『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
ガルシアとのスパーリングを終え、呼吸を整えながら、壁際で見守っていたキーアの元へと歩み寄った。
一瞬、彼女がひどく寂しそうな、今にも泣き出しそうな表情を見せた気がして心臓が跳ねた。
けれど、僕が近づくと彼女はすぐにいつもの穏やかな表情に戻り、「お疲れ様」と僕を労わってくれた。
そのあまりに自然な切り替えに、僕はわずかな違和感――何か、僕には見せてくれない深い想いを抱えているような予感を覚えたが、今はそれを深く追求しないことにした。
「……ッ」
訓練の余韻に浸りながらその場を離れようとした時、視界の端に違和感を捉えた。
上層階へと続く吹き抜けの回廊。
そこからこちらを覗き込んでいる、白衣の老人がいた。
ノバルティス博士。
意味ありげに口角を歪めた、あの嫌らしい笑み。
どうやら僕にご所望の「野暮用」があるらしい。
「ガルシア、悪いがキーアのことを頼む。ちょっと野暮用ができた」
「あぁん? ……チッ、俺は子守りをするためにここにいるんじゃねぇんだがな」
ガルシアはあからさまに面倒そうな顔をしたが、僕は構わず「頼むよ」と重ねた。
彼にキーアを預けることに、全く不安がないわけじゃない。けれど、先ほどの拳を交えたやり取りを経て、確信がある。この男は、理由もなく子供を傷つけるような、そんな底の浅い外道じゃない。
「あとで合流する。……大人しくしてなよ」
キーアにそう告げると、僕は博士の待つ吹き抜けへと足を向けた。
彼女は何か言葉をかけたそうに、小さく僕の方へ手を伸ばしかけたが……すぐにその手をギュッと握りしめると、ガルシアと共に静かにその場を離れていった。
吹き抜けを上がり、待ち構えていた老人の前に立つ。
「……博士」
「クク、ついてきたまえ」
有無を言わさぬ口調で背を向けた博士の後を、僕は進んでいく。
タワーの中を歩いていたはずだが、途中のエレベーターか通路か、
まるで空間そのものを転移したかのような奇妙な感覚に襲われた。
辿り着いた先は、無機質な計器と冷たい照明に満ちた一室。
「ここは……」
「君が眠っていた、始まりの場所だよ」
博士が事もなげに言う。
シミュラクラ。
結社の人形技術に、エリュシオンが生み出した機械的な再現技術を博士が融合させたもの。
つまり僕は、大元はエリュシオンが生み出した『二十歳のアルシュ』という再現体でありながら、
博士がその知的好奇心でいじくり回し、結社の技術で肉体(パーツ)を補強した「博士特製のシミュラクラ」なのだという。
「さて、調整の時間だ。台に上がりたまえ」
言われるがままに固定され、意識ははっきりしたまま、僕の身体が『開かれて』いく。
博士との会話の最中、視界に入る自分の断面。
筋肉を模した人工繊維の奥に見える、銀色のフレームと緻密な回路、刻印された製造番号。
自分の意識がどれほど「人間」を自認していても、目の前の光景はどうしようもなく、
僕が紛い物の再現体であることを残酷なまでに突きつけてくる。
「君を拾い上げたのは幸運だった。実に見事な、貴重なサンプルだよ」
博士は悦に入った様子で、僕の内部を弄りながら語る。
事実、僕というサンプルを徹底的に解析することで、
エリュシオンの再現体データを手に入れ、他のシミュラクラたちにも様々な調整を施しているらしい。
「君にとっても悪い話ではあるまい? 本来の再現体としての負荷を無視して、君の身体能力をここまで引き上げられたのは、私の調整の恩恵なのだからね」
(身体のスペックが跳ね上がってるのは、この怪しいおっさんのせいかよ……)
天井の無機質な照明を見つめながら、内心で毒づいた。
現状、その力がなければやりたいことを果たせないのは事実だが、
自分の身体をこれほどまでに他人の実験場にされるのは、やはり勘弁願いたいものだった。
それに、だ。
こうして定期的に博士のメンテナンスを受けなければ、この身体はいずれ『崩壊』する。
そんな爆弾(首輪)をつけられている事実も、決していい気分ではない。
「ふぅ……」
僕は一つ、鬱屈としたため息を吐いた。
気を紛らわせるため、そしてずっと気になっていた『違和感』を確かめるため、
僕は横のモニタに張り付いている博士に声をかけた。
「博士。一つ、疑問があるんだけど」
博士はさして興味もなさそうに、こちらへ顔を向けることも言葉を返すこともしなかった。
だが、僕の次の一言で、その態度は劇的に変化した。
「……エリュシオンが演算し、生み出しているのは『未来の技術』なんですよね?」
「――ほう。そうだが、どういった意図の質問かね?」
途端に、モニタから僕へと顔を向けた博士の瞳に、爛々と輝く強烈な探求の光が宿った。
そのあまりに不気味で熱を帯びた視線に、
僕は固定された台の上で思わず身を引きたくなったが、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「式典の際に、あの『魔煌機兵』を見た時の感想です。……もう触れることもできないような朧げな記憶なんですが、僕が知ってる歴史の中で見てきた兵器とは、どこか決定的なデザインや機構が違っていました」
僕は慎重に言葉を選びながら、あの機体を見た際に覚えた「強烈な違和感」について話した。
さらに付け加えるなら、先ほどのガルシアとの立ち会いでもそうだ。
思い返せば、僕は平時からただの武術だけでなく、
戦術レベルで『もっと別の何か』を駆使して戦っていたような感覚が、ずっと手のひらにこびりついているのだ。
僕の話を一通り聞き終えた博士は、口元に手を当て、深いシワを刻んで嗤った。
「クク……やはり、か」
「やはり?」
「おそらく、今のエリュシオンが弾き出している演算結果(未来)には、何らかの『大きな欠落』が存在している。……そして、君という存在の記憶こそが、その欠落した未来のデータそのものに繋がっている可能性がある」
「は……?」
僕が素っ頓狂な声を上げると、博士は「確証はないがね」と前置きしつつも、
明らかに興奮した様子で身を乗り出してきた。
「単なる再現体のモルモットのつもりで拾ったが……まさか、君の脳の奥底に、今のエリュシオンですら演算外にある未知の知識(テクノロジー)が眠っているとすれば……! アハハハハ! これは素晴らしい! 素晴らしいぞ!!」
そこからの博士は、狂気に満ちた科学者そのものだった。
僕の記憶の深淵を暴こうと、専門的な用語や構造に関する質問をマシンガンのように浴びせかけてくる。
だが、僕の頭の中にある未来の記憶は、
あくまで「そういう技術が当たり前にあった」というふわふわとした感覚的なものであり、
設計図や仕組みを論理的に答えられるような代物ではない。
僕が曖昧な答えしか返せずにいると、博士は苛立たしげに白衣を翻した。
「ええいっ! 感覚的な話などどうでもいい! これでは技術の逆算ができず、何の意味もないではないかね!!」
「わ、悪かったよ。でも、思い出せないものは思い出せないんだ」
喚き散らす老人をどうにか宥めながら、僕は冷たい手術台の上で、
自分の頭の中に眠るその『欠落した未来の技術』の正体について、ぼんやりと思いを巡らせていた。