気な笑顔に、ティオも優しく頷いた。
「ええ……そうですね。皆が戻るべき場所は、ここですから」
しばらく和やかな歓談が続いた。それがふと途切れた頃、ティオが少しだけ改まった様子で、アルシュを見据えた。
「アルシュ君」
「は、はいっ」
「私は、財団の用事で一時的に戻ってきただけなので……明日にはまた、レミフェリア方面への出向に戻らなければなりません」
「そう、なんですか……」
「ええ。イメルダ夫人や、遊撃士協会の方々も気にかけてくれてはいますが……私がいない間、キーアの隣に一番長くいてくれるのは――アルシュ君、あなたです」
ティオの理知的な緑の瞳が、まっすぐにアルシュを射抜く。
それは子供をあやすようなものではなく、一人の頼れる相手に向けられる、真剣な眼差しだった。
「キーアのこと……よろしくお願いしますね」
その言葉に、アルシュの胸の奥が、トクン、と大きく鳴った。
あの支援課の、頭脳明晰で冷静沈着なティオに。ほかでもない、直接「お願い」されたのだ。
自分がキーアを守りたいと思っていること。その気持ちを、ほんの少しだけ認めてもらえたような気がして――。
アルシュは背筋をぴんと伸ばし、誇らしげに、そして力いっぱい頷いた。
「はいっ! 任せてください、ティオさん。僕がしっかり、キーアちゃんを守りますから!」
「……ふふ。頼もしいですね」
「えへへー、アルシュ、ありがと!」
キーアは満面の笑みでアルシュに手を振ると、今度はティオの腕に、ぎゅうっと抱きついた。
「ねえねえティオ! 今日はティオ、こっちのビルにお泊まりでしょ? じゃあ、一緒に寝よ!」
「え……? いえ、私の部屋のベッドは少し狭いですよ。キーアの部屋のベッドの方が……」
「やだー! ティオとくっついて寝るの! みっしぃのぬいぐるみも、いーっぱい持ってくから!」
「はぁ……仕方ありませんね。今日だけ、ですよ?」
呆れたようにため息をつきながらも、ティオは抱きつかれた腕を振りほどこうとはしない。その横顔は、なんだかんだで満更でもなさそうだ。
――が。そんな女の子同士の微笑ましいやり取りを聞いていたアルシュは、突然、顔にぼっと火がつくような熱を覚えていた。
(い、一緒に……寝るっ!? パ、パジャマで、ひとつのベッドに……!?)
十歳の少年の脳内で、勝手にお泊まり会の光景がむくむくと膨らんでいく。
相手は、幼なじみのキーアと、少し年上でクールなティオだ。
初恋を自覚したばかりのアルシュにとって、その想像はあまりにも――刺激が強すぎた。
「あ、あのっ! ぼ、僕、そろそろ帰るよ! か、母さんが夕飯待ってるから……!」
「あら、もう帰っちゃうの? 気をつけてね、アルシュ!」
「はい、また明日。暗いですから、気をつけて帰ってくださいね」
「う、うんっ! またね、キーアちゃん、ティオさん……ツァイトも!」
『ウォフ』と見送るツァイトの声を背中に受けながら、アルシュは真っ赤になった顔を隠すように、転がるみたいにして支援課ビルを飛び出した。
冷たい冬の夜風が、火照った頬をなでていく。
それが、今はなんだか心地いい。
「……よしっ!」
帰り道を駆けながら、アルシュはぐっと拳を握りしめた。
ロイドの帰還まで、あと約一ヶ月。特務支援課の皆が再び揃う、その日まで。
自分が彼女の隣で、あの笑顔を守り抜くんだ。
少年の密かな決意を乗せて、クロスベルの夜が、静かに更けていった。