『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
夢の中のキーアには、大好きな男の子がいた気がする。
顔も名前も、どうしてもはっきりとは思い出せないけれど。
いつもキーアに向けて、「へにゃっ」とした、とっても優しくて温かい笑顔を見せてくれていた男の子。
ある日、クロスベルの図書館で、その男の子を見た。
『あ、あの男の子だ』ってすぐにわかって、また仲良くお話したいなって、一緒に遊びたいなって思って、無邪気に側に近寄ろうとした。
でも――足が、ぴたりと動かなくなってしまった。
キーア、思い出しちゃったの。
夢の中で見た、とっても、とっても怖い夢。
あの子がキーアを守るために、血まみれになって、ボロボロになっていく姿。
キーアの腕の中で、あの子の体がどんどん冷たくなっていくあの恐ろしい感覚を……夢だとは思えないくらい、はっきりと、生々しく感じてしまったから。
だから、キーア、我慢することにした。
キーアと仲良くならなかったら、あの子があんな痛くて怖い目に遭わないで済む。
それなら、絶対にそっちのほうがいいから。
本当は本を読むのが大好きだったのに、キーアの手を握ってくれたあの子の手は、夢の中では剣の素振りでマメだらけになって、どんどん硬くなっていた。
キーア、夢の中で「無理しないで」っていっぱい言ったのに、あの子はキーアを守るために、全然聞いてくれなかったもんね。
特務支援課のお部屋の窓から広場を見下ろしても、あの子が一生懸命に剣を振っている姿は、もう見れない。
でも、さみしくないよ。
キーアがここで我慢すれば、あの子はずっと、大好きな本を安全な場所で読んでいられるよね。
キーアが大好きだった、あの「へにゃっ」とした優しい笑顔は、もうキーアには向けてくれないかもしれないけれど。
キーア、遠くからあの子が笑ってるのを見てるだけで十分だから。
あの子が痛い思いをしないで、ずっと元気で笑っていてくれるなら、キーア、全然さみしくないよ……。
いっぱい時間が過ぎて。
ロイドたち特務支援課のみんなが、無事に遠征から帰ってきた。
「おかえりなさい!」って、嬉しい気持ちでいっぱいになって。
帰ってきたばかりのロイドにわがままを言ってお願いして、一緒にクロスベルの街へお買い物に出かけた。
賑やかな通りを歩いていると、ふと、視界の端に見覚えのある姿が映った。
あの子が、お父さんとお母さんと一緒に三人で、とっても楽しそうに笑いながら歩いていた。
かつての時間。あの子が傷だらけになって、キーアを守るために戦って亡くなったあの恐ろしい日は、やり直したこの時間では、もうとっくに過ぎ去っていた。
今のあの子は、マメができるまで剣を振るうこともない。裏社会の怖い猟兵たちと知り合うこともない。ただの、本を読むのが好きな優しい男の子だ。
その平和な姿を見た瞬間。
キーアの中にいる、今のキーアじゃない『もう一人のキーア』が、彼に向けてそっと何かを呟いた気がした。
「……バイバイ、アルシュ」
無意識のうちに、小さな独り言が唇からこぼれ落ちる。
同時に、頬をツーッと冷たいものが伝っていった。流れる一筋の涙。
「キーア? どうしたんだ、急に泣き出したりして……」
隣を歩いていたロイドが、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
キーアは、「んん……」と首を振った。
なんで自分が涙を流しているのか、本当のところはキーア自身にもよくわからなかったから。
「ゴミが目に入っちゃったみたい。……いたーい」
そう言って、両手で目をゴシゴシと擦る。
そして、そのまま誤魔化すように、ロイドの大きな身体にぎゅっと抱きついた。
あの子が生きているという、温かい安堵。
そして、胸の奥底にポッカリと穴が空いたような、どうしようもない寂しさ。
その両方をロイドの温もりで隠すように、キーアはロイドの服をきつく握りしめた。
――『碧』の物語は、もうすぐそこまで迫っていた。
本編はここで終わりです。
ここから碧の軌跡本編がはじまります。
蛇足として救済編を考えているので、お付き合いいただけるならよろしくお願いします。
まず、救済編に入る前に三話幕間があるので一話づつ明日から投稿していきます。
それが終わったら蛇足編です