『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
クロスベル再独立の日。
僕はあの男に用意させた大型の導力ライフルを手に、市庁舎前を狙撃するのに十分な射角が取れる、とあるビルの屋上で待機していた。
小型の望遠鏡で市庁舎前の調印式を覗き込むと、マクダエル議長が演説している姿が見える。
そしてその周囲には、特務支援課の面々と、彼らの傍らに立つキーアの姿があった。
十歳だったあの頃よりも、少しだけ大人びて成長した彼女。
その無事な姿に、ふっと小さく笑顔がこぼれる。
周囲の警戒のために望遠鏡の視点を動かした、その時だった。
レンズ越しの群衆の中に、見つけてしまった。
平和な世界で生きている今の『アルシュ』と、父さん、母さんの姿を。
胸の奥から込み上げてくる、酷く甘くて痛い郷愁のような感情。
僕はそれを、静かに奥底へと飲み込んだ。
やがて、調印式に待ったをかけて、あの男が広場へと現れた。
ルーファス・アルバレアを名乗る、クロスベルの元総督。
エリュシオンの演算によって生み出されたという意味では、今の僕にとって兄弟、あるいは同胞とも呼べるかもしれない存在だ。
もっとも、こちらにはそんな殊勝な親近感などさらさらないが。
僕は自嘲じみた苦笑をこぼし、冷たい導力ライフルを構え直して作戦の準備を始める。
奴らの巨大な思惑も、僕自身の過去への未練も、今はすべて飲み込む。
ただ、僕がやるべき『ケジメ』を果たすために。
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培養槽から身を起こし、警戒を滲ませる僕に向かって、
白いコートの男――ルーファス・アルバレアは、芝居がかった優雅な所作で微笑みかけた。
「無事、意識がはっきりしているようで何よりだ」
男は事もなげに、ここがどこであり、僕たちが何者であるかを語り始めた。
『シミュラクラ』。エリュシオンと呼ばれる超常の演算器によって、ある巨大な目的のために過去や未来のデータから計算し、再構築された紛い物の命。
自分も含めて、ここにいるのは皆そういう存在なのだと。
「もっとも……君は我々の目的とは一切関わりのない、一番最初に偶然造られてしまった『異常個体』のような存在みたいだがね」
「……どういう意味だ?」
訝しむ僕に、ルーファスは肩をすくめた。
「十歳で死んだ記憶と、二十歳まで生きた記憶。その二つの矛盾する記憶がコンフリクトを起こしたせいで、君は長い間、深い眠りについていたということさ」
「そこで、私が少しばかり『調整』をしてやったというわけだ。いやはや、実に面白いものが見つかったのでね」
不意に、部屋の奥からひどくしゃがれた、粘り気のある声が響いた。
現れたのは、白衣を着た白髪の老人だった。その顔を見た瞬間、僕の脳裏に、二十歳まで遊撃士として生きた『もう一つの記憶』から、ある情報がフラッシュバックする。
「あんたは……」
「F・ノバルティスだ。」
「………結社の、第六柱」
僕が低く唸るようにこぼしたその名前に、ノバルティス博士はひどく嬉しそうに、興味をそそられたように目を細めた。
「ほう……! 十歳で死んだただの子供であった君には、私との接点など何一つなかったはずだが。
……なるほど、エリュシオンの演算というのは、未来の知識や認知に至るまで、そこまで精巧に個を確立させるというのか。これは実に興味深い……!」
「博士、そこまでで」
独り言のように興奮し始めた老人を、ルーファスが冷ややかに制止した。
「さて、グレイ君だったかな。君にも、我々の『これから起こすこと』の目的と……そのために、君の力も貸してほしいという相談をしたくてね」
ルーファスの口から語られたのは、クロスベルの再占領と、世界を巻き込むあまりにも狂った大罪の計画だった。
話を聞きながら、僕の奥底にある『遊撃士』としての魂が、激しい嫌悪と拒絶を叫んでいる。彼らの言うことになど、欠片も納得できるわけがない。
「……一つ、聞かせてほしい」
僕は感情を押し殺し、ルーファスたちを真っ直ぐに見据えた。
「僕は、どうして造られた? 計画に無関係なイレギュラーなら、わざわざ最初に僕を演算して生み出す理由がないはずだ」
僕の問いに、ルーファスではなくノバルティスが「ふむ」と鼻を鳴らした。
「……それは、君自身が一番よく理解しているのではないかね?」
「…………ッ」
僕は黙り込んだ。
書き換えられた世界。そして、書き換えられた理由。
演算された二十歳までの微かな記憶が、キーアが、どれほどとてつもない運命のもとに生まれたのか、
どれほど優しく、自罰的で、どれほど自分を犠牲にするような不器用な子だったのかを、痛いほど僕に教えてくれていた。
なら、僕がイレギュラーとしてこの世界に再び立っている理由は。
あの娘の、魂の底にこびりついた強烈な後悔と願いの演算結果でしかない。
僕という存在そのものが、キーアの罪悪感の結晶なのだ。
「……ちなみに、断ったら?」
「その時は残念だが、活動を停止してもらうしかあるまい」
ルーファスが冷酷に告げると、ノバルティスが意味ありげに笑った。実力行使に出ずとも、システム的に僕の命綱を握り、いつでもスイッチを切れるということだろう。
僕は小さく息を吐き出し、決意を固めた。
「……わかった。手伝ってやる」
「ほう、賢明な判断だ」
「その代わり」と、僕は一拍置いて、冷たい声で条件を突きつけた。
「交換条件だ。……僕の願いを、一つだけ聞け。それが通らないなら、今ここで活動を停止させろ。」
僕が静かにその『願い』を口にすると。
ルーファスは一瞬、虚空の彼方にある『何か』に視線を向け、確認をとるような沈黙の時間を置いた。
やがて。
「……いいだろう。その条件で手を打とう」
ルーファスは優雅に頷いた。
こうして、僕は世界を敵に回す大罪に手を貸すことになった。
心が痛まないわけじゃない。遊撃士として、やってはいけないことだとわかっている。
ただ、僕は信じているのだ。
ロイドさんたち特務支援課のみんななら、僕や彼らどんなに最悪な敵として立ち塞がっても、必ず乗り越えてくれるって。
それは、ただ木剣を振るっていた十歳の子供の頃から、ずっと変わらない真実だから。